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第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」

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第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」


 前三章は主に1931年9月18日以来の軍事及政治上の事件の記述に止めたり。日支間紛争の討究は紛争に於ける他の重要なる要素、即ち日本貨物に対する支那のボイコットを説明せざる限り正確または完全ならざる可し。

 右ボイコット運動において使用せられたる方法及其の日本の通商に及ぼしたる影響を諒解せんが為には日本の一般経済的地位、其の支那における経済的財政利益及支那の外国貿易に付記述するの要あり。尚満州に於ける日本及支那の経済的利益の範囲及性質を諒解すること必要にして右は次章において討究す可し。

 注)「ボイコット」此語は最初愛蘭土(アイルランド)において使用せられ「マヨ」県におけるアーヌ伯領の差配チャーレス・カニンガム・ボイコット大尉(1832-97)の名に起因す。借地人によりて定められたる地代を1880年受領することを拒絶せるが為め「ボイコット」大尉の生命は脅かされ、彼の召使は離別を余儀なくせられ垣根は破壊され、手紙は奪取せられ又食料の供給が阻害せられたり。此語は直ちに英語として使用せられ且迅速に多数外国語に採用せらるるに至れり。「エンサイク・ペディア・ブリタニカ」1929年第十四版。

 注)本問題に関する特別の研究に付付属第八参照。

 前世紀の六十年代における明治維新の頃、日本は二世紀以上に亘る孤立より脱却し而して五十年を俟たずして世界の第一等強国にまで発展せり。以前殆ど停滞し居りし人口は急速に増加し始め1872年に3300万なりしものが、1930年には6500万に達せり。而して此の驚くべき増加は1年に約90万の割合を以て尚継続す。

 可耕地一平方哩におけり日本の人口を他の国の夫れに比せんに日本の割合は例外的に高し。右は島帝国の特殊の地理的構成に起因す。即ち、

 日本    2774
 イギリス  2170
 ベルギー  1709
 イタリア   819
 ドイツ    806
 フランス   467
 アメリカ   229

 農業地に高度に人口が集中し居るため各自の保有地面積は頗る狭小にして農夫の35%は1エーカー未満を34%は2エーカー半未満を耕作す。可耕地は其の及ぶべき限度に到達し居り又集約農法の限度に達す。約言すれば日本の土地は今日以上に生産することを期待する能わず。又就業に機会を今日以上に多く供給すること能わず。

 尚集約農法及肥料の普及的使用の結果として生産高は高まり、土地の価格はアジアの如何なる地方よりも、否欧羅巴の人口過剰の地方よりも遥かに高し。財政的負担を痛く課せられ居る人民の間に不満存し居るものの如く、借地人と地主との間における争議は増加しつつあり。移民は救済の見込みある方法として考慮せられたるも次章において述ぶるが如き理由を以て現在迄の処解決手段とならざりき。

 日本の最初都会の人口増加を支ふる為産業主義に転向せるが右は農産物の為国内市場を提供し且内地及外国において使用さる可き物資の生産に労働を向はしむべきものなり爾后幾多の変化を生ぜり。以前日本は食料品供給の見地より観て自足以上の状態にありしが近年は全輸入の8%乃至15%は食料品の輸入及此の輸入必要の恐らく増加すべきことは既に逆となれる貿易感情を工業品輸出の増加によりて補うことを要す。

 若し日本が増加しつつある人口に対する職業を是以上の工業化の行程において見出すの要ありとせば輸出貿易の発展並びに増加しつつある製造品及半製品を吸収し得る外国市場の開拓が益々緊要なり。而して如斯市場は同時に原料品及食料品の供給地たり得べし。

 今日迄発展したる日本の輸出貿易は二つの主なる方面を有す。即ち贅沢品たる生絲は合衆国に主要製造品(主として綿製品)はアジアの諸国に向かい、合衆国は輸出の42.5%、アジアにおける市場は総括して42.6%を占む。而して後者の中支那、関東租借地及香港は24.7%にして残余の大部分はアジアの他の地方において支那商人によりて取扱わる(1929年の数字にして「ジャパン・イヤーブック」1931年版に依る)。

 1930年即ち完全なる数字の判明し居る最近の年において日本の輸出総額は14億6985万円即ち17.7%は支那(関東租借地及香港を除く)に向かい右輸入中1億6166万円即ち0.4%は支那(関東租借地及香港を除く)より来れり。

 日本より支那に輸出さるる重なる商品を細別するときは支那は日本より輸出さるる一切の水産物の32.8%、精糖の84.6%、石炭の75.1%、綿織物の31.9%、平均51.6%を占むることを見る可し。


 尚支那より輸入さるる物品を細別するときは日本が輸入する大豆及豌豆の総額の24.5%、油糟の53%、植物性繊維の25%、平均34.5%は支那より来るものなることを示す。

 以上の数字は香港及関東租借地を除きたる支那のみに関するものなるを以て重に大連港を経由して行われつつある日本の対満貿易の範囲を示し居らず。

 叙上の事実及び数字は明らかに日本にとり対支貿易の重要なる事を示せり。尚日本の支那における利益は単に貿易に止まらず即ち日本は巨額の資本を工業的企業並びに鉄道、船舶及銀行に投じ此の方面の財政活動において発展の一般的傾向は最近30年間に顕著なるものありしなり。

 1898年に於いて挙ぐるに足るべき日本の唯一の投資は支那人との合弁に係り約10万両の価格を有する在上海の小製綿工場に過ぎざりき。1913年迄に支那及満州における日本の投資見積総額は日本の海外投資見積総額3500万円の内4億3千万円を占め世界大戦の終期迄に日本は支那及満州における1913年の投資額に比し其の投資を倍以上となせり。右増加の相当部分は有名なる西原借款に基づくものにして右借款は政治的考慮をも加味せられたるものなり。此の故障ありしに拘らず日本の支那及満州に於ける投資額は1929年に於いて海外投資21億円の内約20億円に上れり(他の見積によれば支那(満州を含む)における日本の投資は総額約18億円なり)右は日本の海外投資は殆ど全く支那及満州に限定せられ而も後者が此の投資の大部分(特に鉄道)を吸収したるものなることを示す。

 右投資以外に支那は日本に対し諸種の国債省債及市債として債務を負い其の額は1925年に於いては3億445万円(其大部分に無担保)及利息1803万円なり。日本の投資の大部分は満州に於いてなるが支那本部に於いて工業、船舶業及銀行業に投ぜられたる金額亦尠からず。1929年に於いて支那の紡績及紡織工場において運転せる紡錘の総数の約50%は日本人によりて所有せられ、又日本は支那における通運業において第2位を占め、支那における日本の銀行の数は1932年に30に達し内若干は日支合弁なり。

 叙上の数字は日本側より観察したものなる処支那側より見るも其相対的重要性を容易に知ることを得。日本との外国貿易は1932年迄において支那の外国貿易の首位を占めたり。1930年に輸出の24.1%は日本に向かい、同年輸入の24.9%は日本より来れり。右を日本側見地よりする数字に比較せんに支那の外国貿易において日本との貿易は日本の貿易総額に於いて対支貿易が占むるパーセンテージよりも多きことを知り得。然るに支那は日本に於いて何等の投資をも銀行業または船舶業の利益をも有せず。支那は多数の製造品に対する支払いを可能ならしめ且堅実なる信用の基礎を築き以て将来の発展に必要なる資本を借入れんが為其の製産物の輸出増加を可能ならしむることを要す。

 依是観之日支経済財政関係は広汎且多岐にして従って紛争要因によりて容易に影響され且混乱せしめらるるものなること明らかなり。尚概言せんに日本の支那に依存することは支那の日本に依存することよりも大なるものの如し。由て日本は支那との関係混乱する場合に於いては支那に比較し一層害せられ易く且失う所も多し。

 尚1895年の日清戦争以来両国の間に起こりたる幾多の政治的紛争が順次に相互の経済的関係に影響したることも明らかなり。而して右紛争に拘らず両国の貿易が絶えず報加したる事実は政治的敵愾心も割くこと能わざる基本的経済的連鎖の存することを示すものなり。

 数世紀にわたる支那人は商人、銀行家の団体及同業組合に於いてボイコットを慣用し、右組合は近代の情勢に合致する様変形せられたるも尚多数に存在し、其の共通の職業的利益擁護の為組合員に対し絶大なる勢力を振るいつつあるなり。右数世紀の歴史を有する組合生活に於いて得られたる訓練及態度は現代のボイコット運動に於いて近年の熾烈なる国民主義と結合せり。而して国民党は右国民主義の組織的表現なり。

 国民的基礎において外国に対する政治的武器(右は支那商人相互間に行われたる職業的方便たるボイコットより区別し)として使用せらるる近代の排外ボイコットは時代は1905年米国に対して為されたるボイコットにより始まりたりと云うを得べし。右ボイコットは同年改訂せられたる米支通商条約の規定が従前よりも一層厳重に支那人の渡米を制限せるに起こりたり。この時以来今日に至る迄規模に於いて国民的と称せらるべきボイコットが判然と10回も行われたり(此の他に地方的性質の排外運動ありたり)右の内九回は対日(注)にして一は対英なり。


 (注)之等ボイコットの年度及直接原因は次の如し。

 1908年 辰丸事件
 1909年 安奉線問題
 1915年 二十一ヵ条
 1919年 山東問題
 1923年 旅大回収問題
 1925年 5・30問題
 1927年 山東出兵
 1928年 済南事件
 1931年 満州問題(萬寶山及奉天事件)

 若し此等ボイコットを仔細に研究せば、何れも或る一定の事実、事故又は事件にして概して政治的性質を有し、支那が同国の重大利益に反して行われ又は同国の国家的対面を毀損すと解するものに其縁由を繹ね得ることを発見しべし。斯くして1931年のボイコットは同年6月の萬寶山事件に続いて発生せる7月の鮮人の虐殺の直接の結果として開始せられ9月の奉天事件及1932年1月の上海事件に促進せられたるものなり。各ボイコットは各直接に繹ね得る原因あるも其の原因事体は第1章に述べたる群集心理無かりせば斯くの如き広汎なる経済的報復を生起せざりしなるべし。此の心理の創生に寄与せる要素は不正の確信(不正と考えることが正しくとも或は誤れるとも)外国人に比し支那の文化が優越なりとする相伝的信条。及西洋式の熾烈なる国民主義(目的に於いて主として守勢的なるも其の間攻撃的傾向を欠如せず)なり。

 国民党の前身とも見らるる興中会は遠く1893年に創設せられ又1905年より1925年に至る総てのボイコットは疑いもなく国民主義の矢叫を以て開始せられたるものなりと雖も最初の国民主義者の団体及後の国民党が此等ボイコットの組織に直接関与せるの確証なし。商会及学生同盟は孫逸仙博士の新綱領に鼓舞せられ又実際に於いては世紀を経たる秘密結社、同業組合の経験及心理に導かれ斯かる仕事に充分の能力を有せり。商人は専門的知識、組織方法及手続き方法を供し一方学生は新たに獲得せる確信及国家的目的に対する決意の精神を以て其の運動を鼓舞し以て之が実行を助成せり。学生は概して国民主義的感情のみに動かされたるものなるか商会は其の感情は同じふするもボイコットの実行を支配せむとするの欲望より之に参加するを賢明と思考せり。初期ボイコットの実際の方式を排除せらるる国の商品の購買防止にありしが其の活動の範囲は漸時該国に対する支那商品の輸出拒絶又は支那における該国人に対する有償無償の奉仕拒絶せられ終に最近のボイコットの確定せる目的は「仇国」との間の総ての経済的関係を完全に断絶することに存するに至れり。

 斯く樹立せられたる方式は本報告書に付属する特別研究において詳述せられたる理由に因り未だ充分に徹底的には実行せられたることなきを指摘せざる可らず。概説するにボイコットは北方(特に山東は之に対する支援を差控えたり)に於けるよりも国民主義的感情が最初の且最も熾烈なる信者を発見せし南方に於いてより激烈性を有せり。

 1925年より此の方ボイコット組織に確定的変化起これり。国民党は其の創設以来同運動を支援し順次のボイコットに其の支配権を増加し、遂に今日に於いては其の実際の組織的、原始的、調整的及監督的要素たるに至れり。

 之を為すにあたり国民党は委員所有の証拠に示さるる如く従前ボイコット運動指導に與り居たる各団体を除外せざりき。同党は寧ろ右団体の努力を調整し、其の方法を組織化及統一し、其の運動の背後に強力なる党組織の精神的及物質的の重みを充分に付与せり。同党は全国に支部を有し広汎なる宣伝及情報機関を所有し強き国民主義感情に刺激せられ居るものにして当時迄稍散在的なりし運動に組織及刺激を与えることに急速に成功せり。その結果として商人及一般民衆に対するボイコット組織者の強制的権力は以前よりは一層強きを加えたり尤も同時に個々のボイコット団体に対し多少の自治権及発案権残し置かれたり。

 ボイコット方式は地方状況に従い改編を続けたるが右は組織の強力化と平行して為されボイコット団体により使用せられたる方法は一層統一的に、一層厳格且効果的となれり。同時に国民党部は命令を発して日本人に属する商業家屋の破壊又は日本人に対する肉体的加害を禁止せり。右はボイコット中において在支日本人の生命が決して脅かされたることなきを意味せざるも、概括的には最近のボイコットにおいては日本人民に対する暴行は従前に比し少なく且甚しからざりしと言うを得べし。

 使用せられたる方法の技巧を検討するにボイコットの成功に必須なる民衆感情の雰囲気は「仇」国に対する民心を刺激する為技巧妙に選ばれたる標語を用い、全国に亘り統一的に実行せられたる猛烈なる宣伝により創生せられ居るを見る。


 委員会の実見せるに現在の対日ボイコットに於いては民衆に対し日貨の不買が愛国的義務印るなを象あらゆる手段が使用せられ居たり。例えば支那新聞紙の紙面は此の種宣伝に充たされ、又市内の建築物の壁はポスターを以て蔽われ居りたるが、此の種ポスターにはしばしば極端に激烈なる性質ものあり(注)。反日標語は紙幣、書信及電報用にも印刷せられ、「チェーン・レターズ」は転々と発せられたり此等事例は決して茲に全部を尽くし居るものにはあらざるも使用せられたる方法の性質を示すに足るべし。此の種宣伝が1914-18年の世界大戦中欧米の或る国々において用いられたるものと本質的に異ならざるの事実は日支両国間の政治的緊張として支那人が日本に対して感ずるに至れる敵意の程度を証するのみ。

 (注)委員会の訪問せる多くの都市に於いては此の種ポスターは予め撤去せられありたるもしばしば此の種ポスターの見本を所有せる信頼すべき地方の証人よりの言明ありたるにより上記の事実を確認せり。尚又右見本は委員会の記録中に保有しあり。

 ボイコットの政治的雰囲気は其の最後の成功に欠くべからざるものなれど、斯かる運動は若しボイコット団体が其の手続きの方式に於いてある種の統一性を得るにあらざれば決して効果的なる能わず。1931年7月17日に開催せられたる上海反日会の第一回会議において採用せられたる四原則は此の種規則の主要目的を例証するに足るべし。

 イ、既約日貨の注文を取消すこと。
 ロ、既約日貨にして積込未了のものは船積を停止せしむること。
 ハ、既に倉庫に在るも支払い未了の日貨は受領を拒絶すること。
 ニ、既購入日貨を反日会に登記し其の売却を一時停止すること。登記の手続きは別に決定す。

 同会により採用せられ本報告書付属書に採録せられたる其の後の決議は一層詳細にしてあらゆる場合に対する規定を包含す。

 ボイコットを励行する強力なる手段は支那証人の手持ち日貨の強制登記なり。反日会の検査員は日貨の動きを監視し出所疑わしきものは日貨なりや否やを確かむる為之を検査し、未登記日貨の存在の嫌疑ある商店及倉庫は手入れを行い、規制違反発見の場合は其の首領の注意を喚起す。斯かる規則違反を犯せるを発見せられたる証人はボイコット団体により罰金を課せられ、公然民衆の非難に曝され、一方其の所有商品は没収の上公売に付せられ其の売上金は反日団体の資金となる。

 ボイコットは商売のみに限らるるにあらず。支那人は日本船にて旅行をなし、日本の銀行を利用し、又は業務上家事上を問わず如何なる資格に於いても日本人に仕えざる様警告せらる。此等命令を無視する者は各種の非難及脅迫を蒙る。

 此のボイコットの今一つの特徴は前例の如く単に日本の工業を害するのみならず従前日本より輸入せる或る種貨物の生産を刺激し、支那の工業を促進せんとする希望なり。其の主なる結果は上海に於ける日本人所有の工場を犠牲とせる支那の紡績工業の拡張となれり。

 上述のラインに於いて組織せられたる1931年のボイコットは同年12月、ある種の弛緩の顕れたる迄継続せり。1932年1月には当時進行中の大上海市長と同地日本総領事との間の交渉中において支那側は地方反日組織を自発的に解散することさえ約せり。上海に於ける敵対行為中及日本軍撤退直後の数ヶ月間に於いてはボイコットは決して完全に放棄せられざりしも緩和せられ、晩春及初夏に於いては支那各地方に於ける日本との貿易再び興るやにさえ見受けられたり其の時極めて突然に7月下旬より8月上旬に亙れる熱河境における日本軍の行動の報と時を同じうしてボイコット運動の顕著なる復活を見たり。民衆に対し日貨不買を強調する記事は支那各新聞に新たに掲載せられ、上海商会はボイコット再開始を慫慂する公開状を発し、同市に於ける石炭商同業組合は日本炭の輸入を最小限度に制限するに決せり。同時に日本炭取扱の嫌疑ある石炭商の構内に爆弾を投入し、又は商店主に対し手紙を送り日貨を売るを止めざれば其の財産を破壊すべしと脅迫する等の一層激烈なる方法用いらるるに至れり。新聞に掲載せられたる此の種脅迫状は「鉄血団」又は「血魂除奸団」と署名せられ居りたり。

 斯の如きが本報告書起草中の状況なり。ボイコット活動のこの再発は在上海日本総領事をして官憲に対し正式抗議を提出せしめたり。

 各種のボイコット運動及特に現在のボイコット運動は物質的及心理的意味において共に日支関係に重大なる影響を及ぼせり。


 物質的影響に関する限り即ち貿易業の損失に於いては支那人はボイコットを経済的加害行為としてよりも寧ろ道徳的抗議を示さんとする望みを以て之を内輪に表示するの傾向あり。然るに日本人は或る種の0貿易上の統計に余りに絶対的の価値を付し居れり。之に関連して両者に用いられたる議論は前述の付属研究に検討せられあり。同研究に於いては正に相当多額に達する実害の程度に付詳細の記述を為しあり。

 本問題の他の一面も亦之を述ぶるを要す。支那側自身は既に支払いを了せる商品にしてボイコット団体に登記せず為に公売の為押収せられたるにより、またボイコット規則違反に対し同団体に支払いたる罰金により、将又支那海関が其の収入を得ざることにより損失を蒙り居り、而して全般的に言えば取引を失いたるにより損失を蒙り居り、此等損失は相当の額に達す。

 ボイコットの日支関係に及ぼせる心理的影響は物質的影響よりも算定に困難なれども、広範囲の日本世論の対支感情上に惨憺たる反響を起こしたる点において確かに物質的影響に劣らず重大なり。委員会の日本訪問中東京、大阪の両商工会議所はこの点を力説せり。

 日本の世論は日本が其の蒙りつつある損害に対し自らを保護すること能わざるを以て憤激せり。委員会が大阪において会見せる商人等は乱暴狼藉及恐喝の如きボイコット手段の或る種乱用を過大視し、日本の最近の対支政策と右政策に対する防御的武器としてのボイコットの実行との間に存する密接なる関係を過小に見積り又は全然之を否定する傾向あり。反対に之等商人はボイコットを支那の防御武器とは見ずボイコットを以て侵略行為と為し之が報復として日本が軍事行動を執りたるなりと主張せり。兎に角ボイコットは近年日支間系を深く悪化せる諸原因の一たりしことは疑いの余地なし。

 ボイコットの政策及手段に関し三箇の論争点あり。

 第一は、該運動は支那人自身主張するが如く純粋に自発的なりや、又は日本の主張するが如く国民党がしばしば恐怖政治に均しき方法に依り人民に強制する組織的運動なりや否やの問題なり。この点については双方に多くの言い分あるべし。一方に於いては民衆の強き感情の基礎なかりしならば重大なる地域に亙り且長期間継続するボイコットを持続するに伴う此程度の協力及犠牲を示すこと一の国民にとりて不可能なりと認めらるる。他方支那人が其の古き同業公会及秘密結社より継承せる心理状態と方法とを国民党が利用し如何なる程度迄近時のボイコット特に現在のボイコットを支配するに至れるかは明らかに示されたり居ることは該運動がいかに自発的なりとはいえ確かに強固に組織せられ居ることを示すものなり。

 あらゆる民衆運動は或程度の有効なる組織を必要とす。凡ての同志が共同目的に対して有する忠実さは決して画一的に強固なるものに非ず。故に目的及行動の統一を貫徹する為には規律を設くるの要あり。本委員会は支那のボイコットは民衆運動たると同時に組織せられたるものにして又右ボイコットは強き国民的感情に胚胎し之により支持せらるると雖も之を開始又は終息せしめ得る団体により支配せられ又命名せらるるものにして且確かに脅迫に等しき方法に依り強行せらるるものなりと結論す。ボイコットの組織中には多くの別々の団体ありと雖も主たる支配的権力は国民党にあり。

 第二の論点は、ボイコット運動の実行に際し用いられたる方法は常に適法なりしや否やに在り。委員会の蒐集せる証拠に依れば不法行為は常に行われ而も此等不法行為は官憲及法廷により充分に禦壓せられざりしところなりと云う以外に何等かの結論を為すこと困難なり。此等の方法が往時支那に於いて用いられたるものと大体に於いて同一なりとの事実は一の説明となるべしと雖も弁明とはならず。昔時支那の同業公会がボイコットを宣言し被疑者たる之会員の家宅を捜索し、彼等を公開裁判所に引出し、反則の廉により罰し、科料を課し、押収品を売却したりしも公会は当時の慣習に従い行動したるなり。加之右は支那社会の内部問題たりしものにして外国人の関係なかりし所なり。現在の状態は右と異なる。支那は近代的法典を採用したるが此等の近代的法律は支那におけるボイコットの伝統的手段と両立せざる所なり。支那参与員がボイコットに関する支那側の意見を弁護せる覚書は以上の記述を駁せず、単に「ボイコットは一般的に言わば合法的手段により行わるる・・・・・」と論ずるのみ。委員会の有する証拠は右の主張を支持せず。

 右に関して不法行為にして直接に在支外国人即ち今の場合日本人に対して行われたるものと、支那人に対して行われたるも其の目的たるや明瞭に日本人の利益を害するに在りたるものとを区別せざるべからず。前者に関する限り此等の行為は支那法律により明らかに不法なるのみならず、生命財産を保護し並びに通商、居住、往来及行動の自由を保持するの条約上の義務に違反す。之は支那人も意義なき所にしてボイコット団体も国民党の当事者も此の種の犯行を予防するに努めたりしも必ずしも成功せざりしものの如し。既に述べたるが如く現在のボイコットに於いては此の種の行為は既往に於けるよりも少なかりき。

 (註)最近日本より得たる情報に依れば上海に於いて1931年7月より同年12月末迄の間、排日諸団体員により日本商人の商品が捕獲抑留せられたる事件は35件なり。右商品の価格は約287,000ドルと評価せらるる。右事件の中、1932年8月に於いて未解決のまま残されたるものは五件なり。

 支那人に対して行われたる不法行為に関しては支那参与員は其のボイコットに関する覚書第17項に於いて曰く、

 「吾人はまず外国は国内法上の問題を提起することを許されざることを述べんとす。実際吾人の直面せる行為は不法なりと摘発せらるるも支那人が他の支那人に損害を加えたるものなり。此等の行為の抑圧は支那官憲の関係事項にして支那の刑法が加害者も被害者も同じく支那国籍を有する事件に如何に適用せらるるかに対し何人も容喙する権なきやに認めらるる。如何なる国家と雖も他の国家の依然たる国内問題の処理に干渉する権利なし。主権及独立の相互尊重なる原則の意味するところ即ち之なり」と。

 右の如く叙述せらるるときは右の議論は反駁の余地なしと雖も日本側の苦情は一の支那人が他の支那人により不法に損害を蒙りたりと云う点に根拠を有するには在らずして支那法律により不法なる方法に依り日本の利益が侵害せられ而して右の如き事情の下において法律を励行せざることが日本国に対して為されたる損害に対する支那政府の責任問題を惹起するものなりとの点に根拠を有するの事実を無視するものなり。

 茲に於いて吾人はボイコット政策の包含する最後の論争点即ち支那政府の責任の範囲の考察に逢著す。支那政府の態度は「物を買うにあたり自由に選択を為すことは個人の権利にして如何なる政府と雖も干渉し得る所に非ず政府は生命財産の保護に対しては責任を有するも一般に認められたる如何なる規則も原則も政府に対し各市民の基本的権利の行使を禁止し処罰すべしとは要求せず」と云うに在り。委員会は本報告書付属第8号に採録せられたる証拠資料を提供せられたり。

 該証拠資料は現在のボイコットに於いて支那政府が上記引用支那側覚書の指示するように認めらるる所よりも一層直接的なる関与を為したることを示す。委員会は政府各部がボイコット運動を支持するの事実に何等か不適当なるものありと諷示せんとするには非ず。委員会は単に政府の奨励は其の責任問題を惹起することを指摘せんと欲す。此の点に関し政府と国民党の関係の問題を考慮するを要す。後者の責任に関しては問題なし。国民党は全ボイコット背後に存する支配的且調整的機関なり。国民党は政府を作るものにして又其の主人なるやも知れざるも如何なる点迄が党部の責任にして如何なる点より政府の責任が開始するやを決定することは憲法上の一の複雑なる問題にして本委員会はこの点に関し断案を下すは適当に非ずと感ず。

 ボイコットは強国の軍事的侵略に対抗する防衛なる合法的の武器にして特に仲裁裁判の方法が前以て利用せらざりし場合に於いて然りと為すとの支那政府の主張は一層広汎なる性質の問題を提起す。個々の支那人が日本品を買うこと、日本の銀行若しくは船舶を利用すること、日本人たる使用者の為に働くこと、日本人の物品を売ること又は日本人と交際することを拒絶するの権利あるいは何人も否定することを得ざるべし。又支那人が個人的に又は組織せられたる団体としても上述の如き思想の宣伝をなすことを否定するを得ず。尤も此の場合常に其の方法が国法に違反せざることを要すること勿論なり。然れども一つの特定の国家の商業に対しボイコットを組織的に行うことが友好的関係と両立するや又は条約上の義務と合致するや否やは委員会の調査会の題目なりと言わんよりは寧ろ国際法上の問題なり。然れども委員会は一切の諸国の利益の為に本問題は近き将来において考慮せられ、国際約定により規律せられんことを希望す。本章中において、第一に、日本は其の人口問題に関連し其の産業能力を増加せんとし、此の目的の為に頼り得べき海外市場を求めつつあること、第二に、対米生絲輸出を除きては支那は日本の輸出の主たる市場にして同時に日本帝国に多くの原料品及食料品を供することを示せり。加之支那は日本の海外投資の殆ど全部を護し従って現時の如き混乱と未開の状態を以てすら支那は日本の諸種の経済的乃至財政的活動に対し有利なる天地を供す。最後に、1908年より今日に至る迄陸続として起これる種々のボイコットが支那における日本の権益に加えたる損害の検討は、此等の権益は毀損せられ易きものなることに付注意を喚起せり。

 日本が支那市場に依存することは日本人自身も充分之を認むる所なり。他方支那は経済生活の各方面に於ける発展を最も焦眉の急とする国なり。而して1931年に於いてボイコットにも不拘其の全貿易額に於いて首位を占めたる日本は、他の如何なる外国よりも支那の経済的に支那の友邦たるべきものと思科せらる。

 此等二箇の隣邦の貿易上の相互依存と両国の利益との為には其の経済的近接必要なり。然れども両者の政治的関係が然く険悪にして一方が兵力を、他方がボイコットなる経済的武器を用いる間は此の如き接近不可能なり。


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