15年戦争資料 @wiki

rabe12月2日

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

十二月二日

フランス人神父ジャキノを通じ、我々は日本から次のような電報を受け取った。ジャキノは上海に安全区をつくった人だ。

電報 一九三七年十二月一日 南京大使館(南京のアメリカ大使館)より
十一月三十日の貴殿の電報の件
以下は、南京安全区委員会にあてられたものです。 ジャキノ
日本政府は、安全区設置の申請を受けましたが、遺憾ながら同意できません。中国の軍隊が国民、あるいはさらにその財産に対して過ちを犯そうと、当局としてはいささかの責も負う意思はありません。ただ、軍事上必要な措置に反しないかぎりにおいては、当該地区を尊重するよう、努力する所存です

ラジオによれば、イギリスはこれをはっきりとした拒絶とみなしている。だが我々の意見は違う。これは非常に微妙な言い方をしており、言質を取られないよう用心してはいるが、基本的には好意的だ。そもそもこちらは、日本に「中国軍の過ち」の責任をとってもらおうなどとは考えてはいない。結びの一文「当該地区を尊重するよう、努力する所存・・・云々」は、ひじょうに満足のいくものだ。


アメリカ大使館を介して、我々はつぎのような返信を打った。

南京の安全区国際委員会の報告をジャキノ神父に転送してくださるようお願いします。
ご尽力、心より感謝いたします。軍事上必要な措置に反しないかぎり安全区を尊重する旨日本政府が確約してくれたとのこと、一同感謝をもってうけとめております。中国からは全面的に承認され、当初の要求は受け入れられております。我々は安全区を組織的に管理しており、すでに難民の流入が始まったことをご報告いたします。しかるべき折、相応の調査をおえた暁には、安全区の設置を中国と日本の両国に公式に通知いたします。

日本当局と、再三友好的に連絡をとってくださるようお願い申し上げます。また、当局が安全を保証する旨を直接当委員会に通知してくだされば、難民の不安を和らげるであろうこと・さらにまた速やかにその件について公示していただけるよう心から願っていることも、日本側にお知らせいただくようお願いいたします。
ジョン・ラーべ 代表


トラウトマン大使とラウテンシュラーガー書記官が漢口から戻ってきたのは、ちょっとしたセンセーシヨンだった。ローゼンに事情を聞くと、これは委員会とは無関係だとのこと。こっそり教えてくれたのだが、大使は私が総統とクリーベルに電報を打ったことにかならずしも賛成ではないらしい。あれは必要なかったと考えているのだ! 今日は時間がないので、あした大使を訪ねよう。思うに、彼が戻ってきたのはドイツによる和平工作の件だろう。


米と小麦粉を運ぼうにも車が手にはいらない。せっかくもらったのに、一部、安全区からうんと離れたところで野ざらしになっている。どうやら軍部にかなり米をもって行かれたらしい。三万袋のうち、わずかその半分しか残っていないという。

口ーゼンが大使館の警察官から聞いて教えてくれたとおりだ。馬市長は警察が軍隊とともに町を去るよう命令が出たことに反対している。

午後八時に杭立武さんのお別れ晩餐会。今夜、故宮宝物を一万四千箱も漢口まで運ぶのだ。船に積みきれなかったので、千箱残さなければならなくなった。杭立武さんがいなくなるのはとても残念だ。ひじょうに有能な人で、大いに力になってくれた。



目安箱バナー