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Ken Kawauchi 市民社会フォーラム 中国人権情報(6)2010/08/27


2010.09.27 Monday
中国人権情報(6)

 河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許し下さい。転送・転載は自由です。)

 2008年に中国の民主化を訴えた「08憲章」が発表され、この支持者が1万人を超えていますが、この「08憲章」の起草者・劉暁波(リョウ・シャオポー)は、懲役11年の刑に処せられ現在獄中です。この劉暁波にノーベル平和賞をという声が世界的に巻き起こっています。

 私は、このことを宮崎正弘氏の「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻3069号・「もの言う翔年(ユリウス)」のサイトで教えていただきました。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4971917/
http://ikiiki.livedoor.biz/archives/52071586.html

また、昨日は、アムネスティJAPANの「中国の獄中作家について考える夕べ」が開催されましたが、そこでは中国本土から来た作家の方が「中国でも183人の人が、劉暁波にノーベル平和賞をという呼びかけを発表した」と報告されました。それで、私も、この動きを支持し、この動きの中心的人物と思われるチェコのハベル元大統領の『国際ヘラルド・トリビューン』に掲載された論説を翻訳・紹介させていただきたいと思います。

同論説が掲載されているサイトは、以下のとおりです。
http://www.nytimes.com/2010/09/21/opinion/21iht-edhavel.html
なお、劉暁波の経歴等を簡単に知るには、以下のサイトが便利です。
http://www.shukousha.com/column/oikawa_001.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2

河内謙策(kenkawauchi@nifty.com)

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中国の反体制者にノーベル平和賞を

バクラフ・ハベル、ダナ・ネムコーバ、バクラフ・モーリイ

2010年9月20日

翻訳:河内謙策

プラハ―チェコスロバキアの人権に憂慮する242名の市民が集まって「憲章77」というマニフェストに署名してから、30年以上が経過した。「憲章77」は、共産党に人権を尊重することを要求し、われわれはもはや恐怖や抑圧の下で暮らすことは望まないと明確に宣言したのだった。

われわれのグループには、前共産主義者、カソリック、プロテスタント、労働者、リベラル知識人、芸術家、作家が声を一つにするために集まっていた。われわれは、日常的な些細なことにまで服従を要求する「体制」に我慢がならなかった。小売店主は「世界の労働者よ、団結せよ」と叫ぶように圧力を受けていた。子どもたちや学生や労働者は、メーデー・パレードに参加するよう圧力を受けていた。事務労働者は、一日の始めにはアメリカ帝国主義を非難しなければならなかった。市民は、選挙になれば、支配政党に投票するしかなかった。

共産党は、現在と同じように、当時も市民を分断して支配することを好んだ。
「77憲章」が発表されてから、共産党はわれわれをばらばらにするために力をいれた。われわれは拘束され、われわれのうちの4人は数年間の刑務所送りになった。当局はまた、つまらないやり方で我々に仕返しをしようとした(運転免許を停止したり、タイプライターを没収したりした)。我々に対する監視は一段と強められ、われわれとわれわれの運動の信用を失墜させるために、新聞によって悪意にみちた集中砲火が浴びせられた。このような猛攻撃は、われわれの団結を強めただけであった。「憲章77」はまた、さまざまな被害を受けても沈黙を守っていた市民に、仲間がいることを思い出させた。そのうちに「憲章77」に由来する多くのアイディアがチェコスロバキアに広まった。同様の民主化の波が1989年に東欧を襲った。

われわれは、われわれの短いマニフェストが30年後に中国にこだまするとは考えてもみなかった。2008年12月に、303人の市民活動家、弁護士、知識人、大学人、退職公務員、労働者、農民が「08憲章」を発表し、人権を尊重すること、さまざまな民主的改革を進めることを政府に対し要求した。それは、国際人権宣言60周年に合わせて発表された。政府がコンピュータの画面から中国の民衆を遠ざけようと懸命に努力したにもかかわらず、「08憲章」はインターネットを通じて全国的に反響を呼んだ。そしてこれを支持するという署名が1万名を突破した。

1970年代のチェコスロバキア政府がそうであったように、中国政府の反応は、迅速で残忍なものであった。数百人、少なくとも数十人が呼び出しを受けた。数人のリーダーが拘留された。昇進は取りやめになり、研究助成金がストップされ、外国への旅行は拒絶された。新聞と出版社は、「08憲章」に署名したものをブラックリストに載せるように命じられた。最悪だったのは、著名なライターで反体制者、「08憲章」の起草者である劉暁波が逮捕されたことであった。劉は1989年の天安門での平和的な抗議行動を支持したとの理由で5年間監獄に収容されていたことがある。1年以上の間、彼の妻も弁護士も限られた接見しか認められず、その後、国家政権転覆罪で裁判されることになった。2009年12月、彼には11年の実刑が言渡された。

劉の肉体は拘禁されていたが、彼の思想は拘禁されることがなかった。「08憲章」は中国についてのオールタナティブなビジョンを明確に指し示し、改革を国家の排他的領域にとどめようとしている政府の公式見解にチャレンジしている。「08憲章」は中国の若者たちが政治的に活発になるよう励まし、彼らは法の支配と多党制を大胆に主張するに至っている。また「08憲章」は、どうすればそこに到達できるかという会話と試論のための出発点になっている。

たぶん最も重要なことは、1970年代のチェコスロバキアでそうであったように、「08憲章」が、それが発表されるまでは存在しなかった様々なグループの間のコネクションを作り上げたことであろう。「08憲章」以前には、「それぞれが分離した、孤独な状態であった」「われわれは自分の経験をわれわれの周りの人々に表現することが得意ではなかった」とある署名者は書いている。

劉暁波と「08憲章」は、それを良い方向に変えたのである。

もちろん、「08憲章」は、1970年代のチェコスロバキアとは非常に異なった政治的環境を対象にしている。経済成長を追求することにより、中国は伝統的な共産主義とははるかにかけ離れた特徴を備えてきているように見える。特に、若く、都市に住み、教育をうけたホワイト・カラー労働者にとっては、中国はポスト・共産主義の国のように見えるだろう。しかし、中国共産党は、何人も越えることのできない方針を堅持している。劉暁波は「08憲章」を起草するにあたって、その最も厳しい見解を乗り越えたのである。共産党の政治権力の独占にチャレンジしてはいけないというのか?それが中国の問題だということを言ってはならないというのか?全国に広がっている汚職、失業、著しい環境破壊も中国の問題だと言ってはならないというのか?それらはすべて政治改革の欠如に関係しているというのに。

これらのコネクションを公然とした方法で作ろうにも、劉は10年以上の刑に処せられてしまった。意地の悪いことに当局は、たぶん彼のいる監獄が政治的な集まりのターゲットになることを恐れて、彼を、北京にいる彼の妻や友人から遠く離れた遼寧省の北東の地域に移した。

劉暁波は遠く離れているだろうが、忘れられているということはない。来月、ノーベル平和賞委員会は2010年の受賞者を発表する予定である。われわれは、ノーベル賞委員会が劉暁波の20年以上にわたる改革に向けてのひるむことのない平和的な唱道をたたえ、彼を中国での名誉ある賞の最初の受賞者にするよう要請する。そうすることによって、ノーベル賞委員会は、劉暁波と中国政府に対し、中国国内や世界の多くの人々が彼と連帯していること、また、13億の人々の自由と人権のための彼の確固としたビジョンを支持していることを伝えることになるであろう。

バクラフ・ハベルはチェコ共和国の前大統領、ダナ・ネムコーバはチェコの人権弁護士のリーダー、バクラフ・モーリイはプラハの司祭である。3人はみな「77憲章」の署名者であるとともに、1989年ビロード革命のリーダーであった。

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