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2-04 妊娠させられた慰安婦もいたのか 中絶手術などしなかったのか…

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pipopipo555jp

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2-04 妊娠させられた慰安婦もいたのか 中絶手術などしなかったのか…


  妊娠させられた慰安婦の数は不明だが各地でいたことをこれも数人の軍医が語ったり書き残している。

  青森市に住まわれビルマのインドウにあったビルマ方面軍第百二十四兵站病院へ配属された花田二徳元軍医の書かれたものによると「近くの竹藪に朝鮮人慰安婦で妊娠しているらしいのがいるので診てやってくれ」と頼まれ出かけてみると妊娠四ヵ月だった。

  本人がそこまで気がつかなかったのは性知識にうとかったためだったが直ちに中絶手術をしてやろうとした。ところが病院長に「ここは軍隊でお前は大日本帝国の軍医だぞ」と叱りとばされた。

  理由の一つは軍医が対象とするのは軍人軍属にかぎられ従軍慰安婦はそのいずれでもないこと、いま一つは当時の日本では格別の理由、医学的に的に中絶しないと母体があぶないときにと法律で定められ、それ以外の理由で中絶手術をすることは禁じられていた。法をやぶれば堕胎罪(だたいざい)31)として刑法にふれ罰されることになっていた。一種の国禁である。

31) 堕胎罪(だたいざい)
胎児を故意に殺したり、早産させるなど、胎児の生命を危険にさらすことの罪。刑法二一二条以下に規定されている。

  大日本帝国陸軍の兵站病院でそんなことが許されるかということである。"満州"の孫呉(そんご)にあった玉兵団司令部の軍医部にいた元川崎の某公立病院の院長も同じことを経験されている。「軍の所轄外のことで処置する必要なし」と放置することを命じられている。

  ビルマのような野戦地区で彼女のその後は伝わっていないが、孫呉の慰安所の朝鮮人慰安婦の場合は結局赤ン坊を背中にしばりトランクをさげどこかへ消えていったという。

  ラバウルのココポでは前に話した麻生軍医が自分の判断で五ヵ月の慰安婦の中絶手術をおこなったことを語っているが、手術の途中で空襲があり手術場は潰滅し手術器具も四散したので手術は中止、その慰安婦をトラック島へむかう輸送船にのせ、そこの軍医に後事をたくしたという。だがこの輸送船はトラック島入港直前に米海軍の潜水艦に撃沈され全員が水没戦死した。

  とにかく各地で同様なことがあったことは間違いない。麻生軍医の場合は上司に報告することなく独断で手術にかかったが、もし上司が知ったら処罰をうけたはずだ。



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