15年戦争資料 @wiki

1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン


1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…


  正確な数はわからない。関特演のときの関東軍司令部で補給を担当する軍司令部第三課の課長だった原善四郎元中佐の計算によると、朝鮮半島から連行したものだけで約八万人だろうとある。関特演を前に"満州"に集中した八十五万人の将兵へどれくらいの従軍慰安婦を動員すればよいかを算出した人だ。

  そのとき二万人という数を出した。これは一九三八年(S13)初めから一九四一年夏までの中国戦線の状況をみていくと、兵隊三十五人から四十五人、平均すると四十人に一人の割合で従軍慰安婦をあてがっておけば、戦場における兵隊を鎮静化させることができるという公式のようなものがあったからだという。八十五万人にはしたがってこれくらいでいいだろうとしたというのだ。

  同元中佐によると、戦場における下士官兵の欲求度、さらに従軍慰安婦を買う料金は下士官兵で二円だったが兵隊の俸給(ほうきゆう)額23)から考えてみても、ほぼこの数で充分だと補給担当参謀のあいだでなっていたという。それは半月に一度の利用ということだった。

  この四十人に一人の比率を"支那事変"初期から"大東亜戦争"期間中に動員した将兵数にあてはめると、連行された全従軍慰安婦はほぼ九万人という数字が出てくる。従って総数約九万人だろうというのだ。

  いっぽう従軍慰安婦をいっきょに大量に動員する草刈り場は朝鮮とされていたが、関特演の経験と実績からしてその数、つまり朝鮮人従軍慰安婦の数は約八万人だろうとされていた。二日がかりで計算して下さったのちの数だ。残りの一万人は中国人、ビルマ人、フィリピン人に日本人ということだ。

  しかし考えるまでもなく八万人という数は大変な数だ。まして初めは騙しでついで強制連行でとなれば大変なことだ。どのように非難されても仕方はない。


23)俸給(ほうきゅう)
官吏(かんり=明治憲法のもと国家に対し忠誠をつくして勤務をする人として、特に国家によって選任された者)や、公吏(こうり=公共の事務を行なう人の総称)に国家が支給する給料。広く会社員に支払われる給料のことを指すこともある。




コメント欄

名前:
コメント:

すべてのコメントを見る
目安箱バナー