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8 スマトラ

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日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―

山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン






8 スマトラ


 スマトラ地域に関しては、慰安婦に関する記述のある公文書はほとんどなかった。スマトラには最低でも7万人の兵士が駐屯し、この数はジャワに勝っていたため、公文書がないという事はむしろ意外であった。資料の欠如の要因はいくつか考えられる。まず、ジャワと比較し、ヨーロッパ人(含む印欧混血人)が少なかったため、慰安婦の募集があっても、それほどほかのヨーロッパ人の目に止まらなかったこと、オランダ植民地時代のプランテーション制度で既に存在していた性サービスを提供するという慣習が、そのまま日本占領期にも引き継がれたかもしれないということ61)、人口密度が低いということ、そして慰安婦の規則が(第25軍では)厳しかったということも考えられる。

 1つの資料によると、パダンにあるサカリオ・レストラン[Sakario](旧ドゥ・エインドラクト[De Eendracht])は慰安所としても使われ20人程度のヨーロッパ人女性がいたが、公文書には、このサカリオ・レストランにいたインド人周旋人の記述があった62)。また、もう1点の公文書には、やはりパダンのことで、売春を強要されたオランダ人男性の姪のことが書かれていた63)。プールヘイストは、抑留所から「志願者」を募る軍当局の強引さを報告しているが、同時に強引な軍の行為に対し、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったとも記述している。


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