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八 災難をこうむった外国人記者

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pipopipo555jp

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八 災難をこうむった外国人記者

 パナイ号事件に遭遇した外国人ジャーナリストのうち、死亡したサンドロ・サンドリや負傷したジェームス・マーシャルを除けば、かれらはまさに「特ダネ」の渦中にあったわけだから、プロとしては「幸運」だったともいえる。

 しかし、世界の目を引きつけたかれらのパナイ号事件「特ダネ」報道の陰に、南京事件報道が犠牲にされていたことは、ほとんど知られていない。

 私も今回の調べでその歴史事実を発見し、偶然にしてはあまりにもできすぎている「謀略」的役割に驚いた。あの時点でパナイ号が撃沈されなければ、南京事件の全貌が外国人記者によって報道された可能性があったのである。その意味で、南京事件の報遣を主体にしてみれば、バナイ号事件は真相の報遣が阻害された「不幸」な事件であった。そう思う第一は、記者・カメラマンの"命"である商売道具、つまり、取材機具・資料がパナイ号とともに長江に沈んでしまったことである。

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 『N.T』37.12.19では、そうした被害の事例を、つぎのように紹介している。

 「ニューヨーク.タイムズの者たちは、パナイ号爆撃で大きな損害をこうむった。スーンは首にかけていたライカとフィルム数巻が残ったほかは、スーツケース、衣服、お金、カメラの全装備を失った。さらに逃走中着ていた服は、泥や水に浸って身を隠したりしたために、使いものにならず、上海に到着したときはオアフ号の水兵の借着だった。

 包囲中南京にとどまっていたF・ティルマン・ダーディンは、もっともたいせつな所品をスーツケースやトランクに詰め、"安全"を期して江上のパナイ号に積んだ。そしてすべてを失ってしまった。」(『N・T』37・12・19)

 パナイ号が南京駐在の外国人記者の避難所であったことは、すでに述べた。アメリカの警備艇が攻撃されるとは夢想だにしなかったかれらは、重要な所持品を同艦に保管していた。

 ダーディンは、日本軍が南京に来る三力月前から市に滞在し、取材活動を行っていた。かれにとっては命よりもたいせつであったこれら包囲戦の取材ノートや資料・写真等を詰めたトランクが、パナイ号とともに濁水に沈められてしまったのである。そのパナイ号はダーディンがニュースを上海へ送信する基地でもあったのだ。

 ユニバーサル映画のカメラマン、ノーマン・アレーも、命がけで爆撃を撮影していたそのカメラとフィルムを持ち出すのが精一杯で、他の所持晶はすべて失った。スーンやアレーだけでなく他の記者・カメラマンも同様であったのは、スーンの体験記のパナイ号放棄と脱出場面を思い起こせば容易に想像できよう。

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 パナイ号にいた八人のジャiナリストたちが南京を離れた十二月十一日夕方までに、戦火の南京で何を取材し、記録したは分からないが、それらの資料のほとんどを失ったのである。

それでも、このとき水没したのは、南京占領以前の取材資料・写真であり、その後に激しさを加えた南京大虐殺のものではない。

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