15年戦争資料 @wiki

うっかり数を出せない理由

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン
昭和史の謎を追う(上)
第8章 論争史から見た南京虐殺事件

うっかり数を出せない理由


本題に入る前に、日本と中国の中等学校用歴史教科書が南京戦と虐殺事件について、どう記述しているか、代表例を二つ紹介しておこう。

A「南京では、占領後わずか数週問に、少なくとも一〇万人を越える中国人婦女子や武器をすてた兵士に対して、暴行や虐殺をおこなったといわれる」(日本の学校図書版)

B「日本軍は南京を占領した後、気違いじみた大虐殺を展開した……一か月余りのあいだに殺された者は三〇万人を下らず」(中国の初級中学用教科書、帝国書院版『世界の歴史教科書」シリーズ22)

虐殺事件とあれぱ、その規模とくに虐殺数が問題にされるのは当然だろうが、南京陥落(一九三七年十二月十三日)から日本降伏までの八年近く、この町は日本軍の占領下にあった。したがって中国政府(蒋介石の国民政府)が復帰したあと、東京裁判のためにわずかな生き残り兵士や住民の見聞報告を集計して大急ぎでまとめたのが、三十~四十万の数字であった。

裁判でも日本側の具体的な反証が出なかったため、漠然とながらこの数字が通説化した形になった。その後も、さまざまなデータが紹介され、とくに台湾政府系の出版物は十万以上という控えめな数字を記すようになった。

だが一九八五年、南京西部の江東門にオープンした「侵華日軍南京大屠殺死遭同胞紀念館」の入口に「遭難者
124
三十万」という巨大な文字がかかげられていらい、これが中国政府の公式数字として確定したとみてよい。


わが国の教科書は、以前は中国側の数字を引用する例が多かったが、文部省の指導もあって、最近は学校図書版のように「十万人」程度か、「多数」という表現に統一されてきているようだ。いずれにせよ、数だけから見れぱ「大虐殺」と呼んで異論はなさそうに思えるが、実際にいわゆる南京事件論争の焦点は虐殺数の大小に集中し
てきた。

別表(次頁)のような分類も主としてこの観点からできあがったもので、命名者が誰か、必ずしもはっきりしないが、「大虐殺派」と「中間派」は田中正明、過少評価派は笠原十九司が命名老だと自称している。まぽろし派については鈴木明『「南京大虐殺」のまぽろし』(文蟄春秋、一九七三)が語源になっているのはたしかだが、命名者は不明である。


一九八四年末に雑誌『諸君!』が八時問にわたる南京事件の座談会をやったとき、編集部から「公平を期して大虐殺派、まぽろし派から二名ずつ、中間派から一人えらびたい」と聞いた記憶があるので、マスコミではすでにこの時点で三派の俗称が流通していたらしい。出席者のほうも、この分類に異議はなかったと思うが、田中正明だけは近著で「まぼろし派」を嫌って「虐殺否定派」と呼んでいる。

分類表を見て誰でも気づくのは中間派の二人を別として、他の二派に属する大多数がきちんとした虐殺被害者の数を申告していないことであろう。申告していないというより、わざと避けているのではないか、というのが筆者の実感で、その理由も見当がつく。

虐殺派の場合は、中国側の数字をそのまま紹介、引用している例が多いが、笠原十九司が「洞富雄の〈二十万人をくだらない中国軍民の犠牲が生じた〉とする推計が最も有力だと思われる」(『歴史学研究』一九八七年九月号)と書いているところを見ると、ウノミはまずいという判断も出てきているようだ。

この点について本多勝一は「新聞記者としては中国側の主張を正確に伝達するのが任務」と割り切っているがまぽろし派から見ると「それが真実か否かを疑うことを知らない。批判もしない……“左様ごもっと”とただ書き写すだけ」(田中正明)なのは許せない、ということになる。

実は新聞報道が客観主義に徹すべきか否かは、マスコ
125

ミ論で決着のついていない難題なのだが、田中のホンネは前記の座談会における「どうして秦さんはこうも日本軍のことを悪く悪く解釈するんでしょうね」という発言にあるかと思われる。つまり日本人が同胞や日本軍の恥部をあばく必要はないという論理で、本多などの虐殺派に多いマゾヒスト的筆致に反発する旧軍人やナショナリストたちの共感をよび起こすことに成功した。

そのまぽろし派も、虐殺派のウノミを非難、攻撃はするものの、文字どおりまぼろしのゼロなのか、多少はあったとしたら、どの程度なのかについては頑なに口をつぐむ。雑誌『僧行』の「南京戦史シリーズ」を執筆した畝本正己だけは、例外的に「三~六千」の数字を出しているが、この控えめな数でもフォークランド戦争の人命喪失を上まわる。たちまち「立派な大虐殺ではないか」と反撃されたのを知っているから、数は禁物なのだ。

阿羅健一が「たとえ数百人あるいは数十人の規模でも、虐殺なら大虐殺だという気がする」と書くのは、このあたりを意識してのことであろうか。



添付ファイル
目安箱バナー