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第十二章 中傷誹謗運動

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シナ大陸の真相―1931‐1938
K.カール カワカミ (著), 福井 雄三 (翻訳)
展転社 (2001/01)

第十二章 中傷誹謗運動

一、日本軍の過失

揚子江におけるパネー号及びレディiバード号事件が日本陸海軍の名誉に影を落とす以前は、前線での日本軍は、同じ様な状況の下に置かれた他の如何なる軍隊に比べても優るとも劣らぬ程立派で優秀な軍隊であることを示していた。なるほど確かに彼らは幾っかの過ちをおかしていた。その過ちの中で最も重大なものは、イギリス大使のヒュー・ナッチバル・ヒューゲッセン卿が乗り込んで南京から上海へ移動中であった自動車を空爆したことであつた。敵意に満ちた外国の新聞はこの日本の過ちを最大限に利用し、事件を起こしては謝罪して回る日本の手際の良さを嘲った。

だが公正な心を持った人なら誰一人として、揚子江・黄浦の三角地点に置かれた日本軍部隊が直面していた困難で微妙な状況を評価しない訳にはいかないだろう。ここには国際租界及びフランス特権区域に中国軍が頑強にしがみついている地点があった。そしてそのことは、日本軍の戦闘機と大砲が外国人区域に侵入するという危険を同時におかすことなしに、中国軍を攻撃することを極度に困難なものとしていた。この任務はまるで外科手術のようにデリケートなものであった。そして中国軍の陣地に接した外国人区域の一角を守っている外国軍部隊は、様々の軍需物資が境界線をこえて中国軍部隊のもとへ運ばれるのを許可しておきながら、その一方で日本軍に対しては慈悲を全く示さなかった。そして例えば、中国軍の戦線のすぐ近くにいた外国人の警備兵にたまたま命中してしまった流れ弾のような、あらゆる些細な事件に対して謝罪を厳しく要求したのである。このような事情は黄浦と揚子江に浮かんでいる外国の戦艦にもほとんどそのまま当てはまる。それらの戦艦は事実上戦闘の真っ直中に置かれていたのであり、日本軍にとっては大いに迷惑であった。

ヨーロッパやアメリカの新聞は皮肉たっぷりに、上海・南京方面の日本軍ほど多くの事件を引き起こした戦闘部隊はかって無い、と書き立てた。彼らは、これほどまでにデリケートな状況の中で戦いを強いられた軍隊はかつて例が無い、という明白な事実を無視しているのだ。しかしながらこのような一般的なジャーナリズムの態度に対する例外を、我々はあちこちに見出すことが出来る。例えばアメリカ合衆国西海岸の一流新聞の一つである「オレゴニアン」は、パネイ号事件について触れながら次のように述べた。すなわち戦闘区域にこれほど隣接した場所にアメリカの軍艦をとどまらせておいたことに対して、ワシントンの国務省が自分自身を厳しく責めることは正しいであろう、と。このような正気に満ちた見解は現時点では甚だ人気が無い。がしかし銃火がおさまって中国に平和が戻ってくれば世間の人々は、何故に一時的な興奮にかられて自分たちは押し流されてしまったのであろう、と思いながら過去を振り返ることであろう。一方日本は、自分がしでかすかも知れないあらゆる過ちを素早く丁重に謝ることによって、外国の新聞が書き立てる皮肉に耐えねばならない!

二、戦時下での虚偽

先の世界大戦中、フランス報道局には合成化学写真部という部門があり、その主な仕事は、切り落とされた首や引き抜かれた舌やえぐり出された目玉や叩き割られた頭蓋骨やはみ出した脳髄などの木で出来た模型を作り、その写真をとることであった。このようにして作られた写真は敵の残酷さの動かし難い証拠として世界中にばらまかれ、そのばらまかれた場所でそれらは望ましい効果を確実に産みだしたのである。このことはフランスの一編集長が、彼の書いた『フランスのジャーナリズムの舞台裏』という本の中で告白している。

同様のことが他の国々においても行われたことは疑うべくもない。このようにして敵を最も邪悪な姿で表現する写真の偽造は、世界大戦中に一大産業となった。一九一五年一二月一五日、ロンドン・デイリーミラー紙は「ドイツ兵の汚れたリンネル類を洗濯させられている光景」という見出しの付いた一枚の写真を掲載した。ところが実はこれはベルリンのカール・デリウスがとった写真であり、カベバラのドイツ陸軍野戦郵便局の前で郵便袋を配達している光景だったのである。これはもともとドイツの新聞に掲載された写真であった。デイリーミラー紙はそれを前記の新しい見出しで再生したのである!

一九一六年一月三〇日付の「戦争画報」の戦争写真特集面には、「ドイツ軍将校がフランスの城を略奪」という見出しの付いた一枚の写真が掲載されていた。これもまたドイツの写真を再生したものであり、本当の写真はもともとドイツの新聞に「ドイツ軍将校がドイツ軍前線の背後の弾薬箱を点検」という見出しで掲載されていた。

これらの数多くの似たような事例はポンソンビー卿の啓発的な著書、『戦時下での虚偽』の中で詳細に述べられている。これは全ての思慮深い男女に読んで欲しい本である。とりわけ、中国での「日本軍の残虐行為」なるデマを程造している虚偽の宣伝活動によって、世界中の世論が再び燃えさかっている今日においては。ちょうどドイツが先の世界大戦中、世界の平和に対する敵にされてしまったのと全く同様に、現在日本は「人道」に対する敵として宣伝活動の注目にさらされている。実際これは映画や新聞の電信写真やラジオなどのような、強力な現代宣伝活動のあらゆる手段をフルに駆使したものなのである。実際問題として、最近映画館のスクリーンなどでよく上映される日本軍の空爆などのような「戦争」写真の多くは、ハリウッドまたは設備の良く整った映画産業の施設なら何処でも制作出来るものなのである。南京政府の宣伝広報局は上海の国際租界が保護してくれるのにっけこんで、世界世論の感情を歪曲すべく計算され尽くした写真や宣伝活動の材料を、この平和の避難所から続々と生み出した。いくつかの事例はこのような宣伝活動の本質を示すのに十分であろう。

八月一五日に中国軍の飛行機が国際租界のキャセイホテルとパレスホテルを爆撃した時、中国政府の宣伝広報局は、この爆撃機は日本軍のものである、というニュースを流した。

ワシントンポストの上海特派員であるマーク・J・ジンスボーグ氏は、「二四時間以内にこの宣伝広報局は重大な訂正を発表し、我々特派員スタッフの完壁なる調査によって問題の爆撃機は日本軍のものではなくて中国軍のものであることが判明した、ということを内外に通告した」と書いている。

さらにまた八月二二日、中国軍の飛行機は国際租界を爆撃し、この時にはシンシアーデパートとウィン・オンデパートに被害を与えた。この時も同様に中国の宣伝広報局は、この爆弾は日本軍の飛行機から投下されたものであると発表した。

ニューヨークタイムス上海特派員は中国側の検閲を避けて真実を伝えるため、この爆撃に関する特電を上海ではなく香港から発信した。

彼が香港から発信した八月二七日(爆撃の五日後)付の特電の一部は次のようになっている。
「上海の国際租界及びフランス特権区域に居住する無力な一般市民を、中国軍が無責任に空爆したり殺害したりするのを防ぐために、武力手段または他の抑止策をとることについて何らかの国際的な合意が必要であるということは、上海在住の外国の領事館員や陸海軍スタッフたちの一致した見解となっている」

この特電は中国の検閲に不満を漏らして次のように述べている。
「中国の検閲官は発信された外電やラジオ通信から前述の事実や意見を削除した。そして場合によっては外電のニュースそのものを変えてしまいさえもした。その目的は、現地の外国人たちがあたかも心の中で、この爆弾は恐らく日本軍の飛行機から投下されたものかも知れない、と疑っているかのように見せかけるためだったのである。だがしかしこれは明らかに真実ではない」

さらにまた九月六日付香港発信のニューヨークタイムス特電は、同爆撃について次のように述べている。
「中国軍は、この爆弾は日本軍の飛行機から投下されたものである、と宣言することによって責任を拒否した。しかしながら今や、これらの爆弾は両方とも中国がイタリアから購入したイタリア製のものであることが判明している。この判明した事実について、アメリカとイギリスの現地の海軍調査官の意見は一致している。そしてイタリア当局もこの爆弾が自国製であることを認めている。これは決定的な証拠であるように思える。何故ならばイタリアは、日本がイタリアからそのような軍需物資を購入したことは一度もない、と証言しているから」

三、中国の宣伝活動のやり方

中国に関する最も興味深い事柄の一つは、世界的規模の組織を持つある特定の報道会杜に南京政府がニュースを提供するそのやり方である。一九二九年かあるいはその時分に、国民党外務省の宣伝広報局は上記の報道会社と協定を結んだ。この協定によればこの報道会杜は、宣伝広報局が提供するニュースを一日当たりあるいは週当たりの決められた分量だけ流すことになっていた。この「業務」に対する報酬として、宣伝広報局はこの報道会杜に毎年かなりの金額のお金を支払うことになっていた。

かくしてこの報道会社は算盤勘定をしながら、南京政府のための宣伝工作活動にも等しい仕事を請け負うことに同意したのである。だがしかしこの話はまだ続きがある。南京政府がこの報道会社に支払ったお金の一部を、宣伝広報局長官または他の国民政府外務省高官は、この報道会社から払戻金としてこっそり受け取ることになっていたのである。そしてそれは極めて寛大な行いであると一般的に解釈されていたのだ! さらにその上、この外国の報道会社の南京特派員は同時に、南京政府外務省の宣伝広報局と公式のつながりを持っていたのだ! このつながりは数年前に出来、そして私はそれが廃止されたということをまだ聞いていない。

この事例に見られるような虚偽の宣伝運動は、中国から届く新聞写真やニュース映画などにまで及んでいる。中国で活動している外国の報道会社は色々な便宜をはかってもらうために、自国のカメラマンのみならず中国人のカメラマンをも採用している。恐らくこのことによって、中国の写真やニュース映画が虚偽で汚染されていることの説明がつくだろう。もしもニュース特電さえもが中国人の検閲官に迎合するように変えられてしまうとすれば、このような虚偽の汚染を防ぐための如何なる保証が有るというのか?

しばらくの間アメリカのいくつかの映画館(そしてイギリスの映画館も確かそうだったと恩うのだが)は、二人の中国人が目隠しをされ脆いたままで銃殺される場面を写したニュース映画を上映していた。だが調査の結果、このフィルムは一九三一年に作製されたものであり、処刑された犠牲者は中国人の強盗が中国兵に銃殺されたものであることが判明した。このことが分かってからこのフィルムは上映されなくなった。

これとほぼ同時期に外国の諸新聞は一枚の写真を掲載したが、それは一人の中国人女性が目隠しをされて縛り上げられ、日本軍兵士の銃剣突撃の標的にされている光景であった! この兵士の顔つきは日本人ではなくて、明らかに中国人の顔つきそのものであった。目隠しをされた姿は人間というよりもむしろマネキン人形のように見えた。写真に写っているのは兵士が銃剣を女性の体に突き刺している光景であるが、何と血は一滴も流れていないのだ! もしもこの忌まわしい所業が実際に行われたとするならば、日本軍がそのような場面の写真をただの一枚でも撮らせることを許可するなどということが、常識的に見て果たして考えられるであろうか?

日本陸軍のT・高橋大佐はニューヨークから来た報道員にこの写真を突きつけられて問い質された時、次のように答えている。
「我々が普段訓練を受けているような日本軍兵士の手法は、写真に写っているような手法と全く異なる。我々は銃剣突撃を腰から上段に構えて行う。日本軍の兵士はこの写真に写っているようなやり方で銃剣を使わない。もしも日本軍の兵士がこの写真の人物のやっているような姿勢をとれば、彼は上官から処罰されるだろう」

四、南京の爆撃

一九三七年九月二〇日、上海の日本海軍第三艦隊司令長官である長谷川清海軍中将は、当時予定されていた日本空軍による南京爆撃について、次のような警告を発した。
「日本の軍事行動の目的は現在の戦闘状況を早期解決に導いて、中国軍の敵対活動を終わらせることにあり、そして南京は中国の軍事活動の主な拠点となっているので、日本海軍の爆撃機は九月二一日の午後爆撃という攻撃的手段に訴えるかも知れない。その攻撃目標は中国軍、及び南京内外の軍事作戦と軍事行動に関係する全ての施設に向けられるであろう。
予定されている攻撃の間、友好的な列強諸国民の生命と財産の安全が十分に考慮されるであろうことは繰り返すまでもない。しかしながらそのような警告にもかかわらず、日中間の戦闘にそれらの諸国民が危険な状態で巻き込まれるかも知れぬ可能性を考えると、第三艦隊の最高指揮官としては南京内外に居住している職員や住民に対して、どうしても次のように忠告せざるを得ない。より安全な地域へ自発的に移動するための適切な手段をとるように、と。揚子江での危険を避けたいと申し出ている外国の軍艦及びその他の船舶は、下三仙のもっと上流に停泊するように、との忠告を受けた」

英文の文章としての稚拙さはさておいてこの警告は、外国人の生命と財産に対する予想される危険を最小限に留めよう、という最上の意図の下になされた。もっともそれによって日本の爆撃機は、日本軍の戦略を南京防衛軍に前もって知られてしまったために、大変な危険に曝されることになったのであるが。日本の長谷川中将は当然のことながら、南京全市を破壊し尽くすための無差別爆撃を行おうなどという意図は全く持っていなかった。南京政府の日本に対する好戦的な活動を徒に長引かせるのに必要不可欠と考えられる軍事施設及び政府施設のみを破壊する、これが彼の狙いだったのである。しかし彼が自分の配下の爆撃機にどのような警告を義務づけたところで、予定されていた空爆が最初から標的としていない民間人やその他の対象にある程度の危険を及ぼすことはやむを得ないことであった。これが彼が前もって警告を発した理由であった。

にもかかわらず長谷川中将のこの善意は、非常に歪曲された形で欧米の新聞に掲載された。九月二一日付上海発信のニューヨークタイムス特電は次のように報じている。
「日本が大都市としてのそして政府所在地としての南京を破壊し尽くし、この中国の十年に及ぶ首都の壮麗な新しい建造物を全て灰燼に帰させるつもりであることは、長谷川中将の『敵に決定的な打撃を与え、それによって戦闘の終結を早めたいと願っている』という宣言によってはっきり示された」

次に掲げるのは、この日本軍の警告について諸外国の新聞が報道した時のやり方を示す、いくつかの典型的な見本例である。

  1. 「南京を破壊して地図の上から消し去ってしまう」
  2. 「南京の全区域に空からの集中攻撃を行う」
  3. 「南京の無制限空爆」
  4. 「日本軍は巨大な戦闘機編隊を本日集結。中国の首都であり百万以上の人間の住む南京を破壊する目的」
  5. 「日本軍、南京の完全破壊を望む」
  6. 「日本軍、中国の近代的な首都を完全破壊しようと決意」

そしてこの中傷誹誘運動の結末は? 一九三七年一二月中旬日本軍が南京に入城した時、中国軍が逃亡する前に彼らが自分で行った略奪や放火を除いて、市街はそっくりそのまま無傷で残っていたのである!

五、戦争の被害

南京爆撃は、日本軍の空爆で生じた被害について想像を膨らませる機会を新聞に与える、多くの事例の内の単なる一つに過ぎない。日本軍のパイロットは非難される点は全く無く彼らは過ちを全く犯していない、などと主張する日本人は一人もいない。だがしかし日本人は次の点にっいては確信している。すなわち非軍事的施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においても唯の一人もいなかったのだ。

中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。

天津
  1. 南海大学は七月二九日の日本軍の砲撃と空爆でかなりの被害を受けた。その理由は第二九方面軍第二六連隊に所属する六百名の中国軍がこの建物を占拠し、日本軍に対する軍事活動の拠点として使用していたからである。
  2. 南海女学校と河北中学校は七月三〇日の日本軍の空爆で被害を受けた。その理由は第三八方面軍の中国兵がその建物にたてこもったからである。

上海
  1. 同済大学と呉松の中学校が被害を受けた。その理由は第八八方面軍の中国兵がその建物を占拠し、その壁の背後から日本軍を攻撃したからである。
  2. 閘北地区の商業新聞杜及びそれに付属する東洋図書館が被害を受けた。その理由はまず最初に中国の第八七方面軍が、後に第二五及び第一〇方面軍がその建物を占拠したからである。中国軍はその周囲に塹壕を掘り巡らし、防衛手段の一部として戦車を配置し、全ての窓の背後に土嚢を積み上げ、その陰から機関銃で日本軍を攻撃した。
  3. 交通大学が日本軍に攻撃された。その理由はそのキャンパスを中国軍の砲兵隊が使用していたからである。
  4. 佳夏大学と昆華大学が攻撃された。その理由は中国軍がキャンパスの内外に塹壕を掘り巡らし、それを軍事活動に利用したからである。退却する前に中国軍はその建物に放火して行った。
  5. 復旦大学、上海商業学校、準貼学校、愛国学校などが日本軍に攻撃された。その理由はそれらの施設が全て中国軍の軍事活動のために使用されていたからである。

広東
次の諸施設は不幸にも全くの偶然によって被害を受けた。その理由はそれらがたまたま広東政府のセメントエ場と空港に隣接していたからである。
  1. 梅花中学校
  2. 光亜中学校
  3. 夏后女子大学
次の諸施設は攻撃された。その理由は中国軍がそれらを占拠していたからである。
  1. 将軍中学校
  2. 中山大学
  3. 復但中学校

山東省、済南
日本軍によって被害を受けた中国の文化施設は全く無かった。中国軍は退却するまえに
  1. 純粋に科学的な目的のために日本人が設立した気象台を完全に焼き払った。
  2. 日中両国民の福祉のために日本人が経営していた呑堅病院を略奪し尽くし、そのほとんどを破壊した。
  3. 日本人学校を略奪し尽くし、そのほとんどを焼き払った。

山東省、青島
中国軍は退却する前に、日本人の経営する事実上全ての絹糸工場と綿糸工場を焼き払い破壊した。その評価額は三億円に上る。中国の軍と民間当局は一九三七年一〇月に日本人がこの都市から撤退した後、それらの財産をを保護すると約束しておきながらこの蛮行に及んだのである。

六、毒ガスのデマ

日本軍が中国人に対して毒ガスを使用したという話は、大戦中及び大戦後数年間世界中に広まった次の悪名高い話と似たり寄ったりである。それはつまり、ドイツ軍が防衛線の背後に多くの工場をこしらえ、そこでドィツ兵の死体や敵兵の死体をグリセリンや潤滑油や肥料を製造するために使用した、という話である。このドイツについての忌まわしい作り話は一九一七年の初め頃からイギリスの新聞に載り始め、一九二五年一〇月まで何ら訂正されぬままでまかり通ってきた。この時イギリス陸軍のチャーテリス准将はニューヨークで催された個人的な晩餐会の席上で演説した際に、ドイツの死体工場の話は宣伝目的のために彼が自分ででっち上げたものであると告白した、と報じられている。この准将はイギリスヘ帰国後、自分がそのような告白をしたことを真っ向から否定した。だがしかし重要な事実は一九二五年一ニ月二日に、イギリス外務大臣のオースティン・チェンバレン卿が下院で次のような声明を発表したことである。その声明とは「ドイツ第三帝国の首相はドイツ政府の威厳にかけて、それ(死体工場の話)については根拠は全く無いと私に断言した。彼のこの否定を私が神かけて受け入れることは繰り返すまでもない。そして私はこの出鱈目の作り話が再び広まらないことを望む」という内容であった。

このイギリス外務大臣の声明を論評して、アメリカのバージニア州リツチモンドのタイムス特電は一九二五年一二月六日付で次のように述べている。
「ドイツ皇帝カイザーがどのようにして人間の死体から脂肪を製造したか、という話は数年前文明諸国の市民の間に憎悪の嵐を巻き起こした。正常な心を持った正気の人たちが拳を握りしめ、われ先にと争って最寄の新兵採用の窓口へ殺到した。今になって彼らは、実際は自分たちが騙されやすいお人好しの馬鹿であり、彼ら自身の上官が自分たちを煽り立てるためのひどい嘘をつきながら、自分たちを戦闘心の塊に変えてしまったのだ、ということを知らされつつある。それはちょうど年上のガキ大将が小さな子供をつかまえて彼の耳元に、別の子供が彼をやっっけようとしていると囁くようなものだ。
次の戦争では宣伝は、先の世界大戦がなし得た最上のやり方よりもっと微妙で巧妙なやり万になるに違いない。あの世界大戦において国民の信頼を受けた政府の側が大嘘をついていたとあからさまに自白したことは、簡単には忘れ去られないであろう」

中国での日本軍の軍事行動に関連した残虐な記事や写真を新聞で読んだり見たりする時は、とりわけこの論評を心に留めておかねばならない。

前記の記事が書かれて以降、新聞社の特電は日本兵の側の始末に負えないような振る舞いについていくつかの事例を報じている。例えば上海や南京の一時的に留守になった外国人の邸宅からワインやちょっとした宝石類をくすねたりとか、中国人の女性を暴行したりとか、などだ。ある意味ではそのような事件の方がパネー号及びレディーバード号事件などよりはるかに深刻である。前者については弁解の余地は全く無く、我々はそれらの事件をただただ恥じ入るのみである。後者については我々は誠心誠意謝罪するけれど、しかし心の奥底で我々は、外国の司令官たちは戦闘の場面からさらに遠くへ船を移動させることによって、難を免れるような分別をもっと働かせてもよかったのに、と感じないではいられない。最近報じられているようなつまらない違反事件を厳重に取り締まらないで放っておけば、既に外国で一般的となっている世論(つまり日本軍は一八九四-九五年の日清戦争及び一九〇四-〇五年の日露戦争の時には規律の行き届いた振る舞いの立派な軍隊であったが、今ではもはやそのような立派な軍隊の見本ではなくなっている、という世論)を一層煽り立てることになるだろう。


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