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1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…

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1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…


その歴史的背景


  きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。

  今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出兵9)"、さらに一九三一年(S6)の謀略をもっておこした"満州事変10)"をきっかけに"満州国11)"という植民地帝国をつくった。

  この"満州国"という植民地帝国はソ連(現CIS)と戦争をするための基地だったが、ここを足場に安心してソ連と戦争するためには"満州国"の南に隣接する中国の華北地域を軍事的に支配し安全地帯としておく必要があった。

  そこで一九三七年(S12)七月七日夜、北京郊外の盧溝橋(ろこうきよう)というところで義和団事件12)以来駐屯(ちゅうとん)を認めさせていた日本軍と中国軍との間で小トラブルがおこったのを機に、戦略兵団を侵攻させ華北地域の軍事的占領を始めた。

  やがてそれは華北の資源地帯をも手に入れようとの動きになっていくが、中国を制圧するにはその経済の中心である上海地区も制圧しなければならないとなり、翌八月二十三日上海地区にもどっと戦略兵団を上陸させた。

  ところが、上海地区にいた中国軍は強くなかなか制圧はできない。このなかで十一月五日上海の南にある杭州湾へいまひとつの戦略兵団を上陸させこれによりなんとかその目的を達する見通しを得た。ここで日本の外務省は、ドイツを仲介に中国政府(国民政府13))の間に和平交渉を始めた。そのなかで十一月中旬過ぎ、上海地区の軍事的制圧は完成した。


天皇の勅語


  問題はここからだ。その直後の十一月二十日に昭和天皇が勅語を出した14)。その内容は上海地区にいた陸軍部隊の将兵と中国海岸地帯で作戦をたてていた海軍の支那方面艦隊司令長官に、戦争はここで終りではなく戦争目的を達成するのはまだまだこれからだというものだった。これをうけ上海地区にいた総計十三万五千の陸軍部隊はどっと当時の中国の首
都だった南京へと一大進撃を始めた。

  いっぽう戦場における兵隊の哀れさは、平和に暮しているところを令状一枚で召集され戦場へ投入されるところにある。戦場とは動くのをみたら先にズドンと殺さなければならぬところだ。人間が人問を殺してよいものか、などと考えていたら逆にズドンと自分が殺される。つまり死にたくなかったら相手を殺さねばならぬ狂地だ。この狂地に三日も過ごすと誰もが一過性精神異常者になる。理性15)をなくしていく。

  さらにいっぽう日本の側からするとあの戦争は明らかに侵略戦争だが、中国の側からすると防街戦争だ。防衛戦争の場合お年寄りから婦人や子供まで侵略軍にそれぞれの手段で抵抗してくるから、侵略軍の将兵はこれもまた制圧しなければならない。

  もっというと一国が他国を侵略しようと意図しはじめたときから、その国の権力者は相手国の国民を侮辱し差別する意識を自分の国の国民に植えつける。朝鮮民族に対するそれなど代表的なものだが中国に対しても同様だった。日本民族より一つも二つも下の劣等民族だと教えこまれていた。これらが複合して理性を失った侵略軍の将兵は、暴行行為を相手国の一般国民にもおよぼしていくことになる。

  さらにさらに上海地区から南京へむかった日本軍はこれに加え、「糧ヲ敵ニモトム」で補給のおいつかない食糧は、占領した土地の民家の食糧を徴発という名の掠奪をしつつ進撃することになっていた。これらが一つになり全軍をおおったらどうなるか。


南京占領


  一九三七年十二月十三日南京へ日本軍は突入したが上海・南京間は三百五十キロ、突入した全軍はもう完全な一過性精神異常者だ。別の角度からすると完全な一過性精神異常者にさせられた集団ということだ。この集団がおこしたのが南京大虐殺事件だったともいえる。

  この南京の完全占領は十二月二十二日ごろといわれている。この段階で軍は進められている和平交渉を無視し、南京・上海・杭州湾を結ぶ楊子江デルタ地帯の半永久駐屯をいいだした。

  永久駐屯となると治安維持が不可欠になるが、一過性精神異常をおこしている将兵ではそれは不可能だ。とにかく将兵を鎮静化しなければならない。ではどうすればよいか。ここで考えられたのが慰安所を設け慰安婦をあてがうことだった。

  そこにはシベリア派兵のとき従軍将兵に大量の性病患者を出し、戦傷で病院へかっぎこまれる負傷兵をはるかにこえる入院者をみたという経験があった。そこで軍が管理する慰安所、慰安婦ならその心配はないとする判断もあったという。考えたのは中支那派遣軍と名を変えた上海派遣軍司令部と第十軍司令部の参謀たちとなっている。問題の従軍慰安婦の出発点はここにあったということだ。



5) 南京大虐殺事件(なんきんだいぎゃくさつじけん)
一九三七年十二月、日本軍の南京占領直後、引きおこした略奪暴行事件。捕虜・婦女子を主として、二十万から三十万人の中国人を殺した。

6)日清戦争
[一八九四(明治二十七)年~一八九五(明治二十八)年]
明治維新後初の対外戦争。

一九八四年六月、清国政府は朝鮮政府の要請により、東学党の反乱を鎮圧するために軍隊を派遣するという公文を日本政府に渡した。

東学党の反乱とは、崖済愚(さいせいぐ)が創始した民衆宗教である東学党が、一九八四年、農民を率いて朝鮮南部で起こした峰起である。

日本政府は、清国から公文を受け取る前に出兵の決議をし、六月九日、漢城(ソウル)に軍隊を送り込んだ。

すでに反乱はほとんど鎮圧されていたが政府はそのまま軍隊を駐留させ、ついで清国に対し、共同鎮定と朝鮮政府の共同改革を申し入れた。清国は①内乱はすでに平定したので共同鎮定の必要はない②朝鮮の内政改革は他国が千渉すぺきことではない、という理由で拒否。これに対し、日本政府は同年八月、天皇の名により清国に宣戦布告。翌年二月、清国は降伏し、三月、下関で講和会議が開かれた。

7)日露戦争
[一九〇四(明治三十七)年~一九〇五(明治三十八)年]
ロシア政府が清国政府に出した七箇条の要求が戦争の発端。これが満州の権益をロシアが独占しようとした内容であったため、日本政府は、ロシアに満州の権益と支配権を認める代わりに、韓国では日本が同様の権利を得ることをロシアに認めさせるという対応策をだした。

しかしこの「満韓交換論」の交渉が成立しなかったため、宣戦布告した。

ポーツマス条約では、賠償金なし、樺太(からふと)割譲要求は半分に削られた。しかし、旅順、大連などロシアの租借権(外国領土のある地域を借りて一定の期間自国で統治する権利)を譲り受け、さらに韓国も実質的保護国とした日本は、この戦争で列強にせまる帝国主義国となった。

8)日韓併合条約(にっかんへいごうじょうやく)
一九一〇年、韓国の全統治権を日本に譲渡することを約束した条約。

9)シベリア出兵(しべりあしゅっぺい)
ロシア革命への干渉戦争。一九一八年から数年にわたって日・米・英・仏がシペリアヘ兵を送った。日本軍は七万三千の兵カで東部シペリアの要地を占領するが、一九一九年反革命のコルチャック政権が赤軍に敗北し、千渉は失敗し撤兵。

10)満州事変(まんしゅうじへん)
一九三一年九月一八日夜、関東軍が満鉄線路を奉天郊外柳条湖で爆破し、張学良軍のしわざと主張、全面攻撃となった柳条溝事件によって開始された日本の満州侵略戦争のこと。一九三二年三月「満州国」建国宣言。

11)満州国(まんしゅうこく)
一九三二年三月に、中国東北部につくられた日本の傀儡(かいらい)国家。清朝最後の皇帝溥儀を執政として中国から分離させた。一九三二年九月、日本政府は日満議定書を結んで「満州国」を承認。「満州国」を認めたのはドイツ、イタリアなど数国にすぎず、一九四五年八月、対日参戦したソ連軍に占領され、消滅。

12)義和団事変(ぎわだんじへん)
[一八九九~一九〇〇]
列強の進出に反対して起きた中国民衆の反乱。宗教結社義和団が中心となり、山東省農民間で広まり、河北省に拡大。

13)中国政府(国民政府)
中華民国における国民党の政府。国民革命遂行の過程で成立し、一九二七年、蒋介石が中心となり南京に国民党政府を組織、一九二八年、国民政府と改称。一九三六年、共産党討伐の督励に西安に赴いた蒋介石を張学良が監禁し、内戦停止と抗日を要求し、国共含作が成立した(西安事件)。

第二次大戦後、南京に復帰し、人民解放軍との内戦に敗れ、一九四九年台湾に移った。

14)支那方面艦隊司令長官に賜わりたる勅語
(一九三七年十一月二十日)
支那方面艦隊ハ堅忍力闘(ケンニンリキトウ)事変発生ノ際二善處シ克(ヨ)ク陸軍ト協カシテ上海方面二敵軍ヲ撃破シ或ハ長駆敵ノ要地ヲ衝キテ其ノ航空機ヲ殲滅シ其ノ諸陣営ヲ毀砕シ或ハ支那沿海ヲ掣圧(セイアツ)シテ敵ノ交通ヲ遮断シ以テ皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ朕深ク将兵ノ忠烈ヲ嘉(ヨ)ミス顧(カエリ)ミテ其ノ死傷者ニ及(オヨ)ヘハ寔(マコト)ニ忡怚(チュウダツ)ニ勝(タ)ヘス惟(オモ)フニ前途尚遼遠ナリ爾等益々(ナンジラますます)奮励ヲ加ヘ以テ戦果ヲ完(マツタ)クセムコトヲ期セヨ

15)理性(りせい)
思考する能カ。物事を冷静にとらえ、真偽、善悪を判定する能カ。本能や衝動、感性などと区別され、物事の是非をわきまえて行動する働きを言う。これは他の動物と人間とを区別する特徴である。




コメント欄

  • 現在の知見に立っての批判などをお書きください。 -- (ni0615) 2007-09-30 08:44:32
  • 過去の歴史に対し、
    現代の尺度を用いて「よしあし」を判断してはいけません。
    またそれらを暗に求めるような記述も避けるべきでしょう。
    15番の理性ということに関してのみ違和感を覚えます。
    -- (ココナツ) 2012-10-06 22:44:01
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