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原告側訴状2005年8月5日

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原告側訴状2005年8月5日





訴    状        
               平成17年8月5日               
大阪地方裁判所 御 中
         原告訴訟代理人
              弁 護 士   松  本  藤  一
              弁 護 士   稲  田  朋  美
              弁 護 士   徳  永  信  一

  別紙原告訴訟代理人目録記載のとおり

謝罪広告等請求事件

訴訟物の価額 金 32,552,000円
貼用印紙額 金 119,000円
予納郵券 金 6,900円

 当事者の表示  別紙当事者目録のとおり


請 求 の 趣 旨


  • 1 被告株式会社岩波書店は、別紙一記載の書籍(「太平洋戦争」)、別紙二記載の書籍(「沖縄問題二十年」)及び別紙三記載の書籍(「沖縄ノート」)を出版、販売又は頒布してはならない。
    • (1) 被告株式会社岩波書店及び被告大江健三郎は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞及び日本経済新聞の各全国版に、別紙四記載の謝罪広告を別紙四記載の掲載条件にて各1回掲載せよ。
    • (2) 被告株式会社岩波書店は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞及び日本経済新聞の各全国版に別紙五記載の謝罪広告を別紙五記載の掲載条件にて、別紙六記載の謝罪広告を別紙六記載の掲載条件にて各一回掲載せよ。
    • (1) 被告株式会社岩波書店は、原告らに対し、各金1000万円及びこれに対する本訴状送達の日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
    • (2) 被告大江健三郎は、原告らに対し、各金500万円及びこれに対する本訴状送達の日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  • 4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに第3項につき仮執行の宣言を求める。


請 求 の 原 因


第1 当事者

  • 1 原告梅澤裕(大正5年12月21日生)(以下「原告梅澤」又は「原告梅澤少佐」という)は、第二次世界大戦中の沖縄戦において米軍が最初に上陸した慶良間列島の座間味島で第1戦隊長として米軍と戦った陸軍士官学校(52期)出身の元少佐である。
  • 2 原告赤松秀一(以下「原告赤松」という)は、同じ沖縄戦において慶良間列島の渡嘉敷島で第3戦隊長として米と戦った陸軍士官学校(53期)出身の元大尉である故赤松嘉次(大正9年4月20日生・昭和55年1月13日死亡)(以下「赤松大尉」という)の弟である。
  • 3 被告株式会社岩波書店(以下「被告岩波書店」という)は、1913年創業の各種図書の出版と販売等を業とする会社であり、別紙一、二、三記載の書籍(以下「本件書籍一」「本件書籍二」「本件書籍三」、又は、「太平洋戦争」、「沖縄問題二十年」、「沖縄ノート」という)の出版を行っている。 
  • 4 被告大江健三郎(以下「被告大江」という)は、文学賞である芥川賞、ノーベル文学賞を受賞した作家であり、日本文芸家協会及び日本ペンクラブの理事であり、本件書籍三「沖縄ノート」の著者である。

第2 沖縄戦と座間味島・渡嘉敷島における集団自決


1 昭和16年12月に日本軍の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争は、

昭和17年6月のミッドウエー海戦を機に日本軍が劣勢となり、昭和19年6月米軍がサイパン島に上陸した。日本軍がサイパン島を喪失すれば、米軍の長距離爆撃機による日本本土の直接爆撃を可能とすることから、島を守るために激しい戦闘が繰り広げられたが、昭和19年7月サイパン島は陥落した。 昭和19年10月、フイリピンでのレイテ作戦が遂行され日本軍の反撃が試みられたが、昭和20年2月には遂に米軍の硫黄島上陸を許し、次の米軍の攻撃は台湾か沖縄に向かうと予想される状態にあった。

2 昭和19年3月南西諸島を防衛する西部軍指揮下の第32軍が編成され、

サイパン陥落前後の同年6月頃から実戦部隊が沖縄に駐屯を開始し、同年10月頃までに沖縄に配備された守備軍は第9師団(満州の牡丹江から編入した部隊)、 第24師団(満州の旭川第7師団を編成替えした北海道出身者中心の部隊)、第62師団(華北で編成され、京漢作戦などに参加した近畿・北陸出身者中心の部隊)、独立混成第44旅団、砲兵部隊、海軍の沖縄方面根拠地隊などであった。これら沖縄守備軍・第32軍は「球部隊」(たまぶたい)と呼ばれていた。

3 昭和20年3月23日から沖縄は米軍の激しい空襲にみまわれ、

24日からは艦砲射撃も加わった。米軍の最初の目標は、沖縄本島の西55キロメートルに位置する慶良間諸島の確保であった。慶良間海峡は島々によって各方向の風を防ぎ、補給をする船舶にとっては最適の投錨地であった。

米軍の慶良間諸島攻撃部隊はアンドリュー・D・ブルース少将の率いる第77歩兵旅団であり、空母の護衛のもと上陸用舟艇で上陸作戦にのぞんだ。作戦の狙いは沖縄本島総攻撃に備え、水上機基地と艦隊投錨地の確保と神山島を占領し、沖縄上陸の援護砲撃をすることであった。

4 慶良間列島には座間味島、渡嘉敷島、阿嘉島などがある。

昭和19年9月、座間味島には原告梅澤少佐が指揮する海上挺進隊第1戦隊が、阿嘉島と慶留間島には野田義彦少佐の指揮する海上挺進隊第2戦隊が配備されていた。そして渡嘉敷島には赤松大尉が指揮する海上挺進隊第3戦隊が配備された。海上挺進隊はベニヤ板製の小型舟艇に120キログラム(3秒瞬発信管使用)の爆雷2個を装着し、速力20ノットで、敵艦隊に体当たり攻撃して自爆することが計画された海の特別攻撃隊である。しかし、結局、出撃の機会はなく舟艇を自沈させた後は、海上挺進隊はそれぞれ駐屯する島の守備隊となった。

5 原告梅澤少佐の守備する座間味島と、赤松大尉の守備する渡嘉敷島で

米軍の攻撃を受けた昭和20年3月25日から28日にかけてそれぞれ座間味島の村民及び渡嘉敷島の村民の多くが集団自決による凄惨な最後を遂げた。

第3 本件各書籍における原告梅澤・赤松大尉による集団自決命令の記述


本件書籍一「太平洋戦争」と本件書籍三「沖縄ノート」は、下記のとおり、原告梅澤少佐が座間味島で自決命令を出して多くの村民を集団自決させたと記述しており、本件書籍二「沖縄問題二十年」と本件書籍三「沖縄ノート」は、下記のとおり、赤松大尉が渡嘉敷島で自決命令を出して多くの村民を集団自決させたと記載している。

これらの書籍は、広く公衆の読書・閲覧に供されているところ、多くの読者は、かかる記述を事実と誤信する結果になっており、もって原告らの名誉は甚だしく毀損され、その人格権は著しく侵害されているのである。  

1 原告梅澤の集団自決命令の記述


(1)「太平洋戦争」における集団自決命令に関する事実摘示
a 本件書籍一「太平洋戦争」は、その300ページ8行目から、
「座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った。」
と記述している。
b 前記記述は、
原告梅澤少佐が座間味村民に忠魂碑の前で集団自決を命じ、さらに生き残った島民の食糧をも取り上げ命を奪ったという事実を摘示している。 

(2)「沖縄ノート」における集団自決命令に関する事実摘示
a 本件書籍三「沖縄ノート」は、その69ページ10行目から、
「慶良間列島において行われた、7百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題はこの血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人に向かって、なぜおれひとり自分を咎めねばならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうであろう」
などと記述している。    
b 思うに、
「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」

「血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」
といった記述からは、座間味島における集団自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたことがうかがえるところ、 座間味島の守備隊長が原告梅澤少佐であることは日本の現代史を研究するもの及び原告梅澤少佐を知るものならばだれでも知っている事実である。

すなわち、本件書籍三「沖縄ノート」の69頁10行目以下の文章は、原告梅澤少佐についてのものであり、原告梅澤少佐が村民に対する集団自決命令を下し、沖縄の民衆の死を「抵当」に生きのび、沖縄に向けてなにひとつ贖っていないという事実の摘示をしたものである。

【引用者註】大江氏の文脈上でその比喩的な表現を理解するにはもう少し広い引用が必要かと思います。参照:抜粋「沖縄ノート」「沖縄ノート」"Ⅲ-多様性にむかって"より(未作成)  

2 赤松大尉の「集団自決命令」の記述


(1)「沖縄問題二十年」の「集団自決命令」に関する事実摘示
a 本件書籍二「沖縄問題二十年」は、その4ページ13行目から、
「だが、立ちあがることもなければ、闘うこともなく、民衆を殺しただけの軍隊もあった。ほとんどすべての沖縄戦記に収録されている、慶良間の赤松隊の話がもっとも顕著な例である。那覇港外に浮かぶ慶良間列島は晴れた日には、琉球大学のある丘から一望のもとに見渡せる美しい島々で、戦前は鹿の住み家として知られていた。この慶良間列島の渡嘉敷島には、赤松大尉を隊長とする海上特攻隊130名が駐屯していた。この部隊は船舶特攻隊で、小型の舟艇に大型爆弾2個を装備する人間魚雷であった。だが、赤松大尉は船の出撃を中止し、地上作戦をとると称して、これを自らの手で破壊した。そして住民約3百名に手榴弾を渡して集団自決を命じた。赤松大尉は、将校会議で、『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで闘いたい。まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残ったあらゆる食糧を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態は、この島に住むすべての人間に死を要求している』と主張した」
と記述している。
b この記述は、
赤松大尉が渡嘉敷島の村民に対して集団自決命令を下し、多くの民衆を殺したという事実の摘示をしたものに他ならない。

(2)「沖縄ノート」の「集団自決命令」に関する事実摘示(その1)

a 前述したように、本件書籍三「沖縄ノート」は、その69ページ10行目から、
「慶良間列島において行われた、7百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題はこの血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人に向かって、なぜおれひとり自分を咎めねばならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうであろう」
と記述している。

「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」

「血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」
という記述からは、渡嘉敷村での集団自決命令が渡嘉敷島の守備隊長から出されたものであることがうかがえるところ、渡嘉敷島の守備隊長が、赤松大尉であったことは現代日本史に詳しい者及び赤松大尉を知る者ならばだれでも知っている事実である。

したがって、本件書籍三「沖縄ノート」の69頁10行目以下の文章は、赤松大尉について言及するものであり、赤松大尉が集団自決命令を下し、沖縄の民衆の死を「抵当」に生きのび、沖縄に向けてなにひとつあがなっていないという事実を摘示するものであることは明らかである。



(3)「沖縄ノート」の「集団自決命令」に関する事実摘示(その2)
a 本件書籍三「沖縄ノート」は、その208頁1行目から、
「このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民初め数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の深いところを、息も詰まるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守備隊長が、かって《おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい》と語っていたという記事を思い出す時である。

おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ、そしてかれは那覇空港に降りたったのであった。」
と記述している。

b 思うに、
「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」

「『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」

「戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたと報じた」
との記述が、渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉に関するものことであることは、日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、したがって上記記述が、赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して集団自決命令を下したという事実の摘示、或いは、これに基づく意見論評であることは論を待たない。

【引用者註】大江氏の文脈上でその比喩的な表現を理解するにはもう少し広い引用が必要かと思います。参照:抜粋「沖縄ノート」「沖縄ノート」"Ⅸ-「本土」は実在しない"より(未作成) 


(4)「沖縄ノート」の「集団自決命令」の事実摘示(その3)
a 本件書籍三「沖縄ノート」は、その210頁4行目から、
「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうことは、あまりにも巨きい罪の巨塊の前で、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、次第に希薄化する記憶、歪められた記憶に助けられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。1945年の感情、倫理感に立とうとする声は、沈黙に向かってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。

本土においてすでに、おりはきたのだ。かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。かれにむかって、いやあれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。それは具体的には追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたちも本土からの武装した守備隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追求の手が27度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き、善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。おりがきたら、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、そのおりがきたとみなしたのだ。

日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ。ひとりの戦争犯罪者にもまた、かれ個人のやりかたで沖縄をねじふせること、事実に立った異議申立ての声を押しつぶすことがどうしてできるのだろう?あの渡嘉敷の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったのではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の、まったく同一のかたちでの再現の現場に立ちあっているのである」
と記述する。

b 思うに、
「慶良間の集団自決の責任者も」

「渡嘉敷島に乗りこんで」

「渡嘉敷島で実際におこったこと」

「あの渡嘉敷の『土民』のようにかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だった」
という記述が、渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉のことを指すものであることは、日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、したがって前記記述は、赤松大尉が渡嘉敷島の村民に対して集団自決命令を下したという事実を摘示し、これに基づいて意見論評するものであることは明らかである。



3 本件各書籍の記述による名誉毀損等の不法行為

以上述べてきたところから明らかなように、本件書籍一「太平洋戦史」、本件書籍二「沖縄問題二十年」、同三「沖縄ノート」を読むものの大多数は、座間味島で集団自決命令を下した守備隊長が原告梅澤少佐であり、渡嘉敷島で集団自決命令を下した守備隊長が赤松大尉であり、両隊長は、そのような残酷な命令を出して無辜の島民の多数を強制的に死なせながら、自らは生き延びた非道で卑劣な人物であると認識することになる。

本件各書籍における上記各表現が、原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損するものであることは明らかであり、更には原告赤松も赤松大尉の弟としての立場と宿縁から、その固有の名誉を害されてきたことは疑いを容れる余地がない。

とりわけ、本件書籍三「沖縄ノート」は、渡嘉敷島の村民集団自決が赤松大尉の命令によるものであると断定的に決めつけたうえ、これを前提にして赤松大尉を「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべきであったろう」といった最大限の侮蔑を含む人格非難を執拗に繰り返すものであり、しかもそれが高名なノーベル賞作家である被告大江が著述したものであることから、今日でも広く社会に影響を及ぼしており、原告赤松は、かかる赤松大尉の人格を冒涜し尽くす故なき誹謗表現により、実兄である赤松大尉に対して抱いていた人間的な敬愛追慕の情を著しく侵害されたものである。

本件各書籍における前記各表現が原告らの名誉その他の人格的利益を違法に侵害し、原告らに筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を与える不法行為であることは明らかである。

第4 集団自決命令は架空だった


今日では、座間味島と渡嘉敷島のいずれにおいても、以下のとおり、日本軍による集団自決命令がなかったことが明らかになっている。    

1 原告梅澤少佐による座間味島の集団自決命令について


(1)事実

昭和20年3月25日に米軍の攻撃があった際、座間味村の幹部5人が原告梅澤少佐を訪ね、「集団自決させて欲しい、駄目なら手榴弾が欲しい。小銃があるから実弾を下さい。」と懇願したが、原告梅澤少佐に「生き延びてくれ、弾薬は渡せない」と拒絶された。しかし、村民らは、原告梅澤少佐の説諭にもかかわらず、次々と集団自決を決行し、凄惨な最期を遂げた。

これが事実である。     

(2)証言者ら

原告梅澤少佐に弾薬供与を懇願に行った5人のうちで生き残った女子青年団長は、一時期部隊長の集団自決命令があったと証言し、その後、原告梅澤に対し、部隊長の自決命令はなかったと謝罪している。

また、自決した助役の弟は、座間味島の戦没者、自決者の補償交渉に当たる座間味村の担当者となり、原告梅澤少佐による自決命令があったと証言していたが、昭和62年3月28日、座間味島を訪ねた原告梅澤に「勝手に隊長命令による自決とした事はすみませんでした」と謝罪している。   

(3)新聞報道

原告梅澤少佐の集団自決命令については、神戸新聞が昭和60年7月30日、同61年6月6日付紙面で、それが架空のものであったことを報道し、同62年4月18日では「遺族補償を得るために『隊長命令に』」とその真相を報道し、さらに東京新聞は昭和62年4月23日「大戦通史 勇気ある訂正」「弟が証言補償得やすくするため」と報じた。  

2 赤松大尉の集団自決命令と曽野綾子著「ある神話の背景」について


渡嘉敷島における赤松大尉による集団自決命令があったという世間に流布された風聞に疑問をもった作家・曽野綾子は、現地に足を運び、関係当事者に直接取材するなどの徹底した調査を行い、昭和48年に文芸春秋社から出版された「ある神話の背景」を著述し、赤松大尉による集団自決命令があったことを支持する証拠がないことを明らかにした。

その後、今日に至るまで、赤松大尉による集団自決命令に関わる前記風聞を裏付ける何らの証拠も現れていない。

第5 原告らの蒙った損害とその回復


本件書籍一「太平洋戦史」、同三「沖縄ノート」の原告梅澤少佐に関する前記記述は、虚偽の事実を摘示して原告梅澤の社会的評価を著しく低下させ、その名誉を甚だしく毀損し、もって原告梅澤の人格権を侵害し、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を与えた。

本件書籍二「沖縄問題二十年」、同三「沖縄ノート」の赤松大尉に関する記述は、虚偽の事実を摘示して原告赤松の社会的評価を著しく低下させ、その名誉を甚だしく毀損してその人格権を侵害したうえ、原告赤松が実兄・赤松大尉に対して抱いていた人間らしい敬愛追慕の情を内容とする人格的利益を回復不能なまでに侵害した。

被告岩波書店は本件書籍一、同二、同三の発行者であり、被告大江は本件書籍三「沖縄ノート」の著者であり、共に原告らに対する名誉等の人格権侵害について不法行為責任を負うべきものである。

原告らの名誉回復と精神的苦痛を慰謝するためには、被告同岩波書店は本件各書籍の記述に対して訂正、謝罪広告を掲載し、原告らに慰謝料の支払いをする必要があり、被告大江は本件書籍三「沖縄ノート」の記述に対して訂正、謝罪広告を掲載し、原告らに慰謝料の支払いをする必要がある。

よって、原告らは、人格権(名誉権)に基づき、被告岩波書店に対し請求の趣旨第1項記載の本件書籍一、同二、同三の各出版、販売、頒布の差止めを求めるとともに、民法709条、同719条及び同723条に基づき、原告らの名誉回復の適当な措置として、被告岩波書店と被告大江に対し、請求の趣旨第2項記載の各謝罪広告の掲載を求め、民法709条、同719条及び同710条に基づき、被告岩波書店及び被告大江に対し、請求の趣旨第3項記載の慰謝料の支払い(原告らに対する各金500万円の限度で被告らは共同不法行為に基づく連帯責任)を求めて本訴に及ぶ。


添 付 書 類


1 除籍謄本     2通
2 商業登記簿謄本  1通
3 上申書      1通
4 訴訟委任状    2通

以 上

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