1-05 たった千円で集められたのか…
今でこそ千円は小学生の小遣いだが、当時は大学卒の初任給が六十円かそこらだ。彼女らには夢のような金額だ。これで苦労している両親を楽にしてあげられると応募しても不思議はない。こうして北九州にきて数日で何百人かを集め十二月の末にはもう上海地区に送りこんでいったのだ。当時の軍の輸送船(御用船)には軍人・軍属・軍馬・軍犬・軍鳩しかのせられないとされていたから、彼女らは軍需品、つまり軍用貨物としてのせられたという話も伝わっている。上海に着くとただちに性病があるかどうか軍医の検診がおこなわれた。このとき検診にあたった軍医さんの証言によると一割ていど日本婦人もいたが残りは朝鮮人、しかもその朝鮮人女性の九割は処女だったという。上海地区にあった第十一陸軍兵坊病院の麻生徹男軍医の証言だ。
《引用者註》麻生徹男軍医
- 1938年早春、上海で、陸軍慰安婦第一号の検診をしたという証言
→朝鮮人慰安婦【初めての検査】(「はてなグループ 従軍慰安婦問題を論じる」)