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IV-02<沖縄のメディアが騒ぎ出したので再び証言を求めた>

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【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし


IV-02<沖縄のメディアが騒ぎ出したので再び証言を求めた>


(大高)で、結論から言いますと、先週の(2012年5月)24日、えー金曜日ですかね、金曜日に、もうこれは、じゃあ慰安婦と住民虐殺というモンゲン(ママ)は削除という、県の方針で決定が出たんです*8。で一件落着かなあと思ったら、沖縄のメディアがもう、またもう、狂ったように騒ぎ出しまして、たとえばこの琉球新報ですね、この第一面トップ記事がこの見出しなんですねえ*9
「県が方針決定 住民虐殺記述も」ということで、これを「削除」っていうのでもう、さんざん怒り狂ってるわけなんですねえ。そして第一面のみならず、その最後の紙面にもずっと、このように、えー検証の、検証といいましても一応ですね、これは県の決定はおかしいという論調の意見、大々的に紹介されておりますね。

(水島)はい、そういうことがあって、ま、教科書もおんなじですね。

(大高)そうですねー

(水島)とんでもないことあったらね、また気に入らない事があれば、あのー、あそこのね石垣でもそういうことがありましたね。竹富町がね、同じようなことが、決まったことなのに、ハイ*10

(大高)はい、そして「事実を次の世代に」ということで、まああのー、住民、これスパイなんですけどね、「住民虐殺を目撃」したという、この渡久山さん、元沖教祖の方ですけどもね。
(水島)沖縄教職員組合、はっきりいって左翼の人ですね。

(大高)そういう証言をですね、まあ扱っている*11

(水島)これでも面白いのはね、いま見してもらったら、あの「虐殺された女性は」ね、「激しい砲撃に気が動転し精神が崩壊したようだった」と、コイツ良くこんな歳でね、こんな

(大高)当時14、5(才)ですよね*12

(水島)14、5(才)で「気が動転してて精神が崩壊したようだ、あちこちの洞窟を覗いたり方言を話したりしているので、スパイといわれたようだ」と、これスパイですよ、だから、こういう行為やったらね*13

(大高)これは、虐殺は事実なんですけど*14a、でもどういう状況だったのか、伊波苗子さん*14bが、あの、的確に、あの証言してくださってますので、比較していただきたいんですけども。

(水島)じゃあ、ちょっと見ながらね、またアレしましょうか、そしたら…。何かほかにまだ説明…

(大高)最初は、ご覧頂くVTRのポイントなんですけども、この女性史家のですね、浦崎さんという方が*15、これですね、「壕に軍属以外の女性」ということで、この沖縄の浦崎さんっていう方がですね、まあ、えーこのー「慰安婦がいた」という証拠に挙げている文献がこちら、これご覧ください*16
その3に…首里の壕から撤退するときの、第4梯団の中に、ここに「若藤楼」とあるんですね。でこれは、辻という当時まあ遊郭、いわゆる遊郭とはまたちょっとニュアンスが違うんですけども*17、遊郭街にある「若藤楼」の女性もこの第3、第4梯団から出発していると。で、次にご覧頂くVTRは、このカイギョウシャ(ママ)の芸者衆も出ていると*18、だからこういうまあ、色街の女性たちがいたんだ、だから「慰安婦だ」と、結論付けているんです。で、最初にじゃあ「若藤楼」の女性たちがどういう存在だったのか、伊波さんの証言を聞いていただきたいと思います。どうぞ。(07:02)


  • *8 →III.仲井真県政による説明板「文言削除」 参照
  • *9 (大高氏が提示してる紙面は?)
  • *10  竹富町が教科書採択に異議を申したてた件
  • *11  渡久山朝章さんは沖縄戦当時、沖縄師範学校の生徒だった。防衛召集によって球10158第2野戦築城隊付鉄血勤皇師範隊の一員となり、第32軍司令部壕の壕掘り作業をになった。著書に虐殺を目撃したことを書いている。
    ◆資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』1
    http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ddaad916223db17176d1566e48535005 
    ◆資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』2
    http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/404755fbd099cce75b21e9468714b7eb
  • *12 水島氏の方が間違っている。10代半ばは、物事をいちばん正確に予断無く監察し、記憶できる年代だ。それに、渡久山さんは実際に戦闘に参加した鉄血勤皇隊の学徒兵ではないか。
  • *13 精神障害をもつお子さんのお母さんへ、もし戦争が起きたら、あなたのお子さんは水島総氏のような人物の号令で殺されるのではないか。なお、32軍司令部は4月9日付けで「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令を発している。右写真の「五」。
  • *14a チャンネル桜は、「虐殺は事実だ」と認めた。
  • *14b →伊原苗子さんプロフィール*19b
  • *15 浦崎成子さん、西原町に住む女性史研究家。
  • *16 浦崎さんが慰安婦がいたという証拠として挙げた史料は、「球軍日々命令綴 第107号」5月10日(左の画像)。
    http://www.okinawa-sen.go.jp/kensakukekka1.phpにて、
    「第32軍司令部日々命令綴」で検索すると得られます。
    32軍司令部は、5月4日の総攻撃、5月5日失敗・中止を踏まえて、地下司令部で働く女性たちを、先に南部に退避させることにした(司令部本隊の退却は5月27日)。5月10日付命令書には、4つの梯団に分かれて首里司令部壕を出発せよとの命令が記されている。第3梯団の26人は「若藤及病院」とあり、辻遊廓若藤楼の女性を含むことを表している。第4梯団13人は「偕行社(かいこうしゃ)」とあり、偕行社の芸者たちの数を示している。偕行社は、1944年10月に32軍司令部の肝いりで、大分県別府から女性たちを呼び寄せ、将校用慰安所として開設された。→*18 

  • *17 「辻三千の美妓」といわれた辻遊廓
    辻遊廓、2階から女性が姿をみせている

    沖縄の辻遊廓が本土の遊廓と大きく違う点は、辻遊廓には男性の楼主がおらず、女性たちを金銭的に支配する男性がひとりもいなかった。どの楼主もアンマー(抱親)と呼ばれる女性で、辻遊廓全体が女性社会として成り立ってきたことである。とはいえ、人身売買と「客をとる」こと、この2つによって成り立っていたことは、本土の遊廓と変わりはない。

    幼女のうちにアンマー(抱親)に買われると、アンマーは親となって芸事、作法など一切を仕込む。しつけや教育の目的は、「おもてなし」のプロになることだ。芸娼妓であるジュリ(尾類)になると、ジュリはアンマーに恩返しする。金を稼ぎ前借金を返し「旦那様」を見つけて独立してチミジュリ(詰尾類)になると、ジュリの卵を買ってアンマー(抱親)になることができる。つまり雇い主アンマーもジュリと同じ身売りされた境遇から這い上がるのであり、血の繋がりがなくても互いに苦労を知り合った、強い絆の擬似女系家族が代々引き継がれる。辻遊廓全体はこうした女系家族の共同体「女護ケ島」であった。
    こうしたところから、辻遊廓の女性たちには「金のためだけではない」、義理と人情と報恩の三原則を守るという、生きる上でのプライドが強かった。辻で育った女性、上原栄子『辻の華―くるわのおんなたち』(VI B-27)の<まえがき>と<辻という廓>とがお勧めである。→短縮URL goo.gl/zfVZVn

    『辻の華』があまり触れていない辻遊廓の金にまつわる実態については、船越義彰『小説 遊女たちの戦争』が詳しい(VI B-48)。

  • *18 豊見城長堂に1944年10月つくられた偕行社(かいこうしゃ)。偕行社とは一般的には、日本陸軍将校のための文化クラブだが、地方の支部には女性を侍らす遊興クラブもあった。沖縄の偕行社は、長勇(ちょう・いさむ)第32軍参謀長の特務命令によってつくられた、高級将校接待用の慰安所である。大分県別府の娼楼から女性たちが送り込まれた。大迫亘著『薩摩のボッケモン』には、女性たちを32軍の「事務員」だと詐称して、沖縄まで特別に飛行機で運んだことが記されている。戦争の最中で当然飛行機は軍事利用に限られていたが、長勇参謀長の署名入りの名刺がムリを通したという。








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