15年戦争資料 @wiki

rabe11月23日

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pipopipo555jp

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十一月二十三日


五十五歳の誕生日だ。誕生日おめでとう! 最初のプレゼントはこの曇り空だ。ありがたい! ドーラからは祝電としゃれたマフラー。ほんとうにありがとう! といってもマフラーは届かなかった。大使夫人に預けたということだが、夫人の説明はどうも賄に落ちない。たぶん小包は郵便で送られ、そのまま郵便が止まってしまったのだろう。しかたがない!

下関駅にはひっきりなしに負傷兵が到着する。スマイス教授はボランティアの学生を駅にやって病人の面倒を見させている。私の車を出そう。

韓が耳寄りな話を持ってきてくれた。友人の中国人が、なんと、トラックニ台、ガソリン百缶、小麦粉二百袋を私に贈ってくれるというのだ。ありがたい! 誕生日プレゼントだと思って、好意を受けることにした。大いに役に立つ。食糧と車はぜひとも必要だから本当に助かる。ぬか喜びでないといいが!


十七時。前の外交部長(外務大臣)で、現在、国民党中央政治委員会秘書長の張群氏邸でティーパーティー。約五十人のアメリカ人やヨーロッパ人のほかに出席していたのは次の各氏だ。防衛軍司令長官唐生智、警察庁長王固盤、南京市長馬超俊。「いい考え」があるということだった。なんでも、我々後に残ったヨーロツパ人やアメリカ人が、毎晩八時から九時に国際クラブでおち合い、そこで中国人指導者もしくはその代理人と接触できるというのである。まさしくいい考えだ。こういう「円卓会議」みたいなものを、この間の大戦中にも北京で持ったことがあった。

私のすばらしい誕生日プレゼント、つまり運転手、ガソリン、小麦粉つきのトラックニ台は、結局、運転手もなにもついてない、からっぼのトラック一台に化けた。

残りは和平門のむこう側にあるらしいが、もう閉鎖されてしまった。


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