15年戦争資料 @wiki

rabe12月26日

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pipopipo555jp

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十二月二十六日十七時


素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!なんたって六百人をこす人々の命なのだから。新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れていかれずにすんだ。隣の金陵中学校では二十人以上引き渡さなければならなかったというのに。元中国兵という擬いで処刑されるのだという。わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。いま、日本兵が四人、庭で良民証を作っている。今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。将校が決定した以上、もうひっぱられる心配はないのだから。

葉巻とジーメンスのカレンダーを担当の将校に渡したとき、百子亭にある家からもうもうと煙が上がってきた。庭は灰の雨だ。藁小屋は大丈夫だろうか。いくぶん考え深げにその様子を眺めながら、その将校はフランス語であっけらかんと言った。「わが軍にも、なかには粗暴なやつがいましてね」

そう、なかには、ね。

昨日は日本兵が押し入ってこなかった。この二週間ではじめてのことだ。やっといくらか落ちついてきたのではないだろうか。ここの登録は昼に終わった。しかも後からこっそりもぐりこませた二十人の新入りにも気前よく良民証が与えられた。

使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れていった。トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、新しい患者を見せられた。若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、手のひら三つぶんくらいの肉がもぎとられている。助かるかどうかわからないという話だ。

安全区本部でも登録が行われた。担当は菊池氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。安全区の他の区域から、何百人かずつ、追いたてられるようにして登録所へ連れてこられた。今までにすでに二万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。なんというむごいことを……。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無力なのだ。

高玉が車を貸してくれと言ってきた。借用書を書くとか言っていたが、どうせ返しゃしないだろう。

そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片づけてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を十日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。

ヨーロッパ人の家をのこらずリストアップし、とられた品物の「完全なリスト」を作って提出してくれと、高玉が言ってきた。私は断った。大使館の仕事じゃないか。第一、そんな面倒なことを引き受けて貧乏くじをひくのはまっぴらだ。最後まで無事だった家があるのかどうか、あるとしたらどの家なのか、それさえ正確に知らないというのに。

クリスマスの二日目の今日、私はあいかわらず家にいた。難民が心配で、家を空けられない。だが、あしたにはまた本部で仕事がある。

安全区の二十万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、私はそれほど悲観的には見ていない。

米を探して安全区にまわしてくれるよう、何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。そのくせいつ汽車や船で上海にいけるようになるのかと聞いても、肩をすくめるだけだ。「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」

うちのポーイやコックが、食べものをいまだにちゃんと調達しているのにはいつも驚かされる。とくに私の家では奇跡に近いほどだった。二週間ほど前から中国人を三人泊めているので、その人たちにも食事を出している。幸運にもそれでもまだ足りているのだ。ひょっとすると、いまや私を心から愛してくれている難民たちが、いざとなると食べ物を手に入れる手伝いをしてくれているのかもしれない。私は毎日目玉焼きを食べているが、卵がどんな形をしていたかさえわすれてしまった人もいるのだ。

ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、びっくり仰天して反対したそうだ。最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。

ところで、この人に恐ろしい事件が起こった! 彼女は自分が庇護する娘たちを信じて、めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所になっている大学につれていくところだった。

さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。


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