15年戦争資料 @wiki

rabe12月30日

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pipopipo555jp

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十二月三十日


新しく設立された自治委員会は、五色旗(北京政府時代の中国国旗)をたくさん作った。一月一日に大がかりな公示がある。そのとき、この旗が振られることになっている。この「自治委員会」は我々に取って代わろうとしている。仕事を引き継いでくれるというのなら文句はない。だが、どうも金目当てのような気がしてしかたがないのだ。

こちらからは何ひとつ引き渡さない。あくまでも、ごり押しされた場合にかぎる。ただし、そのときもねばれるだけねばるつもりだ。思うに、日本の外交官たちは日本軍のやり方を恥ずかしく思っているらしい。だからドイツの旗がついた家が四十軒も略奪にあい、しかもそのうち何軒も焼き払われたなどということはうやむやにしておきたいのだ。

ぬかるみとごみにまみれた通称ジーメンス・キャンプのわが庭の藁小屋のなかで、二晩続けて子供が生れた。男の子と女の子。こんな宿しか産婦に与えられない世の中なのだ。医者も、助産婦も、看護婦もいない。おむつもない。親たちの手には汚れたぼろ切れ数枚だけ。私はそれぞれの親に十ドル贈った。「お礼に」と、女の子は「ドーラ」、男の子は「ジョニー」と名づけられた。いやあ、うれしいね!

松の盆栽を二つ買った。平たい磁器の鉢に入ったりっぱなものだ。福井氏と南京地区西部警備司令官の佐々木到一少将に渡す年賀だ。ふたつともあまりきれいなので、手放すのが惜しくなってしまった。だが、このご時世だ、日本人をたてておかなければ。それから手作りの年賀状をこしらえた。表には安全区のマークと私の署名、裏には南京にいる二十二人の欧米人全員の署名がついている。




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