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一七 あるドイツ人の証言

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一七 あるドイツ人の証言

 さきの記事で、アベンドは、南京から記者・カメラマンが去ったのちは、市内にとどまったアメリカ人、ドイツ人こそが南京大虐殺を世界に告発する証言者となることを予告した。このこともその後の歴史において事実となった。一九三八年の一月末から南京残留の外国人に対する「軟禁状態」も緩和され、城外への移動もある程度許されるようになった。この機会に南京を出た外国人によって大虐殺の実態が語られ、英字新聞・雑誌で報道されるようになった。今回調べた新聞・雑誌では、二月三月にそうした記事が多かった。

 ここに紹介するのは、南京に残留したドイツ人が上海に移ってから漢口の友人に送った手紙の一部である。カリフォルニア大学(バークレー校)の総合図書館で見たパンフレット『南京における日本軍の暴行を目撃した外国人』(一九三八年二月、漢口発行)に収められていた『漢ロヘラルド』の記事の抜粋である。

 漢口のある武漢地区は、南京陥落以後しばらくは、中国の事実上の首都の機能を果たしていたところである。

 当時日本と防共協定を結び、同じファシズム国家として同盟関係にあったドイツ人さえ、このよう

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に告発しているのである。「勝利者の優越感」をもったアメリカ人だけが南京大虐殺の証言者なのではないという意味で重要であろう。

南京在住のドイツ人、日本軍による首都の凄まじい破壌を語る

(『漢ロヘラルド』一九三八年二月十九日、抜粋)

 南京のビジネス街の八○%が放火され、住宅地区の高級住宅の二〇ないし三〇%は完金に倒壌した。

 この情報は、当地に住むドイツ人が受けとった手紙に書かれていた。差出人は、南京における「監獄よりも制約を受ける生活」に別れを告げて、最近上海に着いた彼の友人である。

「十二月十三日、日本軍が入城するなり、南京に恐怖の統治が布かれた。略奪は、またたくまに全市域に及んだ。南京市民に対する日本軍の虐殺行為は、傍若無人に二週間統いた。住宅地区はことごとく日本軍の捜索にあい、たとえどのようなことでも中国兵を助けた民間人はいなかったー神のみ前にて真実であることを誓います―のに、下関(長江沿岸)だけでも五千人から六千人の民間の男性たちが冷酷にも射殺された。

 罪のない非戦闘員たちが、略奪者らの銃剣で刺し殺されるのを目撃した。数千人がこのように冷たんに虐殺された。強姦されて殺された婦人の数は推し量ることもできないくらいだ。----南京市郊外でも略奪は免れなかった。極貧の者たちさえ略奪の憂き目にあった。」

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