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「放射能を「正しく恐れる」ことが大事」潮7月号

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福島の子どもたちはこの人物のhostage


げんざい福島の子どもたちの運命を一手に握っている男の一文です。
この男が構想に加わってると思われる、「疫学調査計画」が報道されています。問題になってる年間20ミリシーベルト以下圏内の、園児、児童、生徒は最初から除外され、健康調査の対象からも外されています。

なぜ、この男を国会喚問もしくは参考人聴取しないのか不思議です。

※標題の、『「正しく恐れる」ことが大事』は、近藤宗平氏の受け売りのようです。放射線影響学会を牛耳る「学者」たちのスローガンになっています。この言葉を使う者は、「100mSvまでは身体に何の影響もない」の主張者といってよいでしょう。



月刊「潮」2011年7月号 p146-151
【特集】「原発事故」と放射能

放射能を「正しく恐れる」ことが大事


人類の叡智を施した人工物が破綻した。
この未曾有の事態をどう受け止め、行動するべきか。

山下俊一
やました・しゅんいち(長崎大学教授)
一九五二年長崎県生まれ。長崎大学医学部卒業。同大学大学院医歯薬学総合研究科長。チェルノブイリ、セミパラチンスクでの被曝者治療に携わる第一人者。二〇〇五年から二年間、WH0(世界保健機関)ジュネーブ本部放射線プ回グラム専門科学官として活躍。


チェルノブイリと福島の決定的な違い


私がチェルノブイリ原発事故の被曝者治療に取り組み始めてから、今年でちょう
ど二〇年になる。私の母親は、十六歳のときに長崎の原爆で被爆した。被曝者診
断と治療に取り組み始めたきっかけは、私が被爆二世だからというわけではない。

三十八歳で長崎大学の教授になったときに、私は初めてチェルノブイリの被曝者
と向き合った。自分の意識とは無関係に、被曝者治療の道を歩むべく人生が準備
されていたのではないか。不思議な運命を感じた私は、一九九一年から一貫して
被曝者治療と調査研究の仕事に取り組んできた。

その仕事が二〇年という区切りをつけたとき、福島第一原子力発電所で深刻な事
態が発生した。三月十一日に起きた東日本大震災に伴い福島第一原発で相次いで
事故が起きたのだ。一・三・四号機の建屋は水素爆発によって損壊し、一~三号
機の炉心は損傷を起こしている。

人間には、人生において一人ひとり与えられた仕事があるのだろう。三月十九日、
私は福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーを打診された。これまで人間関
係を培ってきた母校の先輩や研究者の仲間たちは、福島で働く私をサポートして
くれている。本当に有難いことだ。

私が福島入りする前に、長崎大学病院国際ヒバクシャ医療センターの医師や看護
師が三月十四日から福島に入った。十五日の夕方には、福島市で雪が降った。若
い研究者が放射線測定器で数値を測ったところ、二〇マイクロシーベルト(毎時)
という数字が観測された。

この段階では、原発から二〇キロの範囲内ですでに避難勧告が出されている。三
十キロ圏内には屋内退避勧告が出されていた。放射線が測定された福島市は、原
発から六〇キロ離れた場所だ。決して高い数値ではないものの、放射性物質の飛
散距離が優に三〇キロを超えているのは明らかだった、福島県立医科大学を含め、
医療関係者は不安に襲われた。

三月十九日に福島県知事に会ったところ、知事が憔悴しきっていることに驚いた。
ただでさえ地震・津波の被害が大変なのに、事故のせいで原発の近くの被災地に
入れない。放射線についての知識も乏しい。そうした非常事態の中で、福島県職
員は奮闘していた。

チェルノブイリ原発事故と福島第一原発の事故を重ねる人がいるが、私は同一視
すべきではないと考えている。八六年四月に起きたチェルノブイリ原発事故では、
稼働中の第四号機が爆発して瞬時に大量の放射性物質を世界中にまき散らした。

この事故が起きた八六年は、ソ連崩壊直前の時代だった。ソ連は原発事故をひた
隠しにしようとしたものの、事故翌日の四月二十七日の段階でスウェーデンが異
変を察知し、ヨーロッパ全体が非常事態に陥っている。

ところが、ソ連国内では放射線の危険性についてまったくアナウンスがなされな
かった。その証拠に、四月二十六日の事故から一週間後の五月一日(メーデー)に
は、大勢の市民が街頭行進をしている。原発事故の情報が封鎖されていたせいで、
多くの市民が被曝をしてしまった。

チェルノブイリ周辺では、土壌汚染も深刻だった。牛の原乳には、放射性ヨウ素
が濃縮される特徴がある。その牛乳を長期間子どもたちが飲み続けたせいで、小
児甲状腺ガンの患者が激増してしまったのだ。国から裏切られ、事実をまったく
知らされることなく住民が被曝し続けた。これがチェルノブイリの悲劇だ。

では日本はどうか。福島第一原発では、原子炉の水素爆発は起きていない。放射
性物質が飛散しているといっても、あくまで限定的な数値だ。日本政府は、微量
の放射性物質が含まれる原乳や野菜を流通から排除した。乳幼児や妊婦が放射性
物質で汚染されないため、安全管理は充分なされている。「福島でチェルノブイ
リと同じことが起きている」とパニックに陥るべきではない。


放射性ヨウ素は本当に危険なのか


福島第一原発から放出された放射性物質の七~八割は、放射性ヨウ素と放射性セ
シウムだ。

放射性ヨウ素とは、甲状腺ホルモンの原料であるヨウ素が放射性を帯びた物質で
ある。大人は心配ないものの、○歳児から十五歳くらいまで、つまり乳幼児から
中学生くらいまでは注意が必要だ。もちろん、妊婦も注意しなければならない。
放射性ヨウ素は、乳幼児の甲状腺に蓄積されやすいからだ。

チェルノブイリの原発事故では、この点をきちんとアナウンスしなかったために、
小児甲状腺ガンが増えてしまった。放射性ヨウ素に汚染されたミルクや食べ物を
口にしなければ、甲状腺を守れる。甲状腺さえしっかり守れれば、放射性ヨウ素
については心配要らない。

もっと言うならば、放射性ヨウ素の半減期(放射線量が半分になるまでの期間)は
わずか八日だ。体の中にいったん放射性ヨウ素が入ったとしても、尿によって排
出されることだってある。原発近くの地域から逃げさえすれば、心配は要らない。

放射性セシウムは、半減期が三〇年だ。三〇年と聞くと、気が遠くなるような長
い時間に感じる人もいるだろう。だが、これはあくまで物理学的な説明に過ぎな
い。放射性セシウムの放射線量は、体に入ってから六〇~七〇日で半分にまで減
る、放射性ヨウ素と同じく、尿によって体外に排出されるのだ。放射性セシウム
については、放射性ヨウ素以上に心配は要らない。

「放射性セシウムが危険だ」と言う学者も大勢いるが、放射性セシウムのせいで
ガンにかかったという例を私は聞いたことがない。唯一心配すべきは、放射性ヨ
ウ素による甲状腺ガンの発症のみだ。

放射線は目に見えない。匂いもせず、音も聞こえない。大切なのは、放射線を
「正しく恐れる」ことだ。最も恐ろしいのは、一〇〇〇ミリシーベルト以上もの
大量の放射線を俗びて急性放射線障害にかかる確定的影響である。これについて
は、原発で復旧作業に当たっている作業員以外に心配する必要はない。

周辺地域で暮らす住民に起こりうるのは、先ほど申し上げたように小児甲状腺ガ
ンしかありえない。それとて、一〇〇ミリシーベルト以上を一度に被曝しない限
り心配ない。では、一〇〇ミリシーベルト以下の被曝についてはどうなのか。
「健康に影響があるのかないのかわからない」。これが答えだ。

世界中どこでも、人間は年間に二~三ミリシーベルトの放射線を浴びながら生活
している。放射線によって遺伝子に傷が入ったとしても、損傷は修復される。人
類は常に微量の放射線を浴びながら、地球上で生き永らえてきたのだ。

国が定める食品や水、牛乳の安全基準値は、相当に厳しく定められている。ごく
わずかな放射線が含まれる牛乳や水をちょっとずつ飲んでも、いきなり一〇〇ミ
リシーベルト以上も被曝することはない。一度に一〇〇ミリシーベルト以上もの
被曝をするような事態でない限り、過剰に放射線を恐れる必要などないのだ。

それに、考えてもみてほしい。原発の放射性物質によってガンにかか三人に一人
がかかる病気だ。確率論的に誰にでも起こりうる病気なのに、「放射線のせいで
ガンにかかる」と心配して生活を台無しにしても仕方がない。人間は一生のうち
に交通事故にも遭うし、危険因子はほかにもたくさんある。もっと冷静になるべ
きではないだろうか。



原発被災者支援センターを福島に


私が福島入りしたのは、三月十八日のことだ。翌十九日には、福島県知事から放
射線健康リスク管理アドバイザーに任命された。アドバイザーとして大切なのは、
福島の人たちと膝を突き合わせて対峙することだ。

そこで三月二十日のいわき市を皮切りに、福島市や飯舘村、郡山市、白河市、田
村市、磐梯町、伊達市などを連日訪問し、一般住民に福島県の現状について説明
していった。罵声や怒号が飛び交う場面もあったが、当然だと思う。誰もが不信
と不満に苦しんでいるからだ。だから、とにかく誠実に対応していった。

日本人には広島・長崎の原爆の記憶もあるし、チェルノブイリ原発の大事故の印
象も強い。放射線に対する恐怖心が募るのは当然だ。被曝と聞くと、ガンにかか
ってすぐ死ぬという先入観や偏見をもってしまうのだろう。

まずは福島県内の放射線量を測り、安全のレベルを理解することが極めて重要だ。
だが残念ながら、大半の住民は「ミリシーベルト」「ベクレル」といった単位の
意味さえわからない。政府から基準値の何千倍、何万倍の放射線が観測されたと
聞けば、誰だって驚いてしまう。

住民の不安を払拭するためには、誰にでもわかりやすい楡えが必要だ。科学の専
門用語を使って難しい説明をしても仕方がない。だから私は、単純にこう説明申
し上げた。

「原子炉は火山のマグマです。ドーンと爆発したときに近くにいれば、ヤケドも
するし、火災も起きて危ない。ちょっと離れたところにいても、火の粉が飛んで
くる。もっと離れても、灰が飛んでくるかもしれない。充分離れた場所に移動し
てからは、灰の心配をすればいいのです」

放射線は熱線と同じエネルギーだから、距離を保っていれば心配要らない。健康
被害を及ぼす被曝を心配するのは、原発のすぐ近くで働いている作業者だけだ。

こういう説明をすると、「濃度が高くないからといって、放射線を浴びても大丈
夫なのか」と尋ねる人がいる。そんなとき、私はこう答える。「灰でヤケドをす
ることはないでしょう。それと同じように、避難区域の外にいたり屋内退避して
いる限り、放射能汚染でヤケドすることなどないのです。一〇〇度の熱湯に、触
れば誰だってヤケドしますが、四〇度や三〇度だったらどうってことはないでし
ょう? 放射線の安全基準はものすごく厳しく作ってありますし、人間がヤケドす
るレベルではないのです」

広島・長崎に原爆が落とされた当時「一○年や二〇年は草木が一本も生えないだ
ろう」と言われた。だが、被爆地からはすぐに植物が生えてきた。広島・長崎に
大量の放射線が降り注ぎはしたが、大半は雨が洗い流してくれたのだ。

チェルノブイリの周辺には、肥沃な大穀倉地帯が広がっている。だから、放射性
物質が土壌に滞留してなかなか流れていかない。日本は山紫水明の地だ。私は、
福島の復興にとって「雨」がキーワードだと思っている。もうすぐ梅雨がやって
くる。この恵みの雨が、福島に降り注いだ放射性物質を洗い流してくれることを
願う。

そしてもう一つ、ハイテク技術にも期待したい。科学が犯した過ちは、科学が克
服すべきなのだ。原子力工学や物理学、医学といった科学だけでなく、政治・経
済、さらには宗教のような価値観までもが、すべてこれからの福島に関わってく
る。

震災の復興と同時に、原発事故の復興も同じように大切だ。事故によって生じた
環境汚染を、どこまで排除できるか。国内外の叡智を結集した、福島の支援セン
ターを作るべきだ。住民の健康被害の分析などをする拠点を、福島に早急に作ら
なければならない。

福島だけでなく、岩手・宮城に広がる三陸地方も大変な状況にある。しかし、東
北は絶対に復興する。これだけ恵まれた山林があり、海洋資源だってあるのだ。
この恵まれた自然の中で、人間の智慧を発揮していきたい。

福島第一原発で事故が起きてしまった背景に、危機管理や安全管理についての人
間の騎りがあったことは否めない。リスクゼロの社会はない。自然の脅威を受け、
人間の叡智を施した人工物が破綻を来した。天災と人災の二種類がぶつかったこ
とが、今回の地震・津波に伴う原子力災害の本質だ。

だが、原子力災害がどんなに困難なものであったとしても、科学の力をもってす
れば必ず復興できる。この未曾有の事態に際し、古来やまとの国と呼ばれてきた
大いなる和の国は、必ず復興しなければならない。私は医学者・科学者としス福
島の復興のために全力を注ぐ覚悟だ。




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