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日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―

山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン






1 公文書館


 オランダの慰安婦関連の資料は、次の3ヶ所の公文書館に所蔵されている。大半の政府組織、個人の公文書が保管されているハーグにある国立公文書館[Algemeen Rijksarchief、略称ARA]、日本占領期の資料の他、回想録や戦争に関連する研究に必要な資料が集められているアムステルダムの国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voor Oorlogsdocumentatie、略称RIOD]、そしてハーグにある外務省公文書室[Buitenladse Zake、略称BZ]である。

 上記の3館の中では、国立戦争資料研究所[RIOD]が一番資料整理がすすんでいる。RIODに所蔵してある1942~45年のインドネシアに関連する資料の量は、厚さにすれば40メートルにわたり、加えて約180人分の日記、約1万点の写真、無数の雑誌と小規模の図書館を有している16)。閲覧許可を公文書閲覧責任者から得た後、公文書館員が利用者の調査対象資料を探し、閲覧室に持ってきてくれる。公文書館員の補助を基本にしたRIODの閲覧のシステムは、利用者が数週間から数ヶ月という短い期間で、迅速に最重要な資料を閲覧する事を可能にしているが、これはあくまで公文書館員が認識している資料のみの閲覧のため、自分の研究に必要な資料を探し出すためには、実際かなり長い期間を要する。

 RIODでの興味深い資料の1つに、多量に保管されている戦争中の諜報活動の情報を集めたオランダ軍情報局 [The Netherlands Forces Intelligence Service、略称 NEFIS ] の報告書がある。英語で書かれたこの報告書は、主に戦争中捕虜となった連合国の敵国(邦人)の兵士、インドネシア人兵補、インドネシア人市民の尋問から得た情報で、慰安所の所在地及び女性の移動といったことを含め幅広い事項に亘り、短い文章で端的に情報を記述してある。率直なところ、書かれている内容を過大に信用することは危険ではあるが、内容が他種類の報告書、戦後に書かれた回想録や手記の内容と一致する場合も多々あることは確かである。今回の調査では、RIOD所有のオランダ軍情報局資料の一部を閲覧、そのうち2点に、マラン、カリジャティ、スラバヤに軍慰安所があったことが記述されていた。ここには少ないながら日本語の資料も保管されているが、当調査の閲覧許可はプールヘイストが使用した資料に限るという制約があり、調査当初これら日本語の資料の閲覧許可が下りなかった為17)、今回の調査では調査対象にできなかった。

 国立公文書館[ARA]には、売春及び慰安婦関連の資料が、いくつかの異なる公文書に所蔵されている。それぞれの公文書自体かなりの量がある上、記述のある資料は散在している。さらに、各々の公文書の出所が異なっているため、性質も異なっているということは、調査段階で最低限知
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っておく必要がある。最初に紹介する公文書は、蘭領印度高等裁判所検察局公文書1945~1949年[ Het Archief van de Procureur-Generaal bij hetHooggerechtshof van Nederlands-Indie, 1945-1949、略称PG ]である。このPGは、プールヘイストが報告書を書き上げた後、整理し直され請求番号が変わったため、彼の報告書に使った資料を確認するには困難をきたした。さらに、プールヘイスト報告書には参考資料として、92点の資料番号が列挙されているが、その番号を「新旧整理番号の対照表」に照らし合わせてみると356点の資料になり、これはPG全体の24%におよぶ。第2番目の、蘭領印度総督府官房室公文書[AlgemeneSecretarie、略称AS ]だが、ここには広範囲の資料があり、中でもスマラン、ムンティラン、ブロラ事件等18)に関する日本人将校を始め、元オランダ植民地人や他のアジア人、民間邦人等の裁判関係資料は既に知られていることである。公文書の一部を既に日本人研究者が紹介していることや調査の時間を考え、今回の調査ではこの公文書は閲覧の焦点から除外した。第3の公文書は、オランダ軍情報局公文書(略称NEFIS)である。ここで所蔵しているNEFIS文書は、国立戦争資料研究所[RIOD]が所蔵しているNEFIS資料とはかなり性格が異なるもので、主な資料は戦後作成された個人情報ファイルであり、個人のプライバシーに関することが書かれた資料が多いのが特徴である。

 第4の公文書は、A.F.X. Vos de Wael氏[略称Vos de Wael]の公文書である19)。この公文書の中で興味深い資料は、戦後オランダ領東印度からヨーロッパへ引き揚げる途中、オランダ人民間人に対してキャンディー(現スリランカ)20)でおこなった尋問資料である。また民間人に対しておこなったジャワでの尋問資料もある。尋問された民間人元抑留者や元捕虜は1942~1945年の間に抑留或いは収容されていたため、売春、慰安婦についての尋問内容はヨーロッパ人また印欧混血人女性の売春周旋、あるいは日本人男性の女性愛人の徴募に関した記述が多い。最も一般的な情報内容は、女性が数ヶ所の抑留所からスマラン市内にある4軒の慰安所に連れて行かれた、「有名な」スマラン慰安婦事件であるが、バーやホテルそして日本人への女性の補充に関係した人々について秘密裏に調査した身上書も含まれている。類似した内容の資料は他の公文書でも見つかったが、この公文書ほどまとまってはいない。第5番目は、外領省身上調査部[Het Bureau Antecedentendersoekvan het Ministerie van Overzeese Gebiedsdelen、略称BURAM]である。BURAMは給料の月額が1,000ギルダー以上の高級官吏、及びインドネシアに出入「国」した個々人の身上調査情報が集められた資料である。最後に、今回は調査対象にしなかったが、国連戦犯委員会公文書[The UnitedNations War Crimes Commission、 略称NWCC]がある。NWCCの中にはロンドンへ送付した資料も保存してある。

 オランダ軍情報局[NEFIS]の戦争中作成した資料も含め、外務省公文書室[BZ]も、やはり慰安婦関連の重要な資料を所蔵している。今回の調査では、わずかな資料のみ検討する事ができたが、BZ所有のものは、他館とはかなり色合いの違う物があった。このことは文末の資料一覧表を参照にしていただきたい。
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