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1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…

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pipopipo555jp

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1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…


  ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。

  同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。

  あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場における兵隊は動くのをみたら先に殺す、死にたくなかったら相手を先に殺せという状況のなか誰しも一過性精神異常者となる。理性もどこかへ吹き飛んでしまう。そこで一会戦が終るとギリギリまできた将兵を太平洋戦争の場合はオーストラリアのシドニーとかハワイのホノルルヘ送りかえし新手の部隊を戦場へ投入していた。

  それはそれだけ輸送力があり兵員にもゆとりをもって戦争へのぞんでいたということだが、日本軍にそんなゆとりはなかった。そこで一過性精神異常者対策は女をあてがうことだという当時の軍幹部の発想から戦場へ女を連れてこようとしたが、尋常の手段でそんな大量のしかも売春のみを目的とする女が集まるはずがない、かくて生まれた制度と存在だった。


27)山東出兵(さんとうしゅっぺい)
[第一次 一九二七(昭和2)年、第二次、第三次 一九二八(昭和3)年]
中国国民政府は、一九二六年蒋介石率いる国民革命軍の北伐を開始し、北京を目指した。中国民衆はこれを支持し、反帝国主義運動が盛んになっていった。

これを阻止しようとした日本政府は、山東省の在留邦人の生命財産保護を理由に約二千名を青島(チンタオ)に派遣し、さらに済南に進出した(=第一次山東出兵)。山東省に接近していた国民革命軍はこの日本の出兵に北上を妨げられ、ついに中止を余儀なくされた。

しかし、一九二八年、蒋は北伐を再開し、山東省に進出した。日本政府は再び約五千の兵を送り込み市街戦となった。激戦の末、日本軍は済南城を攻略したがこの戦いで国民軍は四千人以上が死傷した。

さらに翌日約一万五千の兵を送り込んだ日本政府は山東を占領した(第三次山東出兵)。



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