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質疑 松野博一君(自民)

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質疑 松野博一君(自民)




○川内委員長 次に、松野博一君。

○松野(博)委員 自由民主党の松野博一でございます。

 参考人の皆さん、よろしくお願いいたします。

 私たちが政治の場で判断、決断をしなければいけませんことは、放射線被曝がもたらす影響と生活や社会活動の制限のバランス、放射線防護の最適化という言葉もいただきました、まさにこの点でございます。

 生活や社会活動の価値に関しては、個々の議員が自分たちの価値観に応じて判断をするしかありません。また、放射線の被曝量に関しては、情報の開示が正確に迅速に行われているということを前提にすれば、客観的な数値であります。もちろん、今このことが問題があるというふうには認識をしておりますが、私たち素人が一番わからない問題というのは、放射線被曝量が与える具体的な健康被害というのがわからない。ですから、放射線防護の最適化に対する判断が混乱をしているということだと思います。

 そして、専門家の方々にさまざまな御意見をお伺いしても、専門家の中でもこのことに対する評価にかなりばらつきがあるように感じておりますので、この点を中心にお話をお伺いしたいというふうに思います。

 まず、久住参考人に質問をさせていただきます。

 学校の生徒の被曝量の話が続きました。一ミリシーベルトから二十ミリシーベルト以下に努めるという表現だと思いますが、これは学校生活での被曝量だというふうに思います。その生徒が例えば通学ですとか家庭生活で受ける被曝量を加えると、この数値を上回る可能性があるという認識でよろしいんでしょうか。

○久住参考人 その件に関しましては、先日文部科学省が、学校での影響は十数%、それ以外は自宅といいますか、学校以外であるという計算をされましたけれども、それはそのようであるかと思います。

○松野(博)委員 そうしますと、上限を超えてくる可能性もあるということだと思います。

 崎山参考人にお伺いをしたいと思うんです。

 先ほどの説明の中で、細胞一個のDNAの放射線による切断に関するお話をいただきました。上限が二十ミリシーベルトを超えてくる可能性があるということは、細胞一個に年間平均二十回放射線が通り、二十回切断が起こるというふうなことでよろしいんでしょうか。

○崎山参考人 細胞一個に放射線が通っても、必ずしもDNAに傷がつくわけではないわけです、ほかを通るかもしれませんから。傷がついたとしても、重要な遺伝子が傷がつかなければそれでいいわけなんですね。

 ですから、そういうのは全部確率の問題で、公衆が、大人全部含めて、二十ミリシーベルトを浴びると一万人に二十人ががんになるということがICRPの勧告であるわけです。ですから、二十回通ったとしても、必ず二十個傷ができるということではない。一ミリシーベルト通った場合は、大体三十個の細胞に一つの割合で複雑な損傷が出る、そういうような実験結果はあります。

○松野(博)委員 もう一度、崎山参考人にお聞きをします。

 そうしますと、具体的な、将来の発がん性以外の面で、年間二十ミリシーベルトを超える被曝量を生徒が受けた場合にどのような健康被害が出るか、手短に教えていただければと思います。

○崎山参考人 一般に知られているのは発がんですね。広島、長崎の人は、発がん年齢になったときに、被爆していない人に比べて余計がんが出る。それが、計算だとICRPのあのグラフなわけです。

 そのほかに、広島、長崎の人の健康をずっと追跡調査していますと、虚血性心疾患とか脳梗塞とか消化器疾患、気管支疾患、そのようながん以外の非がん疾患というのも線量に比例してふえているということはわかっています。

○松野(博)委員 久住参考人にお伺いをします。

 今、崎山参考人がお話しをいただいた二十ミリシーベルトレベルの健康被害に関しては、久住参考人はどのように評価をされていますでしょうか。

○久住参考人 崎山参考人は、高線量被曝である原爆被爆者に対して、今回は低線量率の被曝でございますけれども、それが影響としては二分の一であるということで二分の一にしているというお話でございますが、私といたしましては、がんにつきましては、国際的に認識されておりますことは、百ミリシーベルト以下では明らかな影響は検出できないということでございます。

 ICRPは、御存じのとおり、千ミリシーベルト受けたときに五%がんになる、今、崎山参考人もおっしゃったとおりですけれども、五%がんになると言っておりますので、百ミリシーベルトでは〇・五%ということになります。

 ただ、その〇・五%が、今、日本の半分ぐらいの方ががんになるという状況を考えますと、それを検出できるかというと、なかなかそこは検出が難しい。確かに、DNAが傷ついたり修復が難しかったりということは放射線の影響としてございますが、それが病気として出てくるまでにはかなりのステップが、これはほかの参考人もおっしゃいましたけれども、必要です。

 ですから、私どもは、本当に臨床的な影響として出てくるかということを考えますと、二十ミリでは影響は明らかなものは検出できないであろうと思っております。ただ、お子さんの場合は、とはいえども、これから長い人生があるわけですから、いろいろなことを考えなきゃいけませんので、できるだけ低い線量に保つ努力をするということは非常に重要であると考えております。

○松野(博)委員 それぞれに立派な見識をお持ちの参考人の方々からお聞きをしても、それぞれ、放射線の健康被害に関する認識は大分違いがあるんだろうというふうに思います。

 例示として、学校での被曝線量の制限を考えますと、一方の相対する生活や社会活動の面で考えられますことは、一つは、子供たちが教育を受ける権利、これから上がってくる個人の利益と子供たちに教育を受けさせるという社会的な利益があります。その利益と子供たちの受ける健康被害のバランスで判断をしていくということでありますが、これが全く危険であるという判断であれば、学校を休校するか、もしくは放射線の影響がない地域で学校を再開するしかありません。この判断を私たちはしなければいけないわけであります。

 参考人の皆さんに最後にお聞きしたいのは、これは政治家が判断をすることだという答えかもしれませんが、この一ミリから二十ミリシーベルトという制限の中で学校を続ける、授業を運営していくという判断に関して、久住参考人はお立場でなかなか発言が大変かと思いますので、他の三人の先生方にそれぞれ、個人的にはどう御判断をされるかについて御所見をお伺いしたいと思います。

○矢ヶ崎参考人 まず、報告しておかなければならないことは、福島市内の一つの小学校の原発事故の際の避難マニュアル、それを拝見させていただきましたけれども、これは全く、地震のときの避難様式とさして変わりないものでありました。ということは、放射性のほこりがどんどん舞ってくるのに、事故だといったときに子供たちにさせるマスクもない、ほこりが来るから帽子をかぶせてビニールかっぱでもやらなきゃいけない、そういう、実際に子供をプロテクトするという考え方が一切ないんですね。

 安全神話というのは、単なる原子炉のやり方ではなくて、人権に対する無視、これが決定的ではないかと判断いたしました。今、日本のような文化国家で、被曝している人たち一人一人に放射線のバッジも与えられない、そういう人権無視というような基本行政が現実にあったということで非常に愕然としております。

 二十ミリの問題も、こういうきめ細かい住民、子供たちに対する視点があるならば、被曝を二十ミリまで上げて、それでたくさん被曝してもその場しのぎをしようというような考え方は絶対出てこないはずです。

 被曝ということに関しては、私はICRPの基準そのものに異議を唱えて、科学そのもの、人間の健康自体をきちっと第一に上げた基準ではない、原子力発電所を運営していくために、この程度までしないと運営できないから、みんなが得られる利益のために犠牲になっても我慢してくれ、そういう考え方で構成されています。要約の十四番目にそういうようなことが明記されておりますけれども、そういう考え方そのものをきちっと改めて、主権在民といいますけれども、それを基本に見直して、あらゆる手で今すぐ除染に当たる、そういうことを行政が踏まえて、全部国でやっていかなきゃいけない。

 それで、小学生のことなんですけれども、安全な場所で教育を受けさせるということを国家的な意味できちっとやるべきであると思います。今のように、二十ミリという数字遊びをして、それで、やるかやらないかだなんという時期ではない。即刻、安全なところで教育をする手だてをきちっと講じなきゃいけない。今そこに住んでいる人の健康を守るという、いろいろな具体的な手だてがあるわけなんですけれども、それを実施しながら、子供たちに対しても、例えばバスで通学できる範囲に安全なところが獲得できるならば、朝一時間目は犠牲にしてでもみんなで行って、夕方最後の時間を犠牲にしてでもみんなで帰ってくる、そういう安全なところで教育させる。高学年ならば、まとめて集団疎開みたいなこともする。本当に、住民主権のそういう施策をしないと、数字遊びをしている限り住民は救われないと思います。

○崎山参考人 チェルノブイリの事故があってから二十五年ですけれども、現在のチェルノブイリの状況というのが福島の二十年後だと考えていいと思うんですね。一番汚れているところは強制移住区域よりも汚れているところがあるわけですから、そこにずっといるということはほとんど考えられないぐらいだと思います。

 それで、原子力は危険だということをずっと反対してきた人は言っていて、危険であるということを安心、安全と言いくるめて原子力行政というのは進んできたわけです。それで、この事故が起こって、そのツケを次世代に回すという構図が今の二十ミリシーベルトを強制する構造だというふうに思っています。

 ですから、こういうことになった責任者は、もちろん政府も含めてですけれども、将来の世代の健康ということを一番考えてできる限りのことをやるべきだ、命が一番大切なんですから、何をおいても彼らを安全なところに移住させるなり、すべての努力をそのために尽くさせるべきだ、二十ミリシーベルトを押しつけるべきではないと私は思います。

○武田参考人 私は原子力に反対なわけでもないし、今まで私の研究もそうでありましたが、それはどこにその信念があるかといったら、一年一ミリシーベルトを守るというところにあります。

 先ほど陳述のときに申し上げましたように、技術というのは完全なものではありませんが、ある合意をなしてそれを実施するのが技術者としての責務でありますから、一ミリを二十ミリにするということを決めることはできません。なぜできないかというと、再三述べられているように、百ミリ以下は明確な学問的な結論が出ないわけであります。明確な学問的な結果が出ていないのに、二十ミリが安全であるということは科学者としては言えません。それは、二十ミリはわからないということしか言えません。

 それから、社会的な合意では一年一ミリですから、もちろんその範囲にとどめるべきである。しかし、この問題は、原子力発電所をつくったときに、それに対して被曝するときにどうするか、例えば水はちゃんと国家が用意するのか電力会社が用意するのか、子供たちが被曝したら疎開の小学校は用意しておくのかしておかないのかといった、原子力発電所を世の中に置くということに対して日本社会がどのような対応をするかということが、法律上も電力会社の倫理上も我々技術者の側もほとんど抜け落ちていたということなので、それにさらに輪をかけて、子供たちに二十ミリシーベルトというのが安全であると。これはいろいろな人が安全であるとは言っていないとか言っていますけれども、現場では父兄に対して、父兄が安全ですかと聞くことに対して安全ですと答えざるを得ないわけですね。だって、そこで児童を遊ばせるわけですから。

 ですから、そういうような小手先のことではなくて、もう少しがっちりとした、反省すべきところは反省して、今被曝している人たちをどうするかということを非常に早急に、もう二カ月もたちましたから、私は、決めて行動していかなければいけないと思います。

○松野(博)委員 ありがとうございました。



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