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15年戦争資料 @wiki

2-10 従軍慰安婦のなかには日本人従軍慰安婦がいたとのことだが この女性たちと朝鮮人従軍慰安婦のあいだに差別はなかったのか…

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2-10 従軍慰安婦のなかには日本人従軍慰安婦がいたとのことだが この女性たちと朝鮮人従軍慰安婦のあいだに差別はなかったのか…


  日本人従軍慰安婦は、貧しい農村などから売春業者に前借という形で買われ運よく体をこわすことなく十年十五年働き借金を返したのがほとんどで、したがって年齢も高い。そのなかでも比較的に若いのは将校専用にされあとは朝鮮人従軍慰安婦と一緒に慰安所で兵隊の相手をさせられたが、日本人従軍慰安婦はそこで一番奥の上等な部屋をとっていたという。

  ただしそれは日本人従軍慰安婦がいいだしたのではなく、朝鮮人従軍慰安婦のほうから「お姐(ねえ)さんどうかこちらへ」とそうしたらしい。長い植民地支配のなかで差別されつづけてきた習性がそこにあったのではないかと思ったりする。

  もっとも日本人従軍慰安婦の多くは「お互い落ちるところまで落ちたのだから何もかも一緒よ」と朝鮮人従軍慰安婦と別け隔てなく日常生活を送っていたという。前に話したビルマの北端から中国領雲南省騰越地区で歩兵第百四十八連隊が玉砕したとき「あんたたちそこまですることないわよ」と玉砕前に朝鮮人従軍慰安婦を逃した日本人従軍慰安婦がいた、とたった一人玉砕からまぬがれた同地区龍陵(りゅうりょう)守備隊員は語っていた。日本人従軍慰安婦は日本内地で若いときから遊廓で働かされ一般人から「共同便所」などといわれ、侮蔑、差別をうけてきた人たちだった。だからこそそうした言葉が出てきたのではないだろうか。

  いっぽう話したように慰安所は昼間が下士官兵の時間、夜間は将校の時間だった。その将校も高級将校は特別の日本人従軍慰安婦を集めた高級慰安所だったから下級将校ということになるが、このなかには相手が朝鮮人従軍慰安婦だといとなみが終ると寝台の下に蹴落とし床に寝かせ、再び求めたくなると足で蹴とばして起こし寝台の上にあげ終るとまた床へ蹴落とす者がいたという。もちろんすべての将校がそうではなかったが、この行為の底に侮蔑、差別の意識があったのは事実だろう。

  それより何より日本人の一般女性から騙しや強制連行で従軍慰安婦にした事例はないのに、朝鮮半島からかくも大量に一般朝鮮人女性を従軍慰安婦にしたのは超差別だろう。朝鮮人には何をしてもいいという民族差別が間違いなくそこにあったことを忘れてはならない。



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