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9 ボルネオ島ポンティアナック

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日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―

山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン






9 ボルネオ島ポンティアナック


 1943年9月ボルネオ島の海軍民政部は、日本人がインドネシア人女性及び中国人女性と関係を持
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つことを禁止した(蓄妾禁止令)。1943年12月に、日本海軍将兵、軍属、一般邦人用の4軒の慰安所へ元娼婦だった女性達が集められた。慰安所を6軒に増設した際、特警隊(海軍特別警察隊)が、既に日本人男性と関係を持った経験のある女性達を集め慰安所へ送った64)。記録によれば、4人の女性はスラバヤから来ている。ボルネオの慰安所は、民間邦人が軍に協力する趣旨の報国会が運営していた。当時ボルネオ在住の日本人を尋問した情報を基にして書かれた公文書によると、慰安婦の内5分の1が中国人、残りの5分の4はインドネシア人だったという。少額の現金が直接女性達に支払われ、全額(1軒の慰安所につき1日約60ギルダー)の3分の2は、女性たちの銀行口座へ直接入金された。この地域での運営は報国会がおこなっていた。

 上述の情報は慰安所の開設と運営に直接関わっていた当時ボルネオ在住の日本人を尋問した記録からのものなので、開設、運営等に関しては比較的信頼できる資料と思われる。使用した資料の内、1点の資料は、長い証言の抜粋でしかなかったが、他は海軍特別警察隊軍曹の尋問調書と、1944年10月から1945年4月までの期間、各慰安所から毎日金銭を集金する担当者、南洋興発会計係りの尋問調書の英訳であった65)。ボルネオ地域でおきた売春に関係する戦犯裁判の判決もあったが、今回の調査では判決文またその他の調書を検討できなかった。


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