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6 スマラン市内からフロレスへ

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日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―

山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン






6 スマラン市内からフロレスへ


 1944年4月半ば、スマラン市内で熱心に慰安婦になる女性を募集した。警察と憲兵が地元の印欧混血人の仲介人と一緒になって女性を連行し、指定した日時に警察署まで出頭するように命令した。警察署では、演説の後、女性を選考し、身体検査をし、スラバヤへ移送した。旧ホテル・スプレンディットの慰安所(スマラン慰安所事件に関与したスマラン倶楽部)は、この時にも使用されたとの記載がある。7人の女性は「ヨーロッパ人」であったが、1人の中国人と多数のインドネシア人女性も同時に選ばれた。プールヘイストは、以前にホテルやレストランで働いたことがあると思われた女性は、警察や憲兵から「不人気」だったと述べている。約2ヶ月後、選ばれた女性たちは3人の日本人男性とフロレス島へ向けて出港した。彼女たちは、1945年6月頃までフロレス島の慰安所で働かされ、その後解放されジャワへ戻ることを許された。今回検証した公文書に関しては、1946年に1人の女性がオランダ調査官にこの件に関して言及した1点のみ検証したが56)、プールヘイストの報告書から、このフロレス島の事例に関してはまだ多くの公文書が存在しているようである。更なる調査をおこなうことにより、軍慰安所や東部インドネシアの慰安所へ、どのような経路で送られたかなど明らかになっていくと思われる。


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