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彦坂 諦 [uniting-peace][12213]「右派」「左派」のレッテルの前に2010/03/26


彦坂です。

T.kazuさんの文章を読んだときはなにも言うまいと思ったのですが、この桜井さんの発言に接して、やはりひとことつけくわえておいたほうがいいような気になりました。

このMLでであったかどうかおぼえていませんが、しばらくまえに、わたしは、もういいかげん「左翼(左派)」とか「右翼(右派)」とかいった概念を使って図式的に考えるのはやめにしてはどうかと、いささか揶揄的に書いたおぼえがあります。

「日本の左派は」などとなんのためらいもなく書けるひとには、こんなこと言ってもかいなきことではありますが。

わたし自身は、とりわけ日本民族に属さないひとびとと日本語以外の言語で話すさいには、文脈上不可欠のばあいをのぞいては、一人称複数を用いることはありません。また、「関西人」はどうたらこうたら「東北人」はああだこうだとか「男」は「女」はといった言いかたもしません。


いわゆる「左派」は、自らその原典にあたらないでレッテルをはりやすいところがあります。
左翼的な新聞や雑誌などが紹介したら、それはお墨付きのある良著であると。

ずっと以前から、わたしはつねにこれではいけないと言いつづけてきました。
しかし、この傾向はいっこうに変らないようです。
田母神「将軍」の言動が「もてはやされ」たころ、わたしはすぐに彼の書いたものを読んだ。だから、自分の目で彼の低俗さを見ぬくことができた。このときも、わたしのまわりの「活動家」たち(かならずしも左翼のとはかぎらない)は、ほとんどだれも、じっさいにこの凡庸なる将軍の「論文」を読まずに、だれかれの尻馬に乗って批判するだけでした。

お墨付きがあたえられるまでは要心してなにも言わないといった習性もむかしからある。いったん評価が定まるとアンシンしてものを言う。自分の頭で考えることましてその考えにもとづいてなんらかの判断を下すことなどこわくてできない。


「敵を知らず己を知らざれば百戦危うし」ともじって、わたしは、ガダルカナル戦ほかの「作戦」を批判したこともある。こういった思考パターンはいまもかわらず「みんな」のなかに生きています。


60年安保闘争から50年。
「左派」は困難な中でも闘い続けてきました。


その10年のちに出てきたひとたちについてもおなじことが言えます。というより、そういうひとたちをわたしは具体的に知っています。


私は高校時代に氏の講演を聴きました。
あまり関心はわきませんでした。

しかし、それから三十年ほどたって、今読んで梅原さんの随筆は氏の自らの思考して判断する手法が感じられ、参考となります。

そうでしたか。わたしはものごとをとらえその意味を考えていく梅原のしかたにずうっとまえから注目していました。この国にはめずらしい独創的な考えかたのできるひとです。この梅原をかつて「左翼」は「反動」ときめつけていた(いまでもそうかな?)。


そう言えば、故久野収もそのむかし「左翼」からは「反動」あつかいでしたね。小田実しかり。鶴見俊輔しかり。加藤周一しかり。

いや、「左翼」だけじゃない。マスコミも時代とともに「みごとに」評価を変えていったなあ。なしくずしに。いま、ぴったりした表現があったと思ってそれを使おうとしたら、ど忘れ。自己批判なしのなしくずし的路線変更のことをなんて言ったっけ?


彦坂 諦


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