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はじめに(オランダ公文書館調査)

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日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―

山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン





はじめに


 慰安婦に関する文献、図書は近年数多く出版されているが、一次資料や信頼のおける資料を丁寧に検討して書かれた物は滅多に無く、多くは急速に変化する証言や新聞記事を、基本的資料にして書かれている。この状況は、公文書の欠如ということにある程度起因しているとはいえ、研究者や著者の政治的恣意により、戦史や慰安婦の歴史を容易に操ったり否定したりする結果を招き易くし、このことが歴史の中で慰安婦の理解を困難なものにしている。

  既に周知されていることではあるが、オランダは他の国と比較し、BC級戦犯裁判で多くの日本人を「強制売春」容疑で起訴、有罪判決を下している1)。このことから、オランダに所蔵されているインドネシア地域関連の公文書が、慰安婦に関する信頼の高い資料の1つであると思われた。オランダBC級戦犯裁判の売春に関する裁判の中でも、特に資料が多いスマラン慰安婦事件に関する判決文及び法廷尋問書は、『朝日新聞』がオランダ国立公文書館[Algemeen Rijksarchief、略称ARA]から入手し2)、1992年8月30日付け朝刊でその一部を公開した。しかしながら、その後出版された図書または論文を見ても、十分に公文書を検証した研究はほとんど無いといった状況である。例外的に、1993年オランダ議会の第二院に提出するためオランダ政府内務省官僚バート・ファン・プールへイスト[Bart van Poelgeest]3)が調査、執筆した報告書があり、これは英語及び日本語にも翻訳され、慰安婦研究の叩き台になったといっても過言ではない4)。プールヘイストがおこなったオランダ所蔵の公文書調査は、閲覧した資料の広範さ、またその情報を迅速に発表したといった点に於いて未だに貴重な文献であるが、この調査には、いくつかの重要な問題点があることも指摘しておく。

 第1に、プールヘイストの調査目的が、「強制売春」とオランダ人女性に関することのため、焦点がヨーロッパ人と印欧混血人[Eurasian]5)に限られてしまっている。インドネシア人、中国人、日本人6)、朝鮮人女性に関する記述は、完全に欠落しているか、たとえ言及されても偶発的な記述のため、オランダの公文書館に非ヨーロッパ人の慰安婦に関する十分な資料が所蔵されているか否か、未回答のままになってしまった。第2にプールヘイストの調査の議論は、「強制」7)と「非強制」売春に分割する事の必要性から発展させなければならなかったため、この「強制」と「非強制」というカテゴリーのアプリオリによって、プールヘイストがいくら客観性を希求しようとしても、結局主観的な議論に終わってしまっている上、この単純な分割が当時の複雑状況を覆い隠してしまっている。このような問題のため、プールヘイストの調査は、多く「事件」に触れたこと以外では、インドネシアにおける慰安婦の全体像を描き出し
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ているとは言い難い。

 第3に、議会提出用に作成された政府文書という性格上、調査が政治的な文脈の中で書かれたものであるということは否めない。調査が政治的な物であるという事は例えば、オランダ、オランダ領東印度、また日本で売春は違法であったといった単純な歴史の誤認からでも明らかである。これは、反売春が全世界的な法律だったという歴史背景を「作り」、日本は「世界的に受け入れられた」制度に違反していたということを周知させる政治的意味合いがあった。ここで簡単に当時の状況を説明すると、1925年に日本は、婦人に対する強制売春募集及び未成年者8)の売春禁止をうたっている1904年及び1910年パリ条約の改正版を、また1920年ジュネーブ「婦女子売買禁止国際条約」を受け入れた。だが、日本が署名した条約には、年齢規定に関して植民地を除いており、その上この条約は、婦女子の「国家」間移動に関してのみの適用であったため、日本と日本の植民地間の「国内」売春を目的とした女性の移動は明らかに可能であったらしい9)。

 オランダ領東印度の売春に関しても、プールヘイストの記述のような状況ではなかった。まず、公娼制度存在についてだが、1874年以降は自治体当局の責任下に置かれたものの、19世紀を通じて公娼制度は存続していた。軍人のための特別な娼館でさえもその当時存在していた。リアウ諸島にいた日本人娼婦はオランダ海軍から避妊・性病予防用の器具を提供されさえしていた10)。オランダ領東印度のような軍隊の娼館は新考案施設となり、日本でも、1918~20年のシベリア出兵の際、性病管理のため初めて作られるようになった11)。1910年代になりようやくオランダ領東印度の状況に顕著な変化がおこった。公序良俗(公的道徳)法の導入により、1911年に地方権力による(売春婦の)検診は中止になり、1913年には公娼制度に終止符が打たれた。1913年以降、オランダ領東印度にいた多種類の売春婦の法的地位は不透明になったが、結果として権力が、小規模におこなわれている売春を規制する手段をほとんど失い、結局オランダ支配の終わる最後の年まで、売春は盛んにおこなわれたのであった12)。

 しかし、たとえプールヘイストの調査や議論に政治的な背景があり、歴史的背景に不理解があったとしても、彼の報告書の調査価値を消去してしまうというわけではない。ただし、読者や研究者の注意深い丁寧な精読と、彼の使用した資料の再検討は最低限必要である。

 第4に、プールヘイストは、調査報告書の文末に、オランダ公文書館所蔵の資料請求番号を参考資料として列挙しているが、引用資料の注が無いため、彼の報告書を指針として使用する研究者は、結局列挙されている膨大な参考資料をすべて検証する必要がある。また、注がないため、記述されている強制売春に関する1つの「事件」の説明が、例外的な1点の資料から再構築されているのか、或いは説明の正確性を期するため何点もの独立した報告書から議論されているのか、読者には判断しかねる点に問題がある。最後に、報告書には公文書に関する情報が(文末の請求番号以外)ないため、調査で使われた資料について、誰が回答者或いは尋問を受けた人物だったのか、またどのような趣旨で作られたのかといった資料の背景がまったく掴めず、漠然とした概観を得られるだけである。プールヘイストの報告書には単に「これらの資料は、ほとんどが戦犯と共犯者の責任を追及するバタビア臨時裁判法廷の証人、犠牲者、容疑者が提出した意見といくつもの判決文とそれに伴った資料からなっている」13)と記述するにとどまっている。故に、報告書の内容をそれ以上理解することがなかなか難しく、読者はプールヘイストの報告書の結論を信じるか否定するかのみ可能で
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あり、資料をもとにしながら自分の結論に導く事は不可能になっている。

 今回おこなったオランダ公文書調査の主な目的は、慰安婦に関する歴史再構築の基本である公文書の識別と検証であった。多くの公文書は日本人のBC級戦犯裁判準備のためか、共犯者の調査のために作成された資料であり、これらの資料は明らかに目的が戦後の文脈で形成され、当時の世論感情を象徴する資料であった。公文書の識別と検証という目的の為に行った今回のオランダ公文書館調査の結果を報告するにあたり、当報告書は2本の基本的柱――①オランダに所蔵してある公文書の性格の説明、②公文書から得た慰安婦や売春に関する説明――で構成した。特に第2点目は、それぞれの公文書館で検証した資料の短い引用を含め、インドネシアをいくつかの地区ごとにわけ、慰安婦や売春について短い説明と補足資料で紹介してある。さらに、外交資料、蘭印高等裁判所検事局資料、オランダ軍情報局、Vos de Wael 公文書コレクション等の公文書と戦争資料研究所資料を合わせ5種類の公文書から得た資料情報に関しては、それぞれの請求番号と短い説明を含め一覧表にまとめ文末に補足として添付した。検証した公文書の情報を、できる限り正確に紹介することを趣旨としている当調査の性格上、情報の「混乱」を防ぐため、できる限りオランダ公文書の情報だけを使用し記述した。既に出版されている文献、図書のデータと突き合わせる試みはしていないが、基本的参考文献は記述することにした。当報告書の資料情報量は、決してプールヘイストの報告書に代替する物ではないが、当報告書での資料情報の引用、具体的注、また補足の添付一覧表が一般読者の理解と研究者の今後の調査の一助になればと考えている。

 当調査の主題である慰安婦14)という用語に説明を加えると、慰安婦という用語は近年しばしば使われるが、最近名乗り出ている元慰安婦の証言の中で彼女たちの経験を「強姦」と表現していることから、慰安婦の解釈に幅ができている。このため、解釈の混乱を避けるため、ここで改めて慰安婦の定義をすることにした。慰安婦とは、軍が所有、経営、監督、或いは指定した「慰安所」または売春宿といった特定の場所において、「性的なサービス」を提供する女性と定義する。誰が慰安所を使用したか、またその場所が慰安所であったか否か等は、慰安婦の歴史という課題の包括的な議論では重要なことだが、この定義のなかでは、これらの要素は慰安婦の判断材料に必要ではない。邦人が使用する事を主目的としている軍指定の個人所有売春宿でさえも慰安所と考えることができる。しかしながら、実際のところ、ある特定の売春宿、バー、レストラン、ホテルがどのように計画また設置され、誰が所有して経営していたか、またそれが軍の管理下に置かれていたかどうか確認するのは難しいことである。加えて、幅広い設置状況だったため、はっきりした区別はほとんどないに等しかった。そのため当調査では日本占領下のインドネシアにおける売春に関する記述のある資料はどれでも、その情報内容が慰安婦に関連するものと考えた。邦人男性の愛人と慰安婦の違いさえも曖昧で、特に募集方法は関しては、概して同様の手法でおこなっていた。しかしながら、1つだけ明白に異なっていることは強姦である。強姦は個々人の性的暴力であり、組織が計画し実行したものではない。個々人の性的暴行の犠牲者である強姦の被害者は、被害者が慰安所の中にいた例を除いて、慰安婦の定義の枠外とする。

 ここで少し調査の経過を説明すると、当調査は、1998年(財)女性のためのアジア平和国民基金の依頼により約6週間に亘り実施した。3ヶ所のオランダ公文書館に所蔵されている公文書を閲覧、識別、検証した。限られた時間と多量の公文書の
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ため、プールヘイストが報告書作成の際当たった資料の一部の検討にとどまった。閲覧した資料は、社会的に敏感な内容のため、また個々人のプライバシーを保護する必要性のため一般公開はされていない。プライバシー保護のためオランダの法律により、各公文書館が慰安婦関連の公文書資料の閲覧許可、閲覧した公文書から得た情報の回覧及び出版等の許可に厳しい制限をつけている。加害者及び被害者個々人の名前は社会的に敏感であり、その影響力を考え個人情報の保護に慎重な配慮がなされている。このようなことから当報告書でもやはり、オランダのプライバシー保護の立場を尊重、踏襲した15)。

 本文に移る前に、調査した資料の性格を説明する意味も兼ね、それぞれの公文書館の特徴を紹介する。



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