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IV-01<今日の番組内容>

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【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし

IV-01<今日の番組内容>



(水島総)はい、ゲストコーナーです。

(アシスタント)月曜日のキャスターとしてもおなじみです、ジャーナリストの大高未貴さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。

(水島)はい、きょう大高さんに来ていただいたのは、先週までね、沖縄にチョット取材にいっててもらいましてですね、第32軍って、これは牛島中将、沖縄戦のですね司令官だった方が自決なさった場所*1 なんですけども、そこの所にまあ説明板というかね、看板が立てられるということで、以前これとりあげましたけどね*2、とんでもない文章がね、その壕の中には慰安婦が居たり*3 とかね、まるでなんかそこでこう、とんでもない酒池肉林*4でも行なわれたみたいなね、表現の文章があったと*5a

(大高未貴)あと、日本軍が住民を虐殺したというモンゲン(ママ)*5bですね

(水島)はいはい、こういう言葉がですね、いろいろあったんで、こりゃ大変だということで、

(大高)はい

(水島)それでまあこのー

(大高)昨年11月*2

(水島)そうですね、11月にそれがあってですね、まあ、むこうの沖縄の私たちの仲間のね、奥茂治さんとかですね*6、こういう皆さんが、これは許しがたいと あのー

(大高)事実無根だと

(水島)無根でね、沖縄の住民に対しても、あるいは戦って亡くなられた皆さんに対しても、あるいはそのいちばん、32軍の牛島中将はじめとする日本軍の兵隊さんたちにですね、将兵のみなさんに申し訳ないということで、これに反対運動やったと。これまあちょっとね、これアップ撮れますか? 

(水島)こういう感じですね。こういうのが出ましてですね、衛星放送、これうちの番組なんでいいんですよ。衛星放送が文案紹介というね。この文案というのがさっき言ったようなことなんですよ。 虐殺があったとかね、慰安婦だなんだって、みんないたとかね、こういうこと言って、このところ言いますとですね、「日本軍による住民虐殺盛り込んだ、まとめたんだけど、それを受け、抗議を呼びかける番組が衛星放送、チャンネル桜とは言ってないんですけどね(笑)、「衛星放送やインターネット上でながれ、抗議の電話やメールが県に相次いだ」と、当たり前ですね。「県は説明板の内容を検証し文言削除を決めるが、抗議を呼びかけの番組や県への抗議とは関係ないと説明している*7 。番組で指摘した箇所と県が削除した箇所はほぼ同じだった」って、 こりゃまあウチとしてはね、ヨカッター!っていうね

(大高)ええまあ、皆さんもね、おかしいと思った方が抗議してくださったんだ、と思うんですけど、

(水島)皆さんのおかげだと思いますけどね、そういうことでウチが指摘した拙い問題というのは、誰もが共有した間違いだったということで。そしてこの後のことね、こういう問題起きたんですけど、っていうことで取材に行ってもらいました。(03 05)

【注】
  • *1 とんでもない! 水島総さんは、未だに取り違えています。ここで問題になっているのは首里城地下にあった32軍司令部壕の説明板です。第32軍牛島満中将が自決したのは、のちに首里から退却した摩文仁の洞窟司令部です。
  • *2【伊波苗子】元従軍看護婦の証言・第32軍司令部壕の真実[桜H23/11/28] https://www.youtube.com/watch?v=8wUmR4bO_gQ 17分15秒 
  • *3 これがまさに論争の争点
  • *4 32軍地下司令部壕内で女性の音曲を交えて酒宴が開かれたことは、様々な著作物に記されている。

    • 八原博通『沖縄決戦―高級参謀の手記』
      洞窟内には、また別種の女性の一群がいた。参謀室から遠く離れた第六坑道には、はるばる内地から渡来し、長堂の偕行社に勤務していた芸者十数名と、辻町の料亭若藤の遊女十数名が収容されていた。一日一回ぐらい第六坑道を通るのは、気分転換によろしいとあけすけに冗談をいう者もある。しかし…→VI-A海鳴り資料1

    • 辻遊廓の女性、上原栄子が著した『辻の華』にはこんな記述がある
      皆がこの壕に入った初めの頃は、敵機の空襲も昼間だけだったので、初ちゃんたちは、将校たちのお酌に、「ルーズベルトのベルトが切れて、チャーチル、チルチル首が散る……」などと、敵国米英の御大将の名前を小謡に組み入れて酒の肴に歌い続けていたというのです。→VI-A海鳴り資料8

    • 吉村昭『総員起シ』
      その辻も前年の十月十日の大空襲で焼き払われ、女たちは住む場所を失った。軍は、これらの遊女の大半を慰安婦として使うことに定め、トラックで女たちを各部隊に送った。そして、極く少数の女を各司令部の炊事婦に徴傭した。軍司令部にも、それらの女たちが炊事婦として雇われていたが、同僚の軍属たちの話によると、女たちは慰安婦も兼ねているという。「部屋のすき間からのぞいてみたら、赤いふとんが敷かれていて、白粉をぬった女が坐っているんだ」 軍属は、声をひそめて言った。→VI-A海鳴り資料9

    • 琉球新報『首里城地下の沖縄戦 32軍司令部壕 第9回』1992年6月25日
      諸見守康さん(63)は辻町の女性たちが参謀らの部屋にいるという話を聞いたことがある。「時々見かけた。香水のにおいがして、もんぺ姿ではあったがきれいな服を着ていた。戦争中にこんなきれいな人が…」と驚いた。
      蒸し暑い壕内。「昼食時に中将の周りに女性が集まり、扇をあおいでいた」と上原誠徳さん(63)は証言する。「兵は住民を守るはずなのに、自分の島は自分で守れと言って日本兵は沖縄人をばかにしていた」。軍の指揮官の姿を見て、怒りがこみ上げてきた。 →VI-A海鳴り資料3(32軍地下司令部壕には、牛島満司令官と長勇参謀長2人の中将がいたが、どちらだろう)

    • 濱川昌也著『第三十二軍司令部秘話 私の沖縄戦記』
      軍司令官閣下の個室に比べ、隣の参謀長の部屋では終日、賑わいを見せていた。ウイスキー瓶を片時も手放さない参謀長を取り巻いて、いろんな人々の出入りが激しく、時には女を入れてみるに耐えない痴態を繰り広げることもあった。→VI-A海鳴り資料4

    • 米軍の捕虜になったタチハラ中尉(62師団)が屋嘉の捕虜収容所で書いたメモ
      3月23日に甲号戦備が発令され壕内生活が始まると、「軍司令部から前線の部隊にいたるまでの多くの将校たちが、戦争遂行の重要性を無視して、女性を囲い、酒を飲んでいた」(林博史『沖縄戦と民衆』p81)
  • *5a →III.仲井真県政による説明板「文言削除」参照
  • *5b 文言 もんごん
  • *6 11/28の伊波苗子氏インタビューは、元海上自衛官で現在は南西諸島安全保障研究所会長の奥茂治氏による。→II.伊波苗子証言(1)2011.11.28 書き起こし
  • *7 (水島氏が読み上げている新聞紙面は?)








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