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一 南京事件は「衆人環視」だったか

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一 南京事件は「衆人環視」だったか

 南京大虐殺は「虚構」であると現行教科書の「墨塗り」を求めて裁判を起こした田申正明という人がいる(前述のように訴訟は却下された)。かれは、南京大虐殺を「まぼろし」から「虚構」へとエスカレートさせようとして、『"南京虐殺"の虚構』(日本教文社)を出版した。この書を持ち上げた渡部昇一氏は、「"大虐殺派"は、先ずこの本の一つ一つについての反論からはじめるべきではあるまいか」とまで書いている。

 はたして、一つ一つの検討に値する内容かどうかは疑問であるが、評論家村上兵衛氏の推薦文に、「当時、南京にいた内外の百五十人の新聞記者、カメラマンも誰ひとりそのような事件を見てもいないし、聞いてもいない。&本書は、それらの事情を、事実にもとづいて巨細に叙述している」とある。とすれば、つぎに引用する箇所は、田中氏の「虚構説」の重要部分にちがいない。

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 「(日本軍が南京を占領したときに―引用者)日本の120人の特派記者やカメラマンのほかに、このように各国の記者やカメラマンが競って狭い南京市内の取材にあたったのである。このほかに揚子江には米・英の艦船五隻が停泊しており、さらに前記したように27人の外人が戦前から戦中にかけて滞留し、監視していた。いわば衆人環視、鵜の目鷹の目の中に日本軍はおかれていたのである。、

 しかるに、八年後、日本が大東亜戦争に敗れて東京裁判が開かれるまでは、南京に一〇万、二〇万、あるいは三〇万といった組織的・計画的な大虐殺があったなどというニュースはどこにも報ぜられていないのである」

(同書二四四頁、傍点は引用者、以下本稿では、とくにことわりがない限り傍点は引用者)。

日本軍の南京占領当時、田中氏のいうように、たしかに数人の外国人記者・カメラマンが市内にいたし、二二人の外国人が南京に踏みとどまっていた。これらの外国人が南京事件にどう巻き込まれ、何を目撃し、また何を報道したかを確認する作業は、田中正明氏への反論としてだけではなく、南京大虐殺を客観的にとらえるためにも必要なことである。それは、加害者の日本人とも、被害者の中国人とも違う、第三者的立場の外国人による証一言資料となるからである。

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