15年戦争資料 @wiki

映画『ザ・コーヴ』舞台 和歌山・太地町を歩く

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可

映画『ザ・コーヴ』舞台 和歌山・太地町を歩く

2010年6月18日 朝刊

「ザ・コーヴ」が撮影された現場周辺では、海水浴場の整備工事が行われていた。右奥に行くと『入り江』がある=和歌山県太地町で


 紀伊半島の南端近くに位置する和歌山県太地町。「古式捕鯨発祥の地」をうたう人口約三千五百人の小さな町がドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の舞台だ。映画は今、上映中止騒動の渦中にあるが、太地町の人たちはどう感じているのだろうか。現地を歩いてみた。 (石原真樹)

 羽田空港から南紀白浜空港まで空路一時間。バスでJR白浜駅に向かい、特急と普通列車を乗り継いで、さらに二時間。雨の太地駅でクジラの壁画が出迎えてくれた。

 イルカやクジラを獲り、食べてきた長い歴史を持つ太地町。町のシンボルでもある「町立くじらの博物館」のすぐそば、湾から奥まった場所に、劇中、イルカの血で赤く染まった“現場”の入り江はある。しかし、そこにつながる山道には柵が設けられ、英語と日本語で「立ち入り禁止」と書いた張り紙が。勝手に入るわけにもいかず、近くの高台からのぞけるかと試みたが、木が生い茂って見えなかった。

 「くじらの博物館」には古式捕鯨のジオラマや漁で使った銛(もり)、銃が展示されていた。平日のためか客はまばら。ショーが行われているプールでは、イルカたちが元気にジャンプを披露していた。売店にはクジラやイルカのぬいぐるみ、クジラ肉の大和煮の缶詰など。近くの土産物店にも寄ったが、イルカ漁がシーズンオフのためかイルカ関係の食品は置いていなかった。「イルカやクジラは昔からの生活の糧。(騒動で)お客さんは『大変やねえ』と言ってくれる」と店員の女性。

 宿泊した民宿のおかみさんが、ふだんのメニューにはないイルカ料理を振る舞ってくれた。

 「映画のことがあってから『イルカを食べたい、食べておばちゃんを励ましたい』って、お客さんが。漁期(9~2月末)やないからあまりないんやけど、乾物屋で冷凍を一キロ見つけたから。あんたにも分けてあげる」

 イルカの刺し身はコリコリした食感で、並んで出されたミンククジラの刺し身よりも脂がこってり。おかみさんが「私も食べたいから」と作ってくれたタマネギ、砂糖、しょうゆで煮つめたすき焼き風は、煮くずれもせず、おいしかった。

 亡夫がイルカやクジラを捕る漁師だったという。玄関近くには、入り江に追い込まれたイルカの写真が大きく引き伸ばされて飾られていた。「きれいやろ」と誇らしげなおかみさん。

 食後、入り江近くの国民宿舎で、三軒一高町長と遭遇した。「映画のことは(町長の立場で)何も答えようない。こないだも何やらの記者が来たから『もっと勉強せえ』と追い返してやったわ」。町長は「ハハハ」と快活に笑い、立ち去った。

     ◇

 梅雨の晴れ間がのぞいた翌朝、漁港に向かった。定置網漁を担うのはクジラやイルカ漁とは別の漁師たち。サバやアジのほか、四キロもあるサバ科の魚・ヤイト(スマ)が五十匹も揚がり、「普段は一匹、二匹なのに」とみんな笑顔。

 映画の中でルイ・シホヨス監督らは、イルカやクジラの水銀濃度が高いと主張。国立水俣病総合研究センターの調査で、町民の毛髪中の水銀濃度が国内のほかの地域より高かったとの結果も五月に出ている。

 「説明会もあったが、百五十人くらいしか集まらなかった」と漁業組合の男性。調査で健康被害は出ていないとされたことを挙げ、「捕鯨が始まった四百年前から食べてたのに誰も病気していないことがわかって、『わしらが安全を証明した』と安心してる。水銀とも海とも共存しとる」ときっぱり語った。

 漁港の目の前には漁協のスーパー。太地産クジラの加工品はあったが、ここにもイルカは見当たらなかった。

 かつて太平洋を回遊するイルカやクジラの群れを見つけ、船に知らせたという岬に足を運ぶと、散歩中の男性から往時を聞くことができた。

 「こっから群れを追い込むのが見えて、そりゃ迫力あったわ。イルカは、東京の人らは知らんかもしれんけど、食べるとうまいんやわ」


目安箱バナー