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一四 外国人記者の報遣記事

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一四 外国人記者の報遣記事

 昨夏〔一九八四年〕スタンフオード大学とカリフォルニア大学(バークレー校)を訪ねて英字新聞・雑誌の記事を調べたのは、さきの三つ目の作業、つまり南京残留外国人の証言資料調査の第一歩であつた。短期間の滞在であつたうえに、本来の目的である私の専門の中国五・四運動に関する史料調査の合い間にやった作業なので、とても十分とはいえないが、それでもかなりの記事を探すことができた。ということは、腰を据えて本格的に調査したなら、関連資料はまだまだ収集できるはずだ。

 今回集めた英字新聞・雑誌の記事は、いずれ資料集のかたちにまとめたいと思っている。乏以下には、南京犬虐殺はすでに当時から報遣されていたという数例を紹介したい。

 まず、日本軍の南京占領直後の十二月十五日まで南京にとどまっていた外国人記者による報遣である。『ニューヨーク.タイムズ』のダーディンの記事は、一九三七年十二月十八日付と、三八年一月九日付の二つが、洞富雄『日中戦争史資料9』に翻訳紹介されている。とくに後者は、「中国軍参謀本部の逃亡による陥落南京にしるされた日本軍の大虐殺(アトロシティー)」(JapaneseAtrocities Marked Fall of Nanking After Chinese CommandFled)の大見出しをつけた、横八段の一紙面を埋めつくした大スクープ記事である。「南京侵略軍二万人を処刑」「日本軍による集団虐殺一般市民を含めた死者三万三〇〇〇」「征服者の無軌道なふるまい」「蛮行によってしみこまされた根深い憎しみ」といった中見出しからも、内容は想像できよう。

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 命がけで包囲戦下の南京にとどまったダーディンは、パナイ号撃沈のため、取材遺具を失ったうえに、結果的に南京での取材を断念させられて上海に「送還」となった。そうした障害・妨害をはねのけてのスクープであった。

 この記事が『ニューヨーク・タイムズ』に載った一月九日には、ダーディンは漢口にいた。そこには日本軍占領下の南京を逃れてきた中国人(とくに中国軍将校・兵士)がかなりいた。漢口におけるダーディンの取材活動も今後調べてみたい課題である。

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