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永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和13年前半

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永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和13年前半


一月十九日

一月十九日。晴。咳嚇甚しければ終日蓐中に在り。ヴァン、メールシの小説千九百十四年の入冠を繙く。〔此間二行弱抹消。以下行間補〕独逸軍を日本兵に取替へ北仏の野を支那に取替へて読み行けば惨憺の情一層身に迫るを覚ゆ〔以上補〕。此日朝より暖なりしが夜に入りて微雨あり。正月二日以来初めての雨なり。

一月三十日

一月三十日 日曜日 終日雨霏(もや)燈刻築洲子の電話に促されて銀座不二あいす至り共に晩餐を喫す。折から雨は雪となりて行来の人の傘忽ち白し。遊意勃然として動き車にて共に北里の引手茶屋浪花家に至る。楼上大一座の客あり。絃声〓〓(金へんに爭)たり。会社或は商店の新年宴会なるが如し。裏二階に置火燵を運ばしめて妓おいろ小槌半玉二人を招ぐ。又電話にて待乳山人を招ぐ。半玉信子能く舞ふ。妓おいろ清元を善くす。声にさびあり凄艶限なし。一同雑炊を食す。おいろ再び絃を撫し、其筋よりの御達にて曲輸の芸者も愛国進行曲をひくべき筈なれど、三絃にてひけば何の面白味もなし。調子は三下りの一を上げるなり。又勝つてくるぞの歌は二上りにてひくなりと語れり。大引の鉄棒をきき車を命じてかへる。雪は既にやみしが霊南坂を登れば深更人の行来なければ雪は白く道につもりたり。わが門前の小径も門内の庭も共に雪白し。
   あけ近く帰る庵や門の雪
   窓あけてまた見る雪の厠かな

一月三十一日

一月三十一日。晴れて暖なり。正午に起き晡下土州橋に至り日用の薬を求む。銀座にて理髪食事をなして一更家に帰る。写真現像。
〔欄外朱書〕煙草またまた値上げとなる 銀座二丁目カフヱーグランド閉店


二月初一

二月初一旧正月二日。晴。午後土州橋に往き浅草に〓(食へんに卞)して後銀座不二地下室に憩ふ。白柳高橋菅原の諸氏に逢ふ。クロードフワレール来遊の事を高橋君より聞く。
〔欄外朱書〕国内諸処ノ帝国大学教授多数捕縛セラル

二月十七日

二月十七日。朝来雨滂沱。風亦烈し。正午に覚む。午後中央公論社佐藤氏来り支那戦地視察の事を勧む。夜に入りて雨舞れ月出づ。銀座不二あいす店に晩餐を喫す。偶々秀湖君在り。時事を論ず。

三月十七日

三月十七日。今日も空はれず。風亦冷なり。鄰家の梅花満開なり。道源寺阪下西光寺の庭にも梅花星の如し。夜銀座に〓(食へんに卞)す。不二地下室に至るに電報通信社々員宮崎氏北支戦場より帰来るに逢ふ。其談話をきく。中央公論社原稿料四百八円を送り来る。女中のはなし稿料なり

四月初三

四月初三 日曜日。今春丸善書店に注文したる洋書悉く輸入不許可の趣丸善より通知あり。戦禍憂ふべきなり。夜浅草オペラ館に至り声楽家増田晃久永井智子等と中西喫茶店に会合して拙作歌劇の事について胥議す。此日西北の風強し。
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