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1-08 韓国でそのように集められ問題はおこらなかったのか…

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pipopipo555jp

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1-08 韓国でそのように集められ問題はおこらなかったのか…


  はじめの甘言(かんげん)や騙(だま)しをもって連行したころの話ははっきりと残っていないが、挺身隊段階になると数々の悲話や哀話が残っている。徴用令は各村や各町の駐在所の日本人警官が徴用令書をもってあらわれ、手渡されると徴兵令書や召集令状と同じで逃げることは許されなかった。

  親が娘を逃したら警官に拘引19)され、何日か留置のうえ十四円の罰金刑とされた。そのころの朝鮮の農村で十四円は五人家族の三ヵ月分の副食費で、加えて罰金刑という前科歴がついてまわった。

  それを承知で娘を山奥へ逃した親がいた。こっそりその山奥へ食糧をとどけるという約束のうえのことだった。ところが、逃した直後に親は逮捕され留置場へ入れられ、そこで病気になり釈放されたとき歩けなくなりほどなく病死した。日本の敗戦後、たまたま山奥へ入った村人に発見されたとき、その娘は白骨の死体になっていたという話が京畿道(けいきどう)に残っている。

  徴用令書を手渡された娘は三日後に駐在所へ集合することになっていたが、そこで地面に泣き伏し「娘を連れていかないでくれ」と泣いて懇願する母親たちを警官が棍棒でなぐりまくった事実も伝わっている。忠清南道(ちゅうせいなんどう)では警官に列車で連行される途中走る列車から身を投げ自殺した話がある。

  また既婚者は徴用からまぬがれるというので年ごろの娘をもった親は手あたりしだい娘を結婚させた。いささか問題をかかえる男でも徴用され挺身隊員にされるよりはと結婚させた親も少なくなかった。そこで日本の敗戦により独立国となってから離婚騒ぎが各地で大きな社会問題となったりもした。


20) 拘引(こういん)
召喚(呼び寄せること)に応じないなどの被告人、証人、あるいは身体検査を受ける者を一定の場所(警察署や裁判所)に強制的に連行すること。




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