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第一節 支那に於ける日本の利益

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第3章 日支両国間の満州に関する諸問題


1、支那に於ける日本の利益


 1931年9月に至る四半世紀間に於いて満州と支那の他の部分との結合は追々強固となりつつあり夫れと同時に満州における日本の利益は増加しつつありたり。満州は明らかに支那の一部たりしも同地方に於いて日本は支那の主権行使を制限するが如き特殊の権利を獲得若しくは主張し両国間の衝突は其の当然の帰結なりき。

1905年12月の北京条約に依り支那は従来ロシアの租借し居たる関東州租借地及ロシアの管理し居たる東支鉄道南部線中長春以南の鉄道の日本への譲渡を承認し尚追加協定に依り支那は安東奉天間の軍用鉄道を改良し之を15ヵ年間経営する権利を日本へ譲与したり。

 1906年8月、勅令に依り従前のロシア鉄道を安奉鉄道と共に引受け且管理する為南満州鉄道会社設立せられたるが、日本政府は鉄道、其の付属財産並びに撫順及煙台の価値ある炭鉱を提供する代償として同会社の株式の半額を其の有とし同会社を統制する地位を得たり。同会社は鉄道地帯に於ける行政を委任せられ徴税を許され且鉱業、電気事業、倉庫業其の他の諸事業経営の権限を与えられたり。

 1910年、日本は朝鮮を併合したるか是に依り朝鮮人移住民は日本国民となり日本官吏は之等鮮人に対し法権を行使することとなりたる為、満州に於ける日本の権利は間接に増大したり。

 1915年一般に21ヶ条要求として知らるる日本の異常なる要求の結果、同年5月25日、日支両国間に南満州及東部蒙古に関する条約の調印及公文の交換行われたり。右協定に依り旅順及大連を含む関東州の元来25ヵ年間に租借期限、並びに南満州及安奉両鉄道に関する期限は総て99ヵ年に延長せられ、日本臣民は南満州において旅行及居住し、各種の営業に従事し、且商業、工業及農業の為め土地を商租する権利を得、尚日本は南満州及東部内蒙古における鉄道及其の他或種借款に対する優先権並びに南満州における顧問任命に関する優先権を獲得したり。然れども1921-22年のワシントン会議において日本は右諸権利の中借款及顧問に関する権利を放棄したり。

 上記各条約中及其の他の諸協定は満州において重要にして且特殊なる地位を日本に与えたり。即ち日本は関東州租借地を事実上完全なる主権を以て統治し、南満州鉄道会社を通じて鉄道付属地の施政に当れるが、右鉄道付属地は数箇の都市並びに奉天及長春の如き人口大なる都会の広大なる部分を含み、此等地域において日本は警察徴税、教育及公共事業を管理したり。又日本は租借地に関東軍を置き、鉄道地帯に鉄道守備隊を駐屯せしめ、各地方に領事館警察官を配する等満州諸地方に武装部隊を存置し来れり。

 上記満州において日本の有する数多の権利の概説に依り満州における日支両国の政治、経済及法律関係の特殊性は明瞭にして、此の如き事態は恐らく世界の何処にも其の例なかるべく、又隣邦人の領土内に此の如き広汎なる経済上及行政上の特権を有する国は他に比類を身ざるべし。若し此の如き事態にして双方が自由に希望し又は受諾し、且経済的及政治的領域に於ける緊密なる協力に関する熟策の表現及具体化なりとせば、不断の紛争を醸すことなく之を持続し得べきも、斯かる条件を欠くにおいては右は軋轢及衝突を惹起するのみ。


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