【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
V. 伊波証言の要約と考察


V-07伊波証言の信憑性について


 私が伊波苗子さんの証言を聞いてまず思ったことは、実に細かいことまでよく覚えていたなあ、ということです。人の名前や日付の間違いなどは致し方ないことです。

 どれも、伊波さん自身の「体験記憶」としては、正しいのだと思います。しかし、芥川龍之介の『藪の中』(映画化されて『羅生門』)が表現したとおり、人が語る「事実」というものは、語る人の立場によって大きく異なるものです。それは、今もなお日本軍を尊敬する伊波さんにおいても、日本軍を批判する方々においても、同じように言えることではないでしょうか。

 チャンネル桜の人たちはよく「今の沖縄は特殊な言論空間の中にあって、真実が見えなくなっている」といいますが、私からしますと、沖縄戦さなかの沖縄こそ歪んだ言論空間であり、第32軍地下司令部壕の中はその最たるもので、真実が見えなくなっていたであろうと思います。

 私が驚いたのは、伊波証言の中の拷問の場面と処刑の場面の、あの超リアリズムです。「まるで、見てきたような…」迫力です。私は、伊波さん自身が拷問や尋問の執行者だったのではないかとすら思いました。「上原キク」の体中の焼き判をみたことを身振り手振りで語るシーンなどは、伊波さん自身が看護婦の立場で身体検査をしたのではないかと思いました。

 伊波さんが警防団の分団長だったということも影響していると思います。警防団はお互いが監視しあってスパイを警戒する、民間組織です(II-07 *34a)。

 しかし、暫くしてこうも考えました。人は誰でも、他人から聴いたことでも自分が体験したように話します。いや、そう話したい誘惑に駆られるものです。伊波さんも、戦後長きにわたって体験談を語っていくうちに、超リアリズムの迫力を身に着けていったのではないか…と。2番目のインタビューは2012年ですから、沖縄戦から67年が経っています。

 また、伊波苗子さんたち、辻遊廓出身で32軍司令部壕にいた女性たちは、司令部の副官たちと非常に懇意でした。1944年、32軍が沖縄に創設された時、辻遊廓に「将校会議所」が出来た時、10.10空襲で辻遊廓が丸焼けになったあと「玉倶楽部」が造られた時、さらに1945年3月23日に空襲・艦砲射撃が始まって司令部豪に呼び寄せられた時も、みな、司令部副官たちの働きによるものでした。日本陸軍においては、慰安婦、賄い婦など女性たちの調達は、各部隊の副官の管掌(役割)だったのです。

 このような副官たちは、「防諜(スパイ対策)」の担当でもありました。既に述べましたが、濱川昌也著『第三十二軍司令部秘話 私の沖縄戦記』(VI-A海鳴り資料4)には坂口副官のことが記されています。伊波さんは、こうした防諜担当将校から、いろいろ話を聞いていたことが十分考えられます。伊波証言の内容は、32軍司令部諜報担当者の見解を反映しているでしょう。

 私は、以上のことを心に留めながら、伊波証言を読み返して行きたいと思っています。










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