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被告準備書面(9)要旨2007年3月30日その1

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被告準備書面(9)要旨          2007年(平成19年)3月30日

(原告準備書面(6)に対する反論)
第1 同第2(『太平洋戦争』の記述と赤松・梅澤命令説の虚偽性)について
 1 同1(赤松命令説を全面削除した家永三郎著「太平洋戦争」)について
   原告らは、本件書籍(一)の「太平洋戦争」の第二版は、初版本にあった赤松命令説を全面的に削除した、と主張している。
   しかし「太平洋戦争」の第二版は、「沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺身隊の隊長赤松嘉次は、米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民329名が恩納河原でカミソリ・斧・鎌などを使い凄惨な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない。」としており、赤松命令説を全面的に削除したというものではなく、軍(赤松)による自決命令がなかったとしているわけではない。
 2 同2(渡嘉敷島戦跡碑文)について
   原告らは、渡嘉敷村教育委員会篇「わたしたちの渡嘉敷島」(甲B48)に掲載されている曽野綾子氏が記した戦跡碑碑文を引用して、渡嘉敷島を訪れた者は、集団自決が命令によるのではなく、愛によって行われた真相を悟るであろう、などと主張している。
   しかし同戦跡碑は、碑の後ろに「海上挺進第三戦隊・海上挺進第三基地大隊」とあるように、部隊関係者が建てたものであり、部隊の犠牲者のために建立したものである。そして、碑文は赤松隊の隊員から頼まれて曽野綾子氏が書いたものである(以上乙24-244頁以下)。そのような碑文の内容が、集団自決が命令によるものでないことの根拠にならないことは、あまりにも明らかである。
   なお原告らが引用する「わたしたちの渡嘉敷島」(甲B48)にも、「日本軍は、沖縄本島に上陸してくる米軍の背後から奇襲攻撃をかけるねらいで、慶良間の島々に海上特攻艇二〇〇隻をしのばせていました。ところが、予想に反して米軍の攻略部隊は、一九四五年三月二三日、数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行い、特攻艇壕をシラミつぶしに破壊した後、ついに三月二六日には座間味の島々へ、三月二七日には渡嘉敷島にも上陸、占領し、沖縄本島上陸作戦の補給基地として確保しました。日本軍の特攻部隊と、住民は山の中に逃げこみました。パニック状態におちいった人々は避難の場所を失い、北端の西山に追込まれ、三月二八日、かねて指示されていたとおりに、集団を組んで自決しました。手榴弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で首を絞めたり、山火事の中に飛込んだり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのです。」と記載されており、軍による自決命令があったとしている。
 3 同3(『太平洋戦争』の梅澤命令説の虚偽と集団事件の真相)について
   原告らの主張は、従前の主張を要約したものにすぎず、梅澤命令説が事実に基づかないなどということは全くない。
   すでに述べたように、座間味島において、軍は、軍官民共生共死の一体化の方針のもと、いざというときは玉砕するようあらかじめ村民に命じており、1945年(昭和20年)3月25日の夜に、米軍の上陸を目前にして、米軍の艦砲射撃のなか、梅澤隊長が具体的にどのように命令を発したかは必ずしも明確でないとしても、防衛隊長である助役の指示により、防衛隊員が伝令として、軍の玉砕命令が出たので玉砕(自決)のため忠魂碑前に集合するよう、軍(=隊長)の命令を住民に伝達して回り、その結果集団自決に至ったものである。軍の玉砕命令のもとで、軍の部隊である防衛隊の隊長であり兵事主任でもある助役が、軍の自決命令が出たことを防衛隊員から村民に伝えさせ、自決のため集合させたことは明らかである。また、村民が、軍の自決命令が出たと認識していたことも明らかである。
   そしてこの際、村民に自決のために手榴弾が渡されているが、手榴弾は貴重な武器であり、軍(=隊長)の承認なしに村民に渡されることはないと考えられ、実際にも、手榴弾は防衛隊員その他の兵士から渡されている。
   また、「明日は上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。いざとなったらこれで死になさい」と兵士が村民に手榴弾を渡したこと(乙9-746頁)、「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をやりなさい」と言って軍曹が村民に手榴弾を渡していること(乙6-45頁、甲B5-46頁)、「もし米軍が上陸してきたらこの剣で敵の首を斬ってから死ぬように」と兵士が村民に剣を渡していたこと(乙9-738~739頁)などの住民手記等記載の事実は、軍が村民を玉砕させる方針であったことを示すものである。
   さらに、軍は、米軍が上陸してくることを認識しながら、住民を他に避難させたり投降させるなどの住民の生命を保護する措置をまったく講じていなかったが、このことは、軍が住民を玉砕させることにしていたからにほかならない。
   以上のとおり、座間味島の住民の集団自決は、軍の玉砕(自決)指示・命令によるものであることが明らかである。そして、座間味島における軍の最高指揮官は梅澤隊長であったのであるから、座間味島の集団自決は「梅澤隊長の自決命令」により行われたというべきである。
4 (宮里美恵子の『沖縄の証言』)について
   原告らは、「沖縄の証言(上)」(甲B45)にある宮里美恵子氏の証言に「だれからの命令ともいいませんでした」とあることを、原告梅澤が自決命令を発したものでない根拠と主張するようである。
   しかし、「みんな玉砕するから、忠魂碑の前に集合してください、と宮平ケイタツという十九歳の青年がどなるようにいったんですよ」という宮里美恵子証言は、むしろ前記のとおり、軍(=隊長)による命令があったことの裏づけというべきである。

第2 同第3(『沖縄ノート』における赤松命令説とその人格攻撃性)について
  原告らの主張は、従前の主張の繰返しにすぎず、本件書籍(三)「沖縄ノート」の「その1」から「その4」が、赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものでないことは、すでに述べたとおりである(被告準備書面(1)7頁以下、被告準備書面(2)1頁以下、被告準備書面(5)25頁以下)。
   本件記述「その1」には、集団自決命令が渡嘉敷島の守備隊長によって出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。
   そして本件記述「その1」は、集団自決にあらわれている沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生という命題は、核戦略体制のもとでの今日の沖縄に生き続けており、集団自決の責任者の行動はいま本土の日本人がそのまま反復していることであるので、咎めはわれわれ自身に向ってくると問いかけており、集団自決の責任者個人を非難しているものではない。
   本件記述「その2」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その2」は、集団自決を強制したと人々に記憶されている渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたという新聞報道に接した著者が、かつてこの守備隊長が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」と語っていた記事を思い出し、その際に著者の肉体の奥深いところに生じた気分ないし感覚を表明した部分であり、渡嘉敷島の守備隊長が慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたという事実に基づく公正な論評である。
   本件記述「その3」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その3」は、その後に続く記述と合わせ、「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」と語っていた集団自決の責任者の内面を著者の想像力によって描き出すとともに、これは日本人全体の意識構造にほかならないのではないかと論評したものである。
   本件記述「その4」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その4」は、その記述の直前から「その4」以降に述べられているとおり、アイヒマンが、「或る昂揚感」とともに、ドイツ青年のあいだにある罪責感を取り除くために応分の義務を果たしたいと語ったように、渡嘉敷島の旧守備隊長が、日本青年の心から罪責感の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたいと語る光景を想像し、しかし実は日本青年が心に罪責の重荷を背負っていないことについてにがい思いを抱くと述べ、日本青年一般のあり様について論評したものである(同部分は、ドイツ青年と日本青年の罪責感を対比してみることが主眼であって、原告らが主張するように、渡嘉敷島の守備隊長を、「『屠殺者』やホロコーストの責任者として処刑された『アイヒマン』になぞらえられるような悪の権化」であると人格非難するものでは全くない)。
   なお、原告らは、「沖縄ノート」の本件各記述は、いずれも赤松隊長個人を対象とする過剰かつ執拗な人格非難に溢れかえっている、などとも主張している。
   しかし、以上のとおり、本件各記述が赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものではないうえに、「沖縄ノート」の各記述部分を読めば、本件各記述が集団自決の責任者個人を非難しているものではないことは明らかであり、原告らの主張は失当である。

第3 同第4(『沖縄ノート』の梅澤命令説とその名誉毀損性)について
   原告らは、「沖縄ノート」の本件記述「その1」が座間味島での集団自決にかかる梅澤命令説にも言及するものであり、そのことは被告大江の主観に照らしても、通常人の読解力に照らしても明らかであるとし、本件記述「その1」の前半部分は原告梅澤による自決命令を摘示したものであり、同記述の後半部分及び本件記述「その3」の前半部分(「罪の巨塊」の段落)は、梅澤命令説を前提事実とする原告梅澤に対する人格非難であり、度を超した人身攻撃である、と主張している。
   しかし、すでに述べたとおり、本件記述「その1」には、座間味島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、原告梅澤を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、本件記述「その1」が原告梅澤についてのものと認識されることはなく、原告梅澤が集団自決を命じたものと認識されるものでは全くない(被告準備書面(1)8頁、被告準備書面(5)25頁)。
また、本件記述「その3」にも、集団自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたことも、原告梅澤を特定する記述もなく、同記述は原告梅澤が集団自決命令を下したという事実を摘示したものではなく、梅澤命令説を前提としたものではない。
したがって、本件記述「その1」「その3」は、座間味島における守備隊長の命令による集団自決についての記述ではなく、原告梅澤に対する人格非難や人身攻撃たり得ない。
   なお、原告らは、「沖縄ノート」が引用する「沖縄戦史」(乙5)の引用部分以外の部分に、原告梅澤による自決命令の記述があることから、「沖縄ノート」の著者である被告大江が、座間味島での集団自決を命じた責任者が原告梅澤であったと認識していたとし、本件記述「その1」は、被告大江の主観に照らしても、原告梅澤を座間味島での集団自決命令を発した者という理解のうえに立ち、原告梅澤を「この事件の責任者」として論難するものだと主張している。
   しかし、そもそもある表現が何を摘示しているのかということは、その表現から客観的に判断されるものであって、表現者の主観とは関係がない。したがって原告らの主張はその前提において失当であるが、その点は措くとしても、前記のとおり、本件記述「その1」は、座間味島における集団自決の責任者個人を非難するものでは全くない。
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