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任那日本府説:韓半島侵略正当化の論理を日本自ら撤回

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pipopipo555jp

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記事入力 : 2010/03/23 09:25:03

任那日本府説:韓半島侵略正当化の論理を日本自ら撤回



 今回の第2期韓日歴史共同研究委員会で出た成果のうち最も注目されるのは「任那日本府説」の放棄だ。これまで植民史観の象徴のように思われており、日本による韓半島(朝鮮半島)侵略を正当化する役割を担っていたこの主張について、日本が自ら放棄したということは、歴史の論議で重要なターニングポイントになるだろうと評価されている。


 前回の2005年第1期報告書では、韓日の学者全員がこの説に否定的だったのに加え、今回「事実ではない」と確認したことで、この説は歴史問題から除外される運命となった。


 報告書で日本側は、「任那日本府を軍事的性格から見たり、政治機関と見なしたりする見解は否認されており、この用語を使わない方が良い」という意見を示した。


 また、「日本書紀の神功紀49年条の該当記録中の“倭(わ)国(日本)が伽耶7カ国を平定した”という内容は事実と見なすことはできない。広開土王の碑文で高句麗と戦争をしたと記録されている“倭軍”とは、倭が百済・伽耶と連合した軍隊であろう」と指摘している。


 14-15世紀、韓半島(朝鮮半島)を侵奪した倭寇(わこう)の正体が実は朝鮮人からなる「偽倭寇」であったという日本学界の一部の主張も否定された。日本側の委員は、「対馬・壱岐・松浦地域の海民(漁民)と領主が倭寇の中心だったというのが、各国史料の共通した認識だ」と話した。日本側は稲作や金属文化が韓半島から伝わったことも認めた。


■任那日本府説


 倭国が4-6世紀に韓半島南部の伽耶地域を征服、「任那日本府」といわれる統治機関を設置したという日本側の主張。韓国史が古代から外部勢力の干渉を受けたという、代表的な植民史観の産物。しかし、韓国側の史料にはまったく言及されておらず、考古学的な根拠もないため、韓国の学者は当時伽耶で軍事的活動を行っていたのは日本ではなく、百済だったとみている。日本でも最近、その実態は「倭の使節の駐在館」だったという主張が有力になっている。


兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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