15年戦争資料 @wiki

rabe12月28日

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pipopipo555jp

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十二月二十八日


あいもかわらず、放火がくりかえされる!

まるで重い病いにでもかかっているようだ。おそるおそる時計の針に目をやるが、針は遅々として進まない。難民はだれしも新年のお祝いを恐れている。酔ったいきおいで、日本兵がますます乱暴を働くにきまっているからだ。慰めようとするが、いまひとつ力がこもらない。それはそうだろう、そういう我々自身、信じていないのだから!

誰だか知らないが、今日が登録の最終日だといううわさを広めた人がいるらしい。そのため何万人もの人が登録所につめかけた。安全区の道路は人で埋まり、歩くこともできない。私はドイツ国旗のおかげでかろうじて前へ進める。ここではハーケンクロイツのついた私の車を知らない者はない。なんとかして道をあけようとして、ぶつかり、押し合いへし合いしている。そのわずかな隙間に滑りこみつつ、ようやく目的地に着いた。私が通ったとたん、あっというまに元通り埋まってしまう。<u>車が停止でもさせられたら、</u>ここから抜け出すのは並大抵のことではないだろう。

今日、ほうぼうから新たな報告が入った。あまりの恐ろしさに身の毛がよだつ。こうして文字にするのさえ、ためらわれるほどだ。難民はいくつかの学校に収容されている。登録前、元兵士がまぎれていたら申し出るように、との通告があった。保護してやるという約束だった。ただ、労働班に組み入れたいだけだ、と。何人か進み出た。ある所では、五十人くらいだったという。彼らはただちに連れ去られた。生きのびた人の話によると、空き家に連れていかれ、貴重品を奪われたあと素裸にされ、五人ずつ縛られた。それから日本兵は中庭で大きな薪に火をつけ、一組ずつひきずり出して銃剣で刺したあと、生きたまま火の中に投げこんだというのだ。そのうちの十人が逃げのびて塀を飛び越え、群衆の中にまぎれこんだ。人々は喜んで服をくれたという。

これと同じ内容の報告が三方面からあった。もう一つの例。これはさっきのより人数が多い。こちらは古代の墓地跡(in the graveyards in the West City)で突き殺されたらしい。ベイツはいまこれについて詳しく調べている。ただ、いざ報告するときには、誰から聞いたか分からないよう、よくよく気をつけなければならない。知らせてきた人にもしものことがあったら大変だ。

フィッチが上海から手紙を受け取った。委員会に三万五千ドルの寄付が集まったというロータリークラブからの報告だ。金をもらってもしかたがない。必要なのは、人間、それもこちらに来て協力してくれる外国人なのだ。だが日本軍は誰も南京に入れようとしない。

日本大使館の役人はわれわれの立場をもう少しましなものにしたいと思っているようだ。だが同じ日本人同士でも、こと軍部が相手だと歯が立たないらしい。すでに我々の耳に入っていることだが、軍部は日本人=中国人委員会( the Japanese-Chinese Committee )を認めていない。これは、日本大使館が設けたもので、ちょうど我々の委員会のような性格のものだ。初めてここへ来たとき、いみじくも福田氏がいっていた。「軍部は南京を踏みにじろうとしています。けれども、我々はなんとかしてそれを防ぎたいと考えています!」

残念ながら、福田、田中、福井もだれひとり、軍部の考えを変えさせることはできなかった!

宣教師のフォースターからジョージ・フィッチにあてた手紙
ジョージヘ!
鳴羊街十七号付近の謝公祠、この大きな寺院の近くに、中国人の死体がおよそ五十体ある。元中国兵だという疑いで処刑された人たちだ。二週間ほど前から放置されている。もうかなり腐敗が進んでいるので、できるだけ早く埋葬しなければならないと思っている。私のところには、埋葬を引き受けてもよいという人が何人かいるのだが、日本当局からの許可なしでは不安らしい。許可がいるのかなあ? もしそうなら、許可を取ってもらえないだろうか?
よろしく!

フィッチにあてたフォースターのこの手紙を見れば、南京の状態が一発でわかる。この五十体のほか、委員会本部からそう遠くない沼の中にまだいくつもの死体がある。これまでにも我々はたびたび埋葬の許可を申請したが、だめだ、の一点張りだ。いったいどうなるのだろう。このところ雨や雪が多いのでいっそう腐敗が進んでいる。

スマイスと私は、日本大使館にいき、福井氏や岡という少佐と二時間話し合った。岡少佐は、トラウトマン大使から私たちのことを頼まれているそうで、次のように言った。今南京にいるドイツ人は全部で五人だが、いっしょに暮らしてもらえないか。そうすればこちらとしても保護しやすい。もしそれに賛成でない場合は、その旨一筆書いてもらいたい、と。私はきっぱり言った。

「身の安全ということなら、中国人とおなじでけっこうですよ。日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や他のドイツ人といっしょにさっさとクトゥー号で逃げていましたよ」

岡少佐はいった。「私はあなた方の命を守るように頼まれているんです。それはともかく、日本兵に持ち物を奪われたり壊されたりしたことが証明できれば、政府が弁償するか、かわりのものを支給するかします」それについては、ただ次のように答えるしかなかった。「南京陥落後の十二月十四日に委員会のメンバー全員で街を見まわりましたが、ドイツ人の家も持ち物も無事でした。略奪や放火、強姦、殺人、撲殺、こういうことが始まったのは日本軍がやってきてからです。誓ってもいいですがね。同じことはアメリカ人の財産にもいえるんですよ。舞い戻ってきた中国軍によって略奪された家は僅かであり、それも太平路ぞいだけでした。太平路には外国人の家は一軒もありませんでしたからね」

※(英文)
The few buildings that had been looted by retreating Chinese troops were on Taiping Lui.

七時半ごろ、下士官が一人、私の衛兵を連れてやってきた。二人の兵士は皮ひもを掛け銃には着剣し、おそろしく泥だらけの軍靴を履いていた。カーペットをすっかり汚しながら私の護衛をするようだ。きっと彼らは直ぐにまた外へ行けと命ぜられ、この雨や雪のなかを前へ後ろへと行進を命じられる。それを思うと、外はひどい天気なので、さすがにちょっと気の毒になった。

※(英文)
At 7:30 p.m. a noncommissioned officer arrives with my guard of honor: two strapping soldiers with bayonets fixed and horribly muddy atandard-issue boots, who are ruining all my carpets and are supposed to protect me. They are immediately sent back outside and told to march back and forth in the snow and rain. Actually I feel a little sorry for them because the weather is so rotten.

夜の九時ころ、{日本のこそ泥兵が二人、突如裏の塀を乗り越え、誰も気がつかなかった。出かけようとした私が、食料貯蔵室で彼らを見つけた。私は取り押さえようとした。クレーガーには衛兵を呼びにいってもらった。ところがどうだ、衛兵は二人はどちらもとっくにドロンしていた!クレーガーが私に知らせにきたときには、こっちの二人盗賊も同様で、必死で塀を乗り越えて逃げだしていた。}

※(英文)
At 9 o'clock this evening two Japanese soldier-bandits suddenly climb over my back garden wall without anyone noticing, and on my way outside I discover them in the pantry. I try to hold them there. Kröger is sent to
fetch the men on guard; but they have both vanished! And when Kröger tells me that, the two intruders hastily swing themselves back up over the wall as well.

&fint(u){夜の九時ころ、二人の日本兵盗賊が瞬時に裏庭の塀を乗り越え、誰も気づかなかった。出かけようとした私が食料貯蔵室で見つけた。私は取り押さえようとした。クレーガーに護衛の連中を呼びに行かせたが、なんと二人とも既に消えうせていたという! クレーガーが知らせに戻った頃には、こっちの二人の盗賊も、反動をつけてあわてて塀を乗り越えていった。}

南京のことはどうか上海には黙っていてください、と福井氏から頼み込まれた。大使館にとって具合の悪いことは知らせないでくれということなのだ。私は請け合った。そうするほかないじゃないか? 日本大使館を通さなければ手紙が出せないのだから。だが、いつの日かきっと、真実が白日のもとにさらされる日が来る。

このときとばかり私は福井氏に、十二月十三日に射殺された中国兵の死体をいいかげんに埋葬するよう、軍部にかけあってくれないかと頼んでみた。福井氏は約束してくれた。

それから、今後安全区に衛兵を派遣することになったと聞かされた。日本兵が入りこまないようするためだというのだ。あるとき私は、その衛兵とやらをじっくり観察してみた。だれ一人呼びとめられるでもなく尋問されるでもない。それどころか、奪ったものをかかえて日本兵が出てくるのを見て見ぬふりしていることもある。どうせそんなことだろうと思っていた。これで「保護します」とは聞いて呆れる!

上海にいる妻にあてたジョン・ラーぺの手紙
一九三七年十一一月三十日 於南京
 ドーラヘ
 昨日十二月二十九日、日本大使館から君の心のこもった手紙を受け取った。十二月六日、十二日、十五日、二十二日の分だ。私がここでどんな目にあったか、いまのところ話すわけにはいかない。けれども我々二十二人の欧米人はみな元気だ。韓一家も。だから安心してくれ。インシュリンはまだ予備がある。こちらも心配はいらない! クトウー号の荷物はどうなった? その後なにか分かったかい? なくなっていなければよいのだが。
なにしろ、日記が全部そのなかに入っているのだから。

やらなければならないことがたくさんある。すぐにまた「市長のポスト」を取り上げられてもちっとも悲しくないよ。いや、そうできるなら喜んで! さっき言ったように、私たちは肉体的には元気だが、気持ちの上では疲れきっている。近いうちに君に会えるといいのだが。

心からの挨拶とキスを(検閲なんかくそくらえだ!)
                       ジョニー



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