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五 パナイ号事件

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五 パナイ号事件

 一九三七年十二月十一日午後五時、南京からの最後の避難者を乗せたパナイ号は、イギリス砲艦「スカラブ」「クリケット」の二隻とともに、三?(サンズイに叉)河付近の停泊地を離れ、上流へ向かった。パナイ号の至近に何発も砲弾が落とされるのを見た艦長は、南京付近の船舶に対して、日本軍が無差別の攻撃を開始したことに気付いた。パナイ号にはスタンダード石油会社の三隻のタンカーが従った。その日は南京の上流一八・ニキロメートル地点に錨を下ろした。

 パナイ号は一九二七年に上海の江南ドックで建造されたアメリカの砲艦(gunboat)で、長江の警備を担当していた。砲艦といっても写真(次頁)に明らかなように、日本の警備艇に類似している。『N・T』37・12・14によれば、パナイ号の乗船者は七六名で、将校・乗組員五九名、駐南京の米

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大使館員四名、米民間人七名、英ジャーナリスト一名、イタリア人三名、その他二名となっている。民間人のほとんどが、南京を取材していた新聞記者.カメラマンである。かれらはアチソンの説得に応じてパナイ号に難を避けたのであったが、悲劇は逆にかれらを襲ったのである。かれらの名前は表2のとおりである。

 十二月十二日、すなわち日本軍が南京城内を占領する前日、南京の上流約四五キロに停泊していたパナイ号は、日本海軍機に撃沈された。これが回米開戦かと世界を驚かせたパナイ号事件である。

写真 アメリカ砲艦(gunboat) パナイ号、(拡大>paney.jpg


表2 パナイ号乗船者 (p52)
氏名  所属

ジョージ・アチソン・ジュニァ
George Atcheson Jr.
ホール・パクストン
J. Ha11 Paxton
エミール・ギャッシー
Emile Gassie

フランク・ロバーツ
Frank N. Roberts
ウェルダム・ジェームズ
We1dom James
ジェームズ・マーシャル 
James Marshan
ノーマン・アレー
Norman A1ley         
ノーマン・スーン
Norman T. F. Soong
エリック・メイエル
Eric Mayei1
ゴルデイー
D. S. Go1die
ロイ・スクワイヤーズ
Roy Squires
コーリン・マクドナルド
Colin M. McDona1d(英人)
ハーバート・ロス
Herbert Ros(伊人)
ルイジ・バルジー二
Luigi Barzini(伊人)
サンドロ・サンドリ
Sandro Sandri

南京アメリカ大使館二等書記官

南京アメリカ大使館付陸軍武官補佐官

南京アメリカ大使館書記官


南京アメリカ大使館付陸軍武官
陸軍大尉
UP通信社記者

『コリアーズ』誌記者

ユニバーサル映画ニュース・カメラマン

ニューヨーク・タイムズ・カメラマン

フォックス映画ニュース・カメラマン

スタンダード石油会社社員

中国木材輸出入会社南京支社支配人

ロンドン・タイムズ記者

南京イタリア大使館副領事

『コリア・デラ・セラ』誌記者

『スタンパ』紙記者

(出所) Hamilton DarbyPerry,"ThePaneyIncident-Pre1udetoPear1Harbor",TheMacmillanCompany,1969より作成。およびアメリカ国務省文書「バナイ号事件の死傷者・生存者リスト」(南京事件調査研究会編『南京事件資料集1アメリカ関係資料編』所収)
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 このパナイ号事件について、防衡庁防衛研修所戦史室『支那事変陸軍作戦(1)』には、つぎのように叙述されている。

 「十二月十二日、南京後略戦の最終段階でパネー〔パナイ〕号及ぴレディーバード号事件が発生した。当時、陸軍部隊に協力中の海軍航空部隊は、揚子江上(南京上流一五マイ

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ル)において、大小汽船一〇隻及びジャンクが、多数の中国軍兵を搭載し遡航中との情報に基づき、これを攻撃して損害を与えた。また別動隊は、同じく南京上流二八マイル付近で汽船四隻を攻撃し、二隻を撃沈、二隻に火災を起こさせた。ところが、米英両国からの照会により調査したところ、前者のなかには英砲艦二隻、商船一隻が含まれており、後者の撃沈した船は米警備艦パネー号及び米商船であることが判明した。

  また同日早朝、敵の唯一の退路である揚子江上、蕪湖付近を通過する船(外国旗を掲揚しているという情報があった)を撃滅すべき任務を有する第十軍の陸軍砲兵部隊が、同地において、大型汽船四隻を発見して砲撃を加えたが、間もなく、これは英砲艦レディバード号及び英艦船であることが判明した。

 よって日本政府は十三日、英米両国に対しただちに陳謝の意を表するとともに、損害賭償を約し、事件は大事に至ることなく円満に解決した。」(四三五頁)

  この叙述では、パナイ号事件は日本海軍による「誤爆事件」以外の何ものでもなかった、ということになるが、これは日本側の見方である。

 さきほど紹介したように、パナイ号には南京戦の取材に派遣された八人の外国人記者.カメラマンが、戦火の南京を逃れ、「一時待機」するつもりで乗船していた。そのかれらが事件に遭遇し、災難に見舞われたのである。しかし、被害者であったかれらは、また、貴重な目撃者でもあった。そのため、パナイ号側には詳細な証言記録が残されることになった。

 次節で、『N.T』のカメラマン・ノーマン・スーン(NormanSoong)の体験記を紹介する。かれ

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は、ハワイ生まれの中国系アメリカ人である。遭難後救助され、南京から上海へ向かう米艦オアフ号上で書いた生々しい体験記は、十二月十八日の『N・T』に載った。

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