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IV-05<芸者もいなかった>

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【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし


IV-05<芸者もいなかった>


(水島)はい、まあね、ホントに、なかなか天の川でお先に御待ちしますなんてね、胸が詰まる思いがしますけどね…。それがね、金で身を売る慰安婦がこんなこと言うか*50、というね…。

(大高)あの、解散命令出たときに逃げ出しますよね*51

(水島)そうですよ、とんでもない、こういう人たちを慰安婦扱いするっていうのねー、恥ずかしくないかっていう気がしますね。ハイ。

(大高)で次にごらん頂くのが、そのカイギョウシャ(ママ)というですね、所の芸者たちがいたということなんですけど、また芸者と慰安婦は違いますけども、とりあえず、こういった女性がいたのか、どうぞご覧ください。(15:40)

録画インタビュービデオ
15:40

(伊波)芸者ちゅうのも一人もいません。

(大高)はい

(伊波)芸者はね長参謀*52がね、あの津嘉山*53でね、みんな連れてきてね、つくっていったって耳に聞いたけど、見たこともない分からない。ああそうですか、って、聞きだけでね、芸者はこっちに入らん、首里の壕にはきていない*54 (16 06フェードアウト)

スタジオ
(大高)あの、伊波さんも最初32軍に入ったときに、一番最初に言われたことは、見ざる聞かざる言わざるで無駄口を叩くな、と言われたことで、それだけ緊迫した状況があったんですね。なんでそんな中に芸者を呼び込んだのか、これやっぱり、おかしいですよ。無理がある話ですね*55

(水島)ムリだよね。もう自決するとかね、終わりになるときでしょう、これ*56。そんなときに芸者を呼んでね、なんかなんてね、そんな馬鹿なこと、だれもどこも、やらないですね。

(大高)ええ

(水島)これはもう、意図的なもんですね。

(大高)ですねえ

(水島)こういうもの言ってる人っていうのは、なんとか…

(大高)この浦崎成子*57さんですね、

(水島)どういう人か、わかる?

(大高)この方はですね、あの女性戦犯国際法廷*58という、あのー、以前

(水島)極左じゃないか

(大高)ええ、いぜん天皇陛下を断罪した、あのインチキ裁判ですね。あれにわざわざ沖縄代表で参加されたりしている、活動家の方だと思います。

(水島)完全にそうですね、政治活動家ですね。こんな連中がこれ、したり顔で言ってるわけです*59

(大高)はい、登場してるんですねー。

(水島)はい
、 
(大高)では次に検証していただきたいのが、この元沖教祖の男性がいってる「住民を虐殺」というですね*60。もう凄いんです、「日本軍の加害性がどんどん薄められていく」というですね、論調で展開されているんですが、実際に…

(水島)本当に日本が嫌いだね*61

(大高)日本軍は住民を虐殺したのか、証言を聞いてください。(1734)



  • *50 この言葉は、水島総の慰安婦に対する二重レイプか、とんでもない差別主義だ。水島氏は落語の廓噺、人情噺、遊女の悲恋物語をきいたことがあるのか?
    負け戦の中で「殉死」「自決」、または状況の中で「死」を選ばされた従軍慰安婦は、日本人、朝鮮人を問わず数多くいた。たとえば、「雲南・ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る」参照http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf

    小川和久氏は保守の立場から、雲南で戦死した慰安婦を、なぜ靖国神社に祀らないのかと憤っている。http://www.nicovideo.jp/watch/1435830201

  • *51 大高未貴氏は、壕の外は砲弾が降り続いていて危険だ、ということを忘れている。いったん解散命令が出た若藤楼などの女性が、摩文仁の司令部壕を訪ねていったのも、身を隠す安全な壕とツテを求めてのことだ。他の部隊の壕では、見ず知らずの住民はなかなか中にいれてもらえなかった。
  • *52 32軍参謀長である長勇少将。1945年3月に中将になった。。
  • *53 32軍司令部は、首里の地下壕から摩文仁に退却する途中で、津嘉山(つかざん)の地下壕を一時的に使った。じつは津嘉山は、首里の地下司令部をつくる前に地下司令部となるべき地下壕をつくった場所だ。http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/senseki/detail98.htm 
    伊波さんは、長勇参謀長が九州から芸伎を呼ばせて、高級将校用の遊興施設「偕行社」を津嘉山司令部予定地につくらせたことを(大迫亘著『薩摩のボッケモン』)聞いているはずだ。
  • *54 伊波さんの言葉は、偕行社からきた「芸者」の存在を否定はしていない。偕行社の女性たちの、首里司令部壕滞在は短かく、伊波さんは出会わなかったのかもしれない。
  • *55 そもそも今の私たちには、「戦場に芸者がいる」は無理がある話ですが、事実は、
    「皆がこの壕に入った初めの頃は、敵機の空襲も昼間だけだったので、初ちゃんたちは、将校たちのお酌に、「ルーズベルトのベルトが切れて、チャーチル、チルチル首が散る……」などと、敵国米英の御大将の名前を小謡に組み入れて酒の肴に歌い続けていたというのです」(上原栄子『辻の華』戦後編上→IV-01 *4) だったのです。
  • *56 キャスターの水島総氏は、首里の司令部壕と摩文仁の司令部壕を混同したままだ。
  • *57 浦崎成子さん(女性史研究家)http://shimanchuschool.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
  • *58  はてなキーワード「女性戦犯国際法廷」参照
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%F7%C0%AD%B9%F1%BA%DD%C0%EF%C8%C8%CB%A1%C4%EE
  • *59  したり顔でもなんでもない。沖縄第32軍の命令を記録した『球軍日々命令綴』の第107号に記録されている事実だ。→IV-02 *16
  • *60  記事はWEBに残っていないが、「鉄血勤皇隊」学徒兵だった徳山朝章さんの手記は、目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」にある。
    ◆資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』 1
    http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ddaad916223db17176d1566e48535005 
    ◆資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』 2
    http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/404755fbd099cce75b21e9468714b7eb
  • * 61  沖縄戦で酷いことをした日本軍が嫌いなのであって、日本が嫌いなのではない。










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