1-12 慰安婦にさせられたのは朝鮮人・韓国人だけだったのか…
発足当初に約一割の日本人女性がいたことは語ったとおりだ。これは日本内地の貧しい農山村などから前借金で遊廓に売春婦として買われ、十数年かけなんとか前借金を返済したものの今さら古里の家にもどることもできない女性だったが、残りのすべては朝鮮人・韓国人だった。
従って朝鮮人・韓国人がほぼすべてといっていいけれど、一九三八年(S13)の徐州会戦から戦場が急速にひろげられ漢口(かんこう)、武昌まで手をのばしたらその補給が間にあわなくなった。投入された将兵の数もぐっと増えていった。そこで武装した兵隊を近郊の農村地帯へ送り、慰安婦刈りをやりた部隊もでてきた。つまり中国人も慰安婦にしていったということだが、"大東亜戦争"のときこの中国人従軍慰安婦を東南アジア戦線まで連れていった話も残っている。
フィリピンのダバオでも同じようなことがやられた。台湾やビルマでもあった。しかし圧倒的に多かったのは朝鮮人・韓国人だったのは間違いない。ダバオの場合は敗戦まぎわだが、フィリピン人の農村を襲い男を皆殺しにし、年ごろの女だけを連行したと証言する人もいる。