15年戦争資料 @wiki

rabe11月21日

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

十一月二十一日

防空壕は心配の種だ。水位があがる一方だからだ。使えなくなったらどうしよう。水を汲み出そうにもひまがない。どこかにもっとちゃんとした防空壕はないだろうか。安全な防空壕がいくつか作られたという話だ。我々が使えるところがあるといいのだが!

発電所の管理人白(パイ)さんがここに泊めてもらえないだろうかといってきた。もちろん承諾した。主任技術者の陸法曾さんも、奥さんと使用人をつれて来たいという。トランスオーシャン通信社の人たちがクトゥー号で避難するので、校舎があく。そこを使ってもらうことにしよう。

十三時半に私は中山埠頭へいった。十四時のランチでクトゥー号へいって、自分の荷物をたしかめるためだ。十六時になってようやくランチがすがたをみせた。クトゥー号で荷物をたしかめる時間はたった十分しかなかった。今朝最後に送り出した荷物もちゃんとあったので安心した。のんびりとカードを楽しんだり、ビールジョッキをかたむけている乗客たちとあわただしく別れの挨拶をかわしたあと、はやくしろとしきりに汽笛を鳴らしているランチで下関へ戻った。これを最後に橋が取り壊され、橋はひとつもなくなった。

ラメザン男爵の後任で、警察の顧問をしているべーレンシュプルング氏を訪ねる。通行証をもらいたいのだ。そうすれば、警報が解除された直後や、夜十時をすぎても自由に外出できる。ところが、ちょうど蒋介石から漢口に行くよう指令があったばかりだそうで、明日発つという。通行証のことをいうと名刺をくれて、明日首都警察庁長の王固盤を訪ねるようにといった。まだいたら、の話だが。



目安箱バナー