4.渡航証明書発給資料の検討
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『資料集成』の中には台湾の各州知事が各月の身分証明書並びに外国旅券発給状況を報告したものが相当程度残っている。渡航目的調べの中に「慰安所関係」の項があり、「慰安婦」とされる渡航者の数を知ることが出来る。かつこの資料には民族別の分類がされている。行き先別に北支方面、上海方面、南支方面に分けられているが、概して慰安所関係での北支方面はほぼゼロであり、上海と南支がほとんどすべてであり、一括してみてさしつかえない。
台北州「慰安所関係者」(1巻、171-218頁)
|
内地人 |
朝鮮人 |
本島人 |
昭和13年11月 |
144 |
51 |
126 |
12月 |
126 |
19 |
10 |
14年1月 |
59 |
8 |
8 |
2月 |
179 |
4 |
45 |
3月 |
12 |
0 |
1 |
4月 |
25 |
5 |
3 |
5月 |
26 |
3 |
12 |
6月 |
11 |
4 |
12 |
7月 |
16 |
22 |
3 |
8月 |
8 |
1 |
0 |
9月 |
9 |
20 |
1 |
10月 |
16 |
14 |
0 |
11月 |
9 |
54 |
8 |
12月 |
9 |
2 |
0 |
以上計 |
649 |
207 |
229 |
15年1月 |
2 |
1 |
0 |
16年7月 |
0 |
9 |
0 |
新竹州「軍慰安所ノ酌婦及雇人」「慰安所就業」(同、219-256頁)
|
内地人 |
朝鮮人 |
本島人 |
昭和13年11月 |
19 |
29 |
1 |
12月 |
31 |
22 |
0 |
14年1月 |
0 |
0 |
3 |
2月 |
3 |
0 |
3 |
3月 |
2 |
1 |
O |
7月 |
1 |
4 |
4 |
8月 |
6 |
5 |
0 |
9月 |
1 |
1 |
0 |
10月 |
1 |
4 |
0 |
11月 |
0 |
20 |
0 |
12月 |
1 |
0 |
0 |
以上計 |
65 |
86 |
11 |
15年1月 |
0 |
2 |
0 |
台中州「慰安所従業員」(同、257-300頁)
|
内地人 |
朝鮮人 |
本島人 |
昭和13年12月 |
2 |
57 |
16 |
14年1月 |
0 |
0 |
0 |
2月 |
0 |
3 |
1 |
3月 |
0 |
3 |
O |
4月 |
0 |
1 |
O |
5月 |
0 |
0 |
7 |
6月 |
0 |
0 |
O |
7月 |
0 |
5 |
O |
9月 |
O |
10 |
0 |
11月 |
1 |
53 |
0 |
12月 |
0 |
11 |
0 |
以上計 |
3 |
143 |
27 |
16年7月 |
0 |
7 |
0 |
高雄州「軍慰安所従業員」「軍慰安所関係」(同、301-354頁)
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内地人 |
朝鮮人 |
本島人 |
昭和14年1月 |
32 |
3 |
0 |
2月 |
46 |
4 |
53 |
3月 |
58 |
0 |
17 |
4月 |
2 |
12 |
O |
5月 |
7 |
1 |
1 |
6月 |
3 |
0 |
15 |
7月 |
17 |
0 |
0 |
8月 |
17 |
0 |
0 |
9月 |
11 |
1 |
20 |
1O月 |
8 |
14 |
1 |
11月 |
0 |
16 |
7 |
12月 |
17 |
2 |
3 |
以上計 |
218 |
53 |
117 |
15年1月 |
0 |
1 |
15 |
16年7月 |
15 |
0 |
5 |
台南州「慰安所経営」「慰安所」「慰安所炊事婦」(同、407-420頁)
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内地人 |
朝鮮人 |
本島人 |
昭和13年12月 |
1 |
22 |
0 |
14年7月 |
0 |
11 |
0 |
11月 |
2 |
39 |
0 |
以上計 |
3 |
72 |
0 |
15年1月 |
0 |
2 |
0 |
以上5州からの昭和13年11月から14年12月までの14ヶ月の出国者中、慰安所関係は内地人が総数938人、朝鮮人が561人、台湾人が384人である。その合計は1883人である。1ヶ月平均と比率を出せば、内地人が67.0人、49.8%、朝鮮人が40.1人、29.8%、台湾人が27.4人、20.4%である。<b>さて同じ資料が朝鮮総督府にもあるはずだが、それがまったく出てこないのは不思議である</b>。この点で吉見氏が総督府の警務局長の作成した昭和16年下半期と昭和17年上半期の渡支身分証明書発給状況調べを発表しているので、それを見ると、慰安所関係が取り出されていない。昭和16年下半期分では、芸娼妓が内地人21人、朝鮮人が381人である。昭和17年上半期では、それぞれ、32人、286人である。これを総計すると、内地人が53人に対して朝鮮人は667人である。行き先で分ければ、北支方面行きが内地人41人、朝鮮人が489人で圧倒的で、中支と南支方面行きを合わせて、内地人は12人、朝鮮人は178人である。1ヶ月平均と比率を出せば、内地人が4.4人、7.4%、朝鮮人が55.6人、92.6%である。これは時期的にすこし先の数字だが、前の台湾での証明書発給状況と合わせて考えてみると、その時期に朝鮮、台湾から証明書を得て慰安婦として中国へ渡った者の中では朝鮮人がもっとも多かった。特に華北については朝鮮人が圧倒的に多かったと言える。華中華南については、日本人が朝鮮人の倍近くいて、台湾人も朝鮮人についでいるのである。
しかし、この他に日本本土で証明書をとった人々がいるのであり、そこでは当然に内地人の)比重が圧倒的なはずだから、慰安所が中国で大々的につくられはじめたこの時期に中国へ慰安婦としてもっとも多く送り込まれたのは日本人だったと考えられる。
慰安婦の民族別を考えるさいに、これまで吉見氏らが注目してきたのは、性病に感染した兵士が相手にした女性についての民族別データである。『資料集成』には2つのデータがある。第1は、「北支派遺多田部隊冨塚部隊副島隊調査」で、昭和15年1月のものである。「対手女国籍別調査」として、日本人1427人(26.3%)、朝鮮人2455人(45.3%)、「支那人」1535人(28.4%)という数字が出ている。
本事変ニ於テ半鳥婦人ノ進出ハ活発デアル丈ソレ病源ヲ有スルモノガ多イ
というコメントがついている<i>(2巻、343-346頁)</i>。
第2は大本営陸軍部研究班の「支那事変二於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ考察セル性病二就テ」(昭和15年10月)である。ここでは感染地別に、北支8628人、中支5965人という数字があげられ、相手女別という点で、日本女2418人(16.4%)、朝鮮女4403人(29.8%)、「支那女」3050人(20.7%)、不明不祥4884人となっている。ここでも
朝鮮女ノ活躍ハ他ヲ圧倒シアリ将来戦ノ参考タリ得ベシ
とのコメントがある<i>(2巻、77-8頁)</i>。はじめは日本人ばかりであった慰安婦の中に朝鮮人の数が急速に増えてきたということがこの2つの報告の印象を規定しているのだろう。しかし、このデータから、吉見氏らが「慰安婦でもっとも多いのは朝鮮人であり、これに次いで中国人が大きな比重を占めていた」、「中国戦線では、日本人ではなく、最も多いのは朝鮮人と中国人であったことは確実である」との結論を出すことは強引である。この資料はあくまでも性病に感染した慰安婦が朝鮮人と中国人に多いということを意味しているに過ぎないのである。南方への慰安婦の渡航は警察署の証明書なしにおこなわれたのだから、この種の渡航統計はのこらないようになっている。ここでの比率は別個の資料によって判断しなければならない。
- :原注(9)吉見編『従軍慰安婦資料集』154-157頁。
- :原注(10)吉見、前掲書、82頁。吉見・林編、前掲書、5頁。吉見氏の論じ方は最近も変わらない。同「『従軍慰安婦』問題一研究の到達点と課題」、『歴史評論』1998年4月号、6頁。