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第6 朝鮮人戦時労働力動員の一般朝鮮人の受け止め方

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第6 朝鮮人戦時労働力動員の一般朝鮮人の受け止め方


  このような末端にまでわたる支配体制と強権的な警察支配、マインド・コントロール、経済的要因にもかかわらず、朝鮮人戦時労働動員は朝鮮民衆に幅広く受け入れられたのではない。むしろ、これを忌避するための様々な抵抗闘争が繰り広げられた。日本に朝鮮人労働者を送り出す徴用の際、出頭命令を発行したが、1944年新義州で行われた兵庫県川崎重工業特殊工場へ動員される際には、出頭命令にもかかわらず不出頭者が1/3弱にも上った。中には、徴用を拒否するために「供出されて死すよりこれを免れ父母、妻女と共に生活する方法を考えjて左手を切断したことを報告している例もある(山田、古庄、樋口『朝鮮人戦時労働動員』144頁)。また、慶尚北道慶山郡南山面では集団で相談し、朝鮮人面書記と面技手が指導者となって、小作人を中心に29名が山にたてこもり、徴用忌避を行ったとの報告もされている。当時の朝鮮において民衆が日本政府による徴用に対して広範な抵抗を行っていたことがわかるのである。



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