2-05 慰安婦の逃亡はなかったのか…
いま話した"満州"の孫呉の場合は「子連れの慰安婦がいては軍紀の維持上好ましくない」と慰安所から放逐(ほうちく)つまり追い払われたわけだが、そこには"満州"に同じ朝鮮人の多く住んでいたという事情もあったのだろう。身を寄せる場所があるだろうという判断だ。また故郷にも近いからということもあったのだろう。しかし当時の日本内地の遊廓で働かされていた売春婦も同じだが、売春婦になった、もしくはならされた女性はまず故郷にも生家にも帰れなかった。したがって従軍慰安婦で逃亡した例はまずなかったといわれている。
なにより"満州"のような土地は別にし、まわりはすべて敵という所では、逃げても生命の保証などないし軍の監視が厳しいから不可能に近かった。ただし華北戦線の警備地域、つまりこちらから積極的攻勢にでないことになっている地域では、何ヵ月ものあいだ同じ土地に滞在するものだから従軍慰安婦と恋愛関係になる兵隊が出て手をとりあい逃亡した例が何件かあったようだ、
前にふれたビルマや東南アジア地域、とくに太平洋の島々ではたとえ逃げようと思っても不可能だった。このことは戦場に送られた兵隊たちも同じで、華北地区では戦闘中に八路(パーロ)32)とよばれた中共軍の俘虜(ふりょ)になりそこから逃げ出してきた者すら銃殺とされた事例が少なくなかったりしたから、逃亡はまず考えられなかった。
- 32) 八路=八路軍(ぱーろぐん)
- 中国国民革命軍第八路軍の略称。日中戦争における中国共産党軍の主力部隊。