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1 はじめに《浅野論文》

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「慰安婦」問題調査報告・1999

雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る



1 はじめに《浅野論文》




 北ビルマ戦線で連合軍の捕虜となった日本軍「慰安婦」(以下括弧を付けずに用いることとする)の尋問記録と写真が発見され、それが話題を呼んでから既に5年余りが経過している。慰安婦達のその後の足跡を探るべく、筆者は1997年に米国で計40日余、1998年に台湾で8日余、関連資料の存在状況に関する予備的な調査を行った。残念ながらその足跡を現代にまで辿ることのできるような核心的な資料は今のところ発見できていない。しかし、その過程で北ビルマにおいて、慰安婦達が連合軍側に収容される前後の日常生活と戦線の状況を物語る数多くの写真資料と若干の文字資料を得ることができた。以下の本論では、こうした材料をもとに、社会史・国際政治史的な関心を織り込みつつ、いかなる環境の下に慰安婦達の生活は置かれていたのかについて、個人的な推測をまじえつつ論じてみたい。

 慰安婦問題に関しては、強制性の有無・軍の関与の度合いという点に関して、論争が展開されてきた。しかし、よく考えてみると、こうした問題は慰安婦が呼び集められる過程、もしくは通常の慰安所の運営に関するもので、資料的な制約もあり、静態的な制度分析や統計を主な分析手法として依拠せざるを得なかった1)。しかし、筆者は総力戦体制下に出現した慰安婦制度が、それまでの公娼制度とどのような面で継続性を持ち、どのような面で断絶性を有しているのか、その性格が最も端的に示されるのは、最前線の戦場であると考える。戦場という生死を分ける極限的状況の中で、慰安所はどのような様相を呈していたのであろうか。本論は、北ビルマをケースとして分析を進め、慰安婦制度の有した性格の新たな側面を明らかにすることに貢献せんとするものである。



注《浅野論文》



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