15年戦争資料 @wiki

rabe11月25日

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pipopipo555jp

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十一月二十五日


医者が足りない。香港、上海、漢口の赤十字に、医師と医薬品を求むと電報を打った。外国人の医者は頼めない。この電報はアメリカ大使館の仲介だが、大使館は(ほかのどこの国の大使館も同じだ)自国民に対して南京を去るよう勧めているからだ。

もう一度、昔の故宮宝物を救い出す手伝いをするはめになろうとは。夢にも思わなかった。だが、そういうことになってしまったのだ。(これらの中国の芸術作品は百年ほど前から評価され、集められるようになった。ラーべもすこしコレクションをもっていた)

私のトラックは恰和通レンガエ場からの誕生祝いだ。しばらくの間学生が負傷者の世話をするために使っていたが、こんど杭立武さんに提供した。なんと一万五千箱もの故宮宝物を港へ運ぶことになったのだ。そのため、杭立武さんはありったけの車を集めた。政府はこれを漢口へ運ぶつもりなのだ,もしこれが日本人の手に落ちるようなことになれぱ、北京へ持ち去られるだろうといってみな心配している。とはいっても、もともとこれは北京にあったのだが!

昨日ラジオで聞いた上海からのニュースによると、日本軍司令部が、南京に非戦闘員用中立区域をつくりたいというわれわれの申し出を好意的に受け入れたとのこと。だが公式の回答はまだだ。

韓の防空壕も崩れてしまった。また新しいのを作らなければならない。しかも韓は、家族のために学校に一部屋用意した。

預かってくださいといって、エラ・ガオさんが旅行かばんや箱を送ってきた。なかに壁掛け時計が二つあり、「注意! 時計在中」と上書きした紙でくるんであった。


靴屋は今では無二の親友になった。われわれは一心同体だ。一日中家族総出で防空壕の水をかい出している。その合間に、りっぱな茶色のブーツを作ってくれた。十ドルでいいといったが、一ドルよけいに払っておいた。もっと友情を深めておきたかったのだ。

ラジオによると、非戦闘員の安全区に対して、日本はこれまでのところ最終的な回答をよこしていない。上海ドイツ総領事館を通じて、おなじく上海にいるラーマン党地方支部長に頼んでヒトラー総統とクリーベル総領事(※)に電報を打とうと決心した。今日、つぎのような電報を打つつもりだ。

在上海ドイツ総領事館。
党支部長ラーマン殿。っぎの電報をどうか転送してくださるようお願いします。

総統閣下
末尾に署名いたしております私ことナチ党南京支部員、当地の国際委員会代表は、総統閣下に対し、非戦闘員の中立区域設置の件に関する日本政府への好意あるお取りなしをいただくよう、衷心よりお願いいたすものです。さもなければ、目前に迫った南京をめぐる戦闘で、二十万人以上の生命が危機にさらされることになります。
ナチ式敬礼をもって。 ジーメンス・南京 ラーべ

クリーベル総領事殿
本日私が総統へお願いしました日本政府に対する非戦闘員安全区設置に関するお取りなしについて、貴殿のご尽力を心よりお願いする次第です。さもないと、目前に迫った戦闘での恐るべき流血が避けられません。
ハイル・ヒトラー!  ジーメンス・南京および国際委員会代表 ラーべ
※ヘルマン・クリーベルは一九二三年のヒトラーによる反乱に加わり、ヒトラーと共に禁固刑を受けた。だがこの頃にはヒトラーへの進言など、とうにできない立場にあった。

電報代を考えてラーマン氏は後込みするかもしれない。そう思ったので、費用は私が持つからとりあえずジーメンスに請求してくださいと付け加えた。

今日は路線バスがない。全部漢口へ行ってしまったという。これで街はいくらか静かになるだろう。まだ二十万人をこす非戦闘員がいるというけれども。ここらでもういいかげんに安全区がつくれるといいが。ヒトラー総統が力をお貸しくださるようにと、神に祈った。


たったいま杭立武さんが、安全区の件で中国政府から了解を得る必要はないと教えてくれた。蒋介石が個人的に承諾してくれたというのだ。

渉外担当がきまった。南京YMCAのフィッチ。あとは日本側の賛意を待つのみ。

上海の中国本杜からドイツ大使館に私あての電報が届いていた。
ジーメンス・南京へ。ジーメンス・上海より告ぐ。南京を発ってよし。身の危険を避けるため、漢口へ移るよう勧める。そちらの予定を電報で告げよ

私は大使館を通じて返事をした。
ジーメンス・上海へ。ラーべより。十一月二十五日の電報、ありがたく拝受。しかしながら、当方南京残留を決意。二十万人をこす非戦闘員の保護のため、国際委員会の代表を引き受けました


韓が、恰和通レンガエ場からガソリン百缶、小麦粉二十袋を運んできた。庭では、新しい防空壕の建設中だ。ガソリンはどこかほかに置き場を探さなくては。百缶も庭に置くのは危険だ。

スマイスから電話。東京の新聞が、中立区域があると南京の占領は非常に困難になる、あるいは遅れてしまうと論評したという。もしこれがうまくいかなかったら、いったいどうすればいいんだ。にっちもさっちもいかなくなってしまう。わが頼みの綱はヒトラー総統だ!

われわれ全員がはたして無事にジャーディン海運社の船で脱出できるかどうかと、ローゼンは非常に心配している。万一の場合にはヒルシュベルク先生一家も避難することになっている。たしかにそれが分別というものだろう。だが、逃げることばかり考えたり聞かされたりしていると、意気阻喪してしまう。うちの中国人たちは落ちついたものだ。主人である私に見捨てられさえしなければ、あとはどうにかなると思っているのだ。だからこそ、なにがなんでもここでがんばらなくてはと思う。ただ、正直な話、わが家よりもう少しばかり安全な場所があればなあ、とは思う。

もう一軒家が手にはいるかもしれない。ローゼンが、張群将軍の家を使っていいといわれたのだ。庭にはりっぱな防空壕がある。一度下見にいかねばなるまい。だが、ここで難しい問題がある――引っ越すかどうか? ここの連中を全員連れていくのは無理だ。そうかといって二つの家に同時にいることはできない。私のようなものでも、そばにいてやることが肝心なのだ。



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