15年戦争資料 @wiki

角良晴証言

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン
「支邦事変当初6ヶ月間の戦闘」
角良晴証言
松井司令官専属副官

(ニ)
死体のできた総司令部内に於ける原因は次の通りである。

18日朝だったと思う。
第6師団より軍の情報課に電話があった。
「下関に支邦人約12~13万人が居るがどうするか」
情報課長、長中佐はきわめて簡単に「ヤッチマエ」と命令された。

副官は事の重大さを思い、また情報課長の伝えた命令は軍司令官の意図と異なるものと確信し、このことを軍司令官に報告した。

軍司令官はただちに長中佐を呼んで「下関支邦人12~13万人の解放」を命ぜられた。

長中佐は「支邦人の中には軍人も混じって居ります」という。
軍司令官は「軍人が混じっていても、却って軍紀を正しくするのに必要だ」と強く解放を命令された。

長中佐は「わかりました」と返事があった。副官はさらに長中佐の行動に注意する(長中佐は陸大出の特別な支邦通であり、過去において陸軍大臣の命令に背き御叱りを受けたことが都度都度あった)

29 6D再度の電話
○同日第一会の電話から約一時間経って再び第六師団より電話があった。
「下関の支邦人12~13万人をどうするか」の問題である。
長中佐は再び前回同様「ヤッチマエ」であった。
副官は、この事を軍司令官に報告することはできなかった。

○副官は思う。第6師団は最初、下級参謀が下関支邦人処理の件を軍に意見を聞いた。「ヤッチマエ」であった、これを参謀長に報告した、参謀長は軍の命令を不審に思い、再び本件の処置に就いて軍に意見を求めたものと思う。この件は第6師団長参謀長・下野一霪大佐(砲兵出身)の「下関支邦人大逆殺事件の真想」に「大逆殺は師団長の意図ではなく軍の命令である、それに此の事で師団長を死刑にするのは間違っている」とある。この実想を綴られたものと想う。

「南京事件資料集」p758~759
http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_sumi.html
目安箱バナー