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原告赤松秀一意見陳述書2005年10月28日

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原告赤松秀一意見陳述書2005年10月28日




意 見 陳 述 書
沖縄集団自決冤罪訴訟第1回口頭弁論(平成17年10月28日)

原 告 赤松秀一

沖縄戦当時、25歳で元海上挺身第三戦隊の隊長を務め、特攻断念ののち、渡嘉敷島の死守を命じられた赤松嘉次大尉の弟の秀一です。

そもそもの事の起こりは、沖縄タイムスからの昭和二十五年に出版された『鉄の暴風』によって兄が『神話的大悪人』に仕立て上げられました。当時は終戦間も無いドサクサの時期で、渡嘉敷島に渡ることすら出来ない中、直接関係のない証言者からの聞き取りを元に米軍の占領下にあった沖縄の風潮にあわせてでっち上げられたものです。これが一人歩きしまして昭和三十四年には時事通信社から沖縄タイムスの編集長上地一史氏が『沖縄戦史』、続いて岩波書店から中野好夫氏の『沖縄問題二十年』家永三郎氏の『太平洋戦争』などが何れも『鉄の暴風』の孫引きで出版されましたが、当時は兄や家族に対する批判はそれほどひどいものではありませんでした。

沖縄返還(昭和四十七年)を目前にした四十五年三月末、兄は渡嘉敷村長はじめ村民の招きを受けて『集団自決二十五回忌の慰霊祭』に参加する為、戦友の方々と共に沖縄に渡りましたが、兄は独り労働組合、反戦団体などの抗議集団に取り囲まれて渡嘉敷島に渡ることが出来ず、翌日船をチャーターして花束を贈るという事件が起こりました。これを、全国の新聞、雑誌が騒ぎ立てて兄の悪評が一気に広がりました。大江健三郎氏の『沖縄ノート』は、この風潮に便乗するが如く、その年の九月に岩波書店から出版されました。その中で兄は住民に集団自決を命令した悪の権化であると決めつけられただけでなく、嘘と自己欺瞞を繰り返す恥知らずな人間として描かれました。

一方、「人の罪をこのような明確さでなじり、信念をもって断罪する神のごとき裁きの口調に恐怖を感じ」、そこに描かれた神話的大悪人の話に疑問を抱かれた曽野綾子氏は、九月に行われた慰霊祭参加報告会を皮切りに多くの関係者に積極的かつ精力的に取材され、関連文献を調査されてついに四十八年五月、『ある神話の背景 沖縄渡嘉敷島の集団自決』を出版され、兄の戦隊が特攻に出撃しながったのは兄の上官である大町船団長の命令であること、軍からは自決命令は出ていないこと、軍は島民の食糧は徴発していないことなど細部に至るまで検証されており、この本が兄や家族をはじめ戦隊の方々の大きな心の支えになったことと思います。

私自身も新聞、雑誌があまりにも書きたてるので或るいはと疑いを持ったこともありましたが、お蔭で兄への信頼感は揺るぎないものなりました。悪評を書いた著者もこの本を読んで誤りに気づきおいおい廃刊に至るであろう、これで一件落着と思っておりましたが、五十五年には兄も亡くなり、『ある神話の背景』が絶版となった後も岩波書店では『沖縄ノート』などは現在に至るまで版を重ねてたいした修正もなされずに出版されていることを最近になって教えられました。また学校の歴史の教科書にまで『軍命令で集団自決』と書かれていることを知りました。

本土防衛の犠牲となった多くの沖縄の方々のためならと、汚名を忍ぶことで年金が給付されるならと、敢えて沈黙を守った兄の気高い心情が踏みにじられていると感じました。名状し難い心の痛みとともに、虚偽がまかりとおる今の世の中に対して強い怒りを覚えました。
兄の無念を晴らし、後の世に正しい歴史を伝える為にもと今回の提訴を決意しました。
裁判所におかれましては、この想いを受け止めて下さり、公正迅速な審理を遂行していただけますよう、心からお願い申し上げる次第です。

平成17年10月28日

赤松秀一


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