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南京虐殺犠牲者一致せず 日中共同研究報告書

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南京虐殺犠牲者一致せず 日中共同研究報告書

'10/1/31


 日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は31日、双方の論文をまとめた報告書を公表した。焦点の「南京大虐殺」の犠牲者をめぐり「30万人以上」と言及した中国と「20万人を上限」とする日本側の見解が一致しないなど、近代を中心に認識の隔たりが目立った。中国の要求で非公表とされた戦後の現代史部分の取り扱いも今後の課題として残された。

 両国が歴史問題の克服を目指し、2006年に始まった共同研究は報告書公表で一つの区切りを迎えた。報告書は「近現代史」と「古代・中近世史」について計約550ページ。それぞれの時代について日本側と中国側の論文を掲載した。

 日本側座長の北岡伸一東大教授と、中国側座長の歩平・社会科学院近代史研究所長は昨年12月24日の最終会合後の記者会見で、今回の報告を「第1期」として「第2期」の研究継続に意欲を表明した。

 中国側は犠牲者数について、南京軍事法廷が「30万人以上」とした点を指摘した。日本は「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と分析した。

 日中戦争の記述で中国側は「日本軍国主義による全面的な侵略戦争」と断定。「中国人民の抗日戦争における偉大な勝利」で終結したと総括した。戦前日本の拡張政策に関し「古代より朝鮮半島獲得をあきらめていなかった」と分析した。

 日本側は「日中戦争で中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いた」と明確にしたが、対外拡張政策については「日本で内閣制度が成立した1885年ごろは、軍備拡張も穏健だった」として中国側の主張と一線を画した。

 戦争後半で中国共産党が攻勢に出た理由についても日本側が共産党の戦術の巧みさを評価したのに対し、中国側は党の「正義」が大衆の心をつかみ「抗日救国運動を盛り上げた」と述べた。

 古代から中近世にかけて、中国と周辺国が上下関係となる国際秩序「冊封体制」の中に、日本がどう組み込まれていたかについても双方の見解は分かれた。

 ただ盧溝橋事件(1937年)に関しては中国側が、日本の中国侵略政策との関連を主張しながらも、事件自体は「偶発的に起きた可能性がある」と柔軟な立場ものぞかせた。



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