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3-02 棄てられた従軍慰安婦たちはその後どうなったのか…

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pipopipo555jp

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3-02 棄てられた従軍慰安婦たちはその後どうなったのか…


  残念ながらわからない。一九五九年(S34)マニラ市内の料理屋で朝鮮なまりの現地語を使う女性に出会ったという元陸軍パイロツト出身で航空会社役員をしていた人の話、バンコク郊外の街で華僑と結婚している元朝鮮人従軍慰安婦と思われる婦人に会った新聞記者の話が伝えられているが、もしそれに間違いなければ敗戦後の混乱のなかを生き残った数少ない事例だろう。

  沖縄でも一人だけ戦後を生きぬいた朝鮮人従軍慰安婦がいたことはその回顧談とともに記憶に新しいが、沖縄戦を前に沖縄各地へ送り込まれた他の朝鮮人従軍慰安婦のことはいっさい不明だ。

  敗戦直後の中国雲南省昆明(こんめい)市の俘虜収容所に十数人の朝鮮人従軍慰安婦が収容されていた事実も報告されているが、彼女らは地理的関係からみてビルマになだれこんだ中国軍がそこで保護したものらしいという。その俘虜収容所はなぜか米軍が管理しており、その一人ひとりの調書を米軍はとっていた。最近米国からの資料で発見されたというビルマ地区の日本軍従軍慰安婦関係文書はこのときのものだったらしい。日本軍が敗走のさい棄ててきた従軍慰安婦のなかには少数ながらこうして中国軍や米軍に救出されたのもいたということだ。この昆明俘虜収容所に収容された朝鮮人従軍慰安婦はやがて重慶(じゅうけい)にいた朝鮮人グループがうけとりに来たという。

  "満州"や華北地区にいた朝鮮人従軍慰安婦のなかには日本の敗戦とともに解放された祖国へ帰っていった者もいたが、祖国にもどってもこんな体でいまさら生まれた家に足をむけられるかとなっていったという。




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